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お客さん、つかまえた

 私が始めたパン屋は、魔力持ちの居住区の中にあるということで、魔力持ち以外の人が買いに来ることは滅多になかった。それでも近所に住む人達は「美味しい」と喜んで買っていってくれるし、利益も出ている。毎日買いに来てくれるような固定客もいて、そんなお客様に支えられながら、私は細々と経営を続けた。

 ディオルも五歳になって、幼児期と比較すれば手もかからなくなってきた。初めこそ魔法で大爆発を起こしてしまったが、ギルさんに制御方法を手取り足取り教えてもらって、それ以降危険な事件は起きていない。毎日欠かさずに魔法の練習をする、真面目な良い子に成長した。

 この機にもっと商売の手を広げた方が良いのかと悩む私に、マリーさんは告げた。


「これくらいでいいじゃない。ディオルもまだ小さいし、この居住区の外に出て貴女に何かあったら……残される方が可哀想でしょう」


 ……そうだった。普通の人間は私たち魔力持ちのことを煙たがり、差別する。

 怖いくらいに毎日が平和でつい忘れそうになってしまっていたが……魔力持ちが、人間と共に生きるのは難しいこと。


(私のせいでベルク王国が魔界グランノクスに攻め込んでから、もう六年。初めの頃は戦況なんかも噂で耳に入ってきていたけど……ここ数年は戦の話も、魔界グランノクスの話も全く聞かないわ)


 戦は終わったのだろうか。それすらも、ここで暮らす私には分からない。

 

 ヴァルディオス様は……今頃何をしているのだろう。

 私のことなんて忘れて、心穏やかに過ごしていて欲しい。心許せる人と一緒に甘いものでも食べて、笑っていてくれればいい。



「ママ! たいへんだよ。そこに、しんでる人がいる!」

「えぇ!?」


 いつものようにパン屋で仕事をしていれば、ディオルが血相を変えて飛んで帰ってきた。その言葉に驚いた私は、手に持っていた卵をつい落としてしまう。パンッと床で炸裂した卵をそのままに、ディオルと一緒に表へ飛び出した。


「こっち、こっちだよ!」


 ディオルが案内してくれたのは、パン屋から少し行った先にある裏路地。そこに一人の男性がうつ伏せで倒れ込んでいた。


「だ、大丈夫ですか……!?」


 触れてよいものなのかと躊躇いつつ、手を握る。……まだ温かい。


「ディオル、パンを持ってきて!」

「パン! とってくる」


 ディオルが一度パン屋に戻っている間に、男性を仰向けに転がす。一言断ってから旅人風の外套をめくって、怪我をしている箇所がないか探った。


「う……」


 男性が呻き声をあげる。良かった、意識はある。しかし顔色は悪い。


(大きな傷はないみたい……もしかして病気?)


 そうやっているうちにディオルが売り物のパンが乗ったトレイごと持ってきてくれたので、私はその一つを手に取る。一呼吸おいて気持ちを極力落ち着けてから、パンに直接魔力を注ぎ込んだ。

 こんなことをするのは、六年ぶり。ヴァルディオス様と初めて会ったとき以来だ。

 そして私は魔力を並々と注いだパンを一口大に千切って、無理やり彼の口の中に押し込んだ。


「飲み込んでください! 絶対に良くなりますから」


 そう言えば男性はゆっくり口を動かして、ごくんと飲み込む。

 キラキラとした光の粒子が男性の体を包み始める。


「……う、まい」

「じゃあもっと食べてください。ゆっくり、咽せないように」


 男性にパンを握らせれば、慌てたように口にパンを詰め込む。結局ゲホゲホと咽せてしまった。


 それでも彼の体の周りでは、まるで光の精が踊っているかのような光が煌めく。

 それが止む頃には、すっかり男性の顔色は良くなっていた。ゆっくりと体を起こし、私と向かい合う。


 中年と言うには早いかという年齢、人の良さが滲み出た顔立ち。そして、金の瞳──魔力持ちだ。

 しかし居住区の中では見かけない顔である。


「調子はどうですか?」

「ありがとう、急に体が軽くなって助かりました。……俺の名前はテオドール。あなたは?」


 なんとなく、どこかで聞いたことのあるような名前だが……気のせいだろうか。

 

「私はエルナと言います」

「ぼくはディオルだよ! テオドール、よかったね。ママのパンはおいしかったでしょ」

「あぁ、美味しかったよ。でもこんなに体が軽くなったのは本当に久しぶりで……これは何のパン?」

「これはねぇ、ママが売ってるパン! テオドール、買ってくれるよね?」


 きっとテオドールさんが聞きたいのはそういうことではないと思うのだけど、私が発言するより先に、お喋りなディオルが話してしまう。それでもテオドールは嫌な顔一つせずに、ディオルの発言一つ一つに頷いて、返事をしてくれていた。


「そっか……よし。ディオル君、エルナママがやってるお店に案内してくれる?」

「いいよ。ねぇママ! ぼくね、お客さんつかまえた!」

「ディオル、お客様にそんなことを言うものではありません。……テオドールさん、騒がしくてごめんなさい。良ければ温かい飲み物でもお出ししますから、寄って行ってください」

「ではお言葉に甘えて……あぁディオル君、待って。怪我をしている」

 

 テオドールさんが、側にいたディオルの膝にある擦り傷を見つける。きっと慌てて走っていて転んだのだろう。


「可哀想に。痛かっただろう」


 テオドールさんはそう言いながらディオルの傷に手を伸ばす。傷を手で覆った瞬間に、ふわりとした優しい風が吹いて。……彼が手を離した時にはすでに、ディオルの膝に傷は跡形も無くなっていた。


 珍しい、回復魔法を使う魔力持ち。


 それでやっと彼の正体の見当がついた。

 私は彼のことを知っている。いや、知っているというほどではないが……文字が読めるようになった頃に、新聞で読んだ。

 

「戦場で活躍した、回復魔法使いの青年……ですね」

「……若いのに、随分と懐かしい話をご存知で」


 テオドールさんは眉尻を下げて、目を細めて笑った。

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