ずっと待たれているのに
翌朝。ディオルに「寝言でパパって言ってたけど、夢を見たの?」と聞いてみたら、「おぼえてなぁい!」と元気の良い返事が返ってきたので……安心してしまった。
約束通りテオドールさんはディオルに会いに来てくれた。どうやら貧民街の中にある宿屋に泊まっているらしく、昨日大量に買ったパンは周囲の人に配るためでもあったらしい。
「美味しいって人気だったから今日も買って帰るよ。きっとみんな、エルナさんが魔法で癒しの効果を付与しているのを無意識に感じ取るんだろうね。……さてディオル君、今日は何をして遊ぼうか」
元気いっぱいにテオドールさんと駆けていくディオル。彼らを見送っていれば、音もなく近づいてきたマリーさんに声をかけられた。
「言わなくたって、子供は感じ取るものよ」
もしかして読心術を使われたのだろうか。それともギルさんから何か聞いたのだろうか。
「六年前にお相手を聞いた時には答えてもらえなかったけど。あの子の父親がどんな人だったのか聞くくらいは許してもらえるかしら」
私がためらっていると、マリーさんに意味深な笑みを向けられる。
「それとも。想ってもいない相手だったから、忘れたかったのかしら」
時折マリーさんの浮かべる腹の底の見えない表情は、どことなく誰かに似ている。
……そうだ。ヴァルディオス様のお側にいた侍女の、マリエッタさんを彷彿とさせる。
チリっと私の嫉妬心に微かな火がついた。
「……あの子のパパは、強くて優しい人でした。命を助けてくれただけでなく、どこにも居場所のなかった私に役割をくれて、ディオルまで授けてくれたの。でも……」
「でも?」
「……私には、あのお方のお側にいる資格はありませんでしたから。好きとか嫌いとか、それ以前の問題です」
だから逃げた。それがヴァルディオス様にとって最善だと思ったから。
戦の原因になってしまった私という存在が、ディオルという宝物と一緒に、心穏やかに毎日を過ごせている。
それだけでいい。それで十分、贅沢すぎるくらいだ。
夏の風がサッと通り抜ける。青々と茂った木と、すっかり自分の色として馴染んできた黒髪を揺らした。
「そう。……ずっと待たれているのにね」
「……え? ごめんなさい、風の音でよく聞こえなくて」
「ふふ。もっと欲張りになっても良いのではないかしらと、老婆心で思っただけよ」
……何か違うことを言われたような気がする。首を傾げていれば、遠くからディオルが私を呼んだ。
「ママぁ──、テオドールとブルーベリーあつめてくる! あとでパン……やっぱりベリーパイがいい!」
「はぁい、気をつけてね!」
戻ってくる前にパイの生地を準備しておかなければ。そう考えながらディオル達に手を振っているうちに、マリーさんはいつの間にか家の中に戻ってしまっていた。何年一緒に暮らしても掴みどころがないマリーさんだが、そこがミステリアスで彼女の良さでもある。
(ベリーのパイが出来たら、ギルさんに持って行って昨日のことを謝って、マリーさんも誘ってお茶にしようかな)
そんなことを考えながら私はパン屋の中へ入って行った。
……思い出してしまった嫉妬心を、心の底に秘めたまま。




