私を必要としてくれる人なんて
「安心しろ。君は一度も、俺の管理下から出ていない」
ヒュッと喉の奥から音が鳴る。
逃げなきゃ。あの子を連れて。私が守らなければ、誰が守ってくれるの?
震えそうになるのを必死に堪えて、スカートの裾を翻えす。しかしたった三歩走ったところで足元に魔法陣が広がって、魔力で編まれた蔦に絡め取られた。
私はいとも簡単に、魔王ヴァルディオス様の魔法に捉えられてしまった。
「エルナ。どうして逃げる?」
「だ……って、」
続きの言葉が出ない。
私は人間。魔王である彼の側に立つ資格なんて、初めから無いに決まってる。それに今の私には、守らなければならない存在がある。
だから逃げた。
……逃げたはずだったのに!
「もう一度聞こう。どうして俺から逃げようとする?」
「──っ、ヴァルディオス様だって! どうして今更、私の前に姿を現したの!?」
彼から離れて、もう六年も経った。私にとって彼は、すでに過去の人……だと思いたいの。
そんな気持ちで叫ぶ。
シュルリと音を立てて、蔦が引いていく。
……諦めてくれたの? そんな淡い期待は簡単に砕かれた。
魔法の代わりに私を後ろから捉えるのは彼の腕。漆黒の長髪が私の頭上から帳のように下りて閉じ込める。
熱の籠った吐息。低い声が耳元で囁いた。
「俺がどれほど我慢していたか。……君は知らなくていい」
◇
私、エルナ・ハースの一番古い記憶。それは憎悪で顔を歪めた母の姿だった。
「お前のせいで私は旦那様から捨てられた。お前さえいなければ……!」
人間の住まう国、ベルク王国。そこに領地を持つ、とある伯爵様の私生児として生まれた私は、『魔力持ち』だった。
魔力とは、人間の敵『魔族』が使う不思議な力のこと。よって魔力持ちの赤子は不貞の証とされ、母親は魔族への内通者とみなされる。伯爵様の屋敷で働く使用人だった母は、私の誕生と同時に解雇され追い出された。
女手一つで、きっと苦労したのだろう。
母は五歳になった私を捨て、若い男と一緒に消えていった。
そして私は町の教会に併設された孤児院に引き取られた。
「神父様、お洗濯が終わりました。夕飯のスープもできています」
「ありがとう。エルナの料理は優しい味がするから好きなんだ。あと、庭の掃除もしておいてくれるかい?」
孤児院で面倒を見てくれた神父様は、いつも穏やかで笑みを絶やさない理想的な人。だから私は少しでも神父様のお役に立てるようにと、毎日料理をしたり雑用をこなしたり、年下の子供たちの世話に明け暮れた。疲れた体に鞭打って、月明かりの下で必死に文字を勉強して知識をつけた。
新聞が読めるようになった頃。虐げられることが常の魔力持ちが、傷を癒す回復魔法を習得して活躍しているという記事を発見した。どうやらそれは年若い青年らしく、戦争で大活躍しているらしい。
……私にも出来るかもしれない。傷を癒すことができるようになれば、人の役に立つことができる。人目につかない場所でそっと魔力を放出して魔法の練習もしてみたが……。私には上手く使えなかった。
珍しい銀色の髪を持つ私には何度か身元引き受けの話も舞い込んできたが、引き取り手たちは、私の金の虹彩を見て眉を顰める。
「銀の巻き毛は綺麗だけどね……この目、魔力持ちでしょ? いくら器量が良くても、魔力持ちじゃ……ねぇ?」
いくら努力したって、私を引き取る人はいなかった。
町の人々は私を見てはヒソヒソと喋り、後ろ指を指す。酷い時には身体的な暴力すら受けた。……だから私は人前に出るのが怖くなって、教会の外に出ることは少なくなった。
それでも、孤児院にいられるのは成人するまで。
……このまま孤児院で働かせてもらえないだろうか? 優しい神父様なら受け入れてくれるかもしれない。
そう信じて交渉しに向かったのは、二十歳となる一ヶ月前のことだった。
「エルナ! 喜んでくれ、留学が決まったぞ」
「え?」
孤児院で働きたいと告げる前に、神父様は涙を流しながら私に一枚の書類を渡した。
そこに書かれていたのは、私の名前と国王の署名。そして……私の留学先。
「ま、魔界グランノクス?」
魔界とは、魔族が暮らす世界のこと。
「私が、留学……魔界に?」
「国の特待生制度に申し込んでおいたんだ。これでエルナは、公費で勉強が出来る。……こっそり魔法の練習をしていたのを知っているよ。人を癒す魔法に憧れているのだろう? 向こうで習ってきなさい」
「魔界に行って帰ってこれるの? 魔族って獣の姿をしていて、人間を快楽目当てで殺したり食べたりしちゃうような種族だって、神父様が……」
「公費で勉強しに来ている留学生を殺すなんて馬鹿のやること。それともエルナは、何か私を怪しんでいるのか?」
少し考えてから、私は首を横に振った。
優しい神父様が私のためを考えてしてくれたことだ。私は国の決定通り、魔界へ留学することに決めた。
……でも私は聞いてしまった。
「神父様、エルナを上手く追い払えて良かったな」
「国は魔力持ちも人として扱えって言うけど、魔族と内通者の子供だもんな。殺してやりたいくらいなのに、真面目にエルナを育てた神父様のことを尊敬するよ」
出発前日。しばらく会えなくなる神父様に手紙を渡すために彼の元へ向かった私は、思わず柱の影に隠れた。封筒を胸に当てたまま、そっと様子を伺う。
時折教会に通ってくる近隣住民二人が神父様に話しかけていた。
神父様は優しい人だ。だから私を追い払えて良かったなんて考えているはずがない。
……そんな私の希望は簡単に砕け散ることになる。
「獣の姿をした魔族は、仲間であるはずの魔力持ちを一番に狙って襲いかかって、周囲の人間にも被害をもたらす。……エルナのせいで教会が襲われるなんて冗談ではない。ここ数年は教会の警護費用も嵩んだし、随分と気が滅入った」
「まさかずっと世話してくれていた神父様に疎まれていたなんて、エルナは思ってないんだろうな」
手から封筒が落ちる。ひらりと舞って水溜りに落ちたそれをしゃがんで拾い、グシャリと握り潰してから、そっと首を横に振った。
……神父様は悪くない。両手で手紙を挟むようにして皺を伸ばし、水気を切る。
「私を必要としてくれる人なんて……初めから一人もいなかったのね」
涙は出ない。代わりに手紙から滴った水分が腕を伝って肘から地面に垂れて、地面に水玉模様を作った。
出発の朝、二度と会うことはないであろう神父様が「勉強して戻っておいで」と嘘をつくので、私も笑顔で嘘をつく。
「いつかきっと、人の役に立てる私になったら神父様の所に帰ってきますね」
二度と帰ることはないだろう。行く先がどんな場所であろうとも、ここに居るよりはきっと──。
そんな気持ちで私は魔界へと旅立った。
1週間で完結まで投稿します!
よろしくお願いいたします(*´꒳`*)




