ママはパパのこと……
パン屋の表にある木のベンチ。パン屋の中で淹れてきたコーヒーのマグをテオドールさんに渡して、二人でそこに腰掛けて座った。
「俺の得意な魔法は、回復魔法。他人の痛みを自らの体に移すことによって治療するタイプのものです」
テオドールさんは私に、道端に倒れていた理由を詳しく説明してくれた。
どうやら使う回復魔法の特性上、酷い怪我や重い病気を治すと、痛みや重さで体が動かなくなってしまうらしい。
元々この貧民街出身だという彼は時折この街に帰ってきて、何人もの人を慈善で治療するのだと言う。
「……大変ですね」
「先ほどは情けないところをお見せしてすみません。でもこんな所に魔力持ちの居住区ができているなんて知らなかったな……。ところでエルナさんが得意な魔法も、回復魔法?」
「はい。ただ私の回復魔法は料理を通してしか発現しない、ささやかなものでして。さっきのは無理やりパンに魔力を込めて、回復力を上げたんです」
「へぇ……その使い方が出来るのなら、多分料理を通さなくても回復魔法を使えると思いますけど」
「え?」
予想外の言葉を返されて、目をパチパチさせてしまう。
「だって、パンに魔力を入れられるのでしょう? 同じようにして、怪我をした人に魔力を入れ込むイメージで回復魔法を使えばいいのではないかと」
「人に、魔力を……?」
「そう。多分エルナさん、魔族も顔負けなくらいの回復魔法使いですよ。使い方を変えれば化けるはずです」
そう理屈で説明されても……上手くできないものは出来ない。遠回しにそう伝えれば「まぁ、やり方にも向き不向きはありますから」と、慰められてしまった。
「ねぇテオドール、あそんで!」
ボールを持ったディオルが期待の目でテオドールを見つめる。テオドールは私に「大丈夫?」と確認し、私が頷いたのを確認してから、ディオルとボールで遊び始めた。……戦の経験がある彼は動きも早く、ディオルはいつもより大きな声を出して笑って、楽しそうだった。
「テオドールはどこにすんでるの? 明日もあそびたい」
「家はすごく遠くにあるんだ。でもディオル君と遊ぶのが楽しいから、暫くはこの街にいようかな」
「やったぁ! ママ、明日もテオドールとあそぶから」
「テオドールさんごめんなさい……あの、全然断ってくれて大丈夫ですから」
「いいんです。だって明日もパンを買いに来る理由が出来たので」
人当たりの良さそうな笑みを見せるテオドールはそう言いながら、沢山のパンを買って帰ってくれた。
あまりに親切な、子供好きな人。だからこそ回復魔法で人の痛みを引き受けて続けて倒れた直後なのに、ディオルのすり傷を治してくれたのだろう。
……だからこそ。ギルさんがその日の夜に私に告げた言葉が、引っかかった。
「エルナ。今日会っていた男は誰だ?」
「あれはテオドールさんという人で、道端に倒れていて──」
「やめておきなさい。君はディオルの母親なのだから」
(もしかして……私がテオドールさんのことを好きなのだと勘違いされてる?)
誤解を解こうと、慌てて言い訳した。
「ギルさん、違うの。そんなつもりは一切なくて!」
「エルナに無くとも、相手を勘違いさせる時だってある。どんな奴かも分からないのだから、これ以上会うのはやめておきなさい」
その言い方に、無性に腹が立った。
ギルさんはテオドールさんのことを何も知らない。……何も知らないのに、心優しい彼を怪しい奴扱いしないでほしい。
「……親切な良い人です。ディオルと沢山遊んでくれて、ディオルも楽しそうでした。パンも沢山買ってくれたし、私は会うのをやめる気はありません」
「エルナ……しかし、」
「嫌です! ディオルは明日もテオドールさんと遊ぶと言っていますし……自分の交友関係くらい、自分で考えられますから」
思えば、ギルさん相手に反抗するような態度を取ってしまったのは初めてだった。咄嗟に出てしまった言葉を後悔して「ごめんなさい……言いすぎました」とすぐに謝ったが、ギルさんはため息と共に去っていった。
妊娠中から私を庇い、生活を支えてくれていた人に反抗してしまうなんて、とんでもない。……今日はどうかしている。
私は沈んだ気持ちのまま、ディオルと二人で生活している部屋に戻った。今日はテオドールさんとよく遊んでいたので、ディオルはもう寝ついているかもしれない。そんな気持ちで、音を立てないようにドアを開こうとした時だった。
「……ちがうよ。だって──」
何か、話し声が聞こえる。思わず息を潜めた。
「ママはパパのこと、キライだもん!」
(……え?)
足が動かなくなる。
そこで時間が止まってしまったかのようだった。
私はディオルの前でヴァルディオス様のことを話したことはない。
いつか見つかってしまって、ディオルのことを連れて行かれてしまうのではないかと、怖かったから。
だから物心ついてきた頃に「ぼくのパパは?」と聞かれた時も、全て誤魔化した。
それ以来ディオルがパパについて聞いてくることはなかったのに……。
(しかも、どうして私がヴァルディオス様のことを嫌っていると思っているの? それとも他の誰かのことをパパだと勘違いしている? そもそも誰と話しているの?)
……何も分からない。
そんなことをグルグルと扉の前で考えていれば、いつの間にか部屋の中からはスウスウという寝息が聞こえてきた。私はゆっくり室内に入って、ディオルの体に布団を掛け直す。
「……もしかして寝言だったのかしら」
今日はもう疲れた。きっとディオルの寝言だったのだと思うことにして、私は考えることを放棄して眠りに落ちた。




