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もってこいの話

作者: 実茂 譲
掲載日:2010/05/05

「昔々、あるところに若い夫婦がおった。たくましく皆に好かれておった男と心優しく美しい妻は幸せに暮らしておった。しかし、赤く焼けつく不吉な風が吹いた年の夏、残酷な流行病で妻が死んでしまった。男は歎き悲しみ、なんとか妻を生き返らせたいと思い、その美しい骸を神殿に連れて行った。神殿の祭壇に捧げられた者の命は再びこの世に甦るという。しかし、祭壇に横たわる妻はいつまでたっても起き上がらない。男は年老いた司祭にすがりつき、妻の命を取り戻してくれと泣いて頼んだ。老司祭は言った。

『人が死ぬのは世の理じゃ。それを覆すのは並み大抵の努力ではかなわんのだ。命を司る神の愛を受けられるだけの努力が必要じゃ。辛く厳しく誰も成し遂げたことのない試練じゃ。おぬしにそれを成し遂げる自信と覚悟があるか? あるならおぬしの妻の命を甦らせるその試練を教えよう』

 男はうなずいた。

『わしがこれから述べることを成し遂げよ。まず、ここから東の国に行き、悪しき王を討て。この王は民を虐げ、娘を拐かし、無実の聖者を獄につなぎ、己は贅の限りをつくしておる』

『次に南の海へ行け。船を沈めて、島を呑み、人も魚も食い尽くす、石の皮と鉛の鰭で大洋を統べる貪欲な大海蛇を狩るのじゃ』

『蛇を狩ったら、西の谷へ。地獄の火炎を喉に宿し、鋼を引き裂く爪と傷つくことを知らぬ鱗、生けとし生けるもの全ての陽を遮る大きな翼を持つ悪竜を倒すのじゃ』

『最後は北の山じゃ。吹雪を自在に操り、山ほどの体を揺すれば雪崩を起こし、氷塊で山々を閉ざし、生き物を寄せ付けぬ巨人を退治するのじゃ。わしが挙げた怪物たちはいずれも手強く、情けを知らない。抗えば、おぬしに最も残酷な死を与えるだろう。彼奴らに敵うものが出たことはない。それでもおぬしはこの試練を受けるのか?』

 男はうなづいた。老司祭もうなづいて厳かに言った。

『ではゆくがよい』

 男は旅立った。

 男は東の国に辿り着いた。その国には司祭が言ったとおり、悪王が君臨し、人々を苦しめていた。誰も信じない王は出歩くときも床につくときも忠実な百人の大兵を常にそばに置き、暗殺者を近寄らせなかった。男はあきらめなかった。男は八年かけて怪鳥の羽を手に入れた。その羽はふっと息を吹くだけで、地の果てまで飛んでいくほど軽いという。その羽を矢羽根に矢をつくり、弓につがえて放った。はるか遠くから射られた矢は王の胸を貫き、王を殺した。民は喜び、男を称えた。

 男は南の海へ向かった。全ての船は木片と化し、荒くれ水夫はみな海を恐れていた。例え百枚の金貨を積まれても、海には出たくないという。男はあきらめなかった。斧殺しと呼ばれる堅い大木を十年かけて切り倒し、それで小舟を作った。男は船を出し、大海蛇を見つけるとその舳先で喉を突き、蛇を殺した。港の船乗りは喜び、男を称えた。

 男は西の谷に入っていった。草一本、陽光一筋入らない深い谷底に悪竜は眠っている。その焔はあらゆるものを焼き尽くすという。男はあきらめなかった。薄汚れ人々から忘れられた盾を十八年かけて磨いた。盾はどんな攻撃も跳ね返す聖なる盾だった。男は谷に赴き、盾で竜の火炎を跳ね返した。竜は己の炎で滅び去った。旅人は喜び、男を称えた。

 男は北の山を目指した。吹雪は止むことなく、山は凍りに閉ざされて、足を踏み入れるものはみな飢えと寒さで死んでしまうという。男はあきらめなかった。男は麓の番小屋で二十五年待った。二十五年目に今までないほど暖かい春がやってきた。吹雪は勢いが弱くなり、氷にはひびさえ入っていた。男は春を従え、山に登り、巨人と対決した。巨人は春の温みによって溶けて死んだ。山の番人は喜び、男を称えた。

 男は全ての試練を見事成し遂げた。試練の年月で男は年老いた。髪も髭も真っ白になり、その姿は神仙の厳かさを佩びていた。悪王を討ち、大蛇を滅ぼし、悪竜を殺し、巨人を倒した男はすでに伝説になっていた。男を知らぬものは誰もいなかった。男を称えないものは誰もいなかった。命を司る神さえも男を認めて、男を愛した。

 男は神殿へ向かった。老司祭はすでに世を去っていた。男は約束の試練を果たし、妻は甦る。立ちはだかる試練に屈しそうになったとき、男はいつも妻のことを想った。妻は男に力を与えた。妻への愛は男を不屈の勇者に変えたのだ。

 男は甦った妻のあの優しい笑みを期待して、祭壇に登った。しかし、そこに妻の姿はなかった。男が旅立って後の永い時間の中で妻の骸は朽ちて消えてしまったのだ。妻の魂は器をなくし、甦ることはかなわなかった。男は膝を屈し、祭壇に伏すと泣いた。男は三日間泣き続け、そして力尽き死んでしまったそうな」

 従軍司祭は農道脇の空き地で穴を掘り終えスコップによりかかる兵士たちに説いた。穴は八つ掘られていて、いずれも細長く、そして深い。穴の横には薄汚いカーキ色の細長い袋が置いてある。袋には何か人のようなものが入っていた。

司祭は大仕事をやり遂げ満足いったふうに首をまわすと付け加えた。

「この冗漫なおとぎ話の教訓はだな、諸君。どんなに頑張っても死んだものは生き返らんということだ。じゃ、ちゃっちゃと埋めるのだ」

 兵士たちは二人一組で袋を持ち上げると穴に放り込んだ。土をかけているその様を眺めながら、従軍司祭は煙草入れから一本取り出し、火をつけた。

「いいかね、諸君。あの哀れな男は一生かけて下らん冒険ごっこに興じ、そして全ては徒労に帰したわけだが、彼にまず必要だったのはなんだと思う? ん? 生物の教科書さ。葬儀屋の手引き書でもいい。めくれば書いてある。生き物は死ねば腐るとな。土壌細菌に分解されて消えてなくなるのだ。これさえ分かっていれば、本当に必要なものはおのずと分かる。それは穴だ。諸君がこしらえたようなものだ。あと死体にかける石灰かな。さっきのおとぎ話であえて省いたが死体が腐れば、そりゃあ酷い臭いさ。それが例え心優しく美しい妻の骸でもだ。諸君も一回は出くわしたことがあるだろう? 水道管に詰まったネズミの腐乱死体。ネズミの大きさであの臭さじゃ、人間の大きさになったときにはそれはもう酷いもんじゃて。おえっ。故人との良き思い出も台無しだ。手遅れになる前に埋めにゃならん」

 どんよりした曇り空だった。各人めいめい穴をふさぎ終わり、スコップで叩いて地面を固めていた。一仕事終わった兵士たちは湿気た煙草に火をつけようと苦心していた。鼻に大きな瘤のある兵士が煙草をちぎって呑み込んだ。

「おまえもちぎって呑んじゃえよ。こんな天気じゃ火もつきやしねえ。何もマッチを無駄にすることもねえや」

「あとで吐き出すのが面倒じゃねえか。髭が汚れるしな」相棒は口元、顎、頬に髭をたくわえていた。

軍帽を横っちょにのせた若い兵士が折れたマッチを放り、吐き捨てるように言った。「おとぎ話のドラゴンだっけ。何でも燃やせる火を吐くとか言ってたな。このシケモク、火ぃつけられるもんならつけてみやがれってんだ」

 瘤のある兵士が言った。「あの話、どう思う?」

 髭の立派な兵士が答えた。「なあに、どうってことねえ。女房が色狂いなのさ。心優しく美しい? へっ、バカ言いなさんな。やさしいと美しいが並び立った女なんて、俺はいままで一度も見たことねえ。俺の母ちゃんは、そりゃ優しかったさ。でも、酷いブスだったな。戦争前に近所で評判の美人がいたが、今じゃ旦那を捨てて駆け落ちしてどこでなにしてるのやら。俺が思うに、このおとぎ話の心優しく美しい妻とやらはな、村中の男と懇ろにやってるのさ。知らねえのは亭主だけ。とんでもねえあばずれだ」

「何でそう思う?」横っちょ軍帽を取り、汚い布で額を拭きながら若い兵士がたずねた。相棒の古参兵も興味津々で埋めたての墓を踏んづけてやってきた。

「話の通りさ」髭の兵士が答えた。「女を置いて、男が旅に出た。帰ってきたらいなかった。よくあることさ。淫乱女房の作戦だ。女は死んだふりをしてただけ。そうやって体よく旦那を追っ払って、別のやつといっしょになったのさ。そこで問題なのは相手は誰か?」

「じゃあ、医者が怪しいな」古参兵が自信たっぷりに手を打った。「脈を取るふりして、手にキスして(ここで彼は自分の手の甲にキスして見せた)、亭主にはご愁傷様。偽の死亡診断書で騙くらかして、亭主が消えたら、まんまと院長夫人って寸法よ」

 若い兵士はハンカチ代わりの布をポケットにねじこむと軍帽をまた横っちょに被りなおした。

「司祭のじじいも怪しい」古参兵は従軍司祭に注意しながら声を潜めた。「絶対できない無理難題押し付けて、帰ってこれねえようにしておいて、頂いちまったんだろう。おっかねえじいさんだぜ」

「因業じじいだ」若い兵士がうんうん頷いた。

「両方かもな」髭をしごきながら兵士が言った。彼はこの四人の中でもっともひねくれていた。「何も片っぽだけで我慢することもねえんだ」

「男も旅先でよろしくやりまくったってことはないかな?」瘤の兵士は釣り合いを取ろうとした。この男はわりと夢見がちだった。しかし、女の不貞を否定するほど世間知らずではない。

 髭の相棒がうんざりした感じで手を振った。「おいおい、兄弟、勘弁してくれよ。こいつが旅の途中でやってたことって何だ? 八年も鳥追っかけまわして、十年も斧振り回して、十八年もきったねえ盾磨いて、二十年ぼけっとしてただけじゃねえか。いいか、おまえが仮に女だとして……変な顔すんない、仮にだ、仮に。もしもの話だ。おまえ、こんなウスバカに惚れるか?」

 瘤の兵士はちょっと考えて答えた。「惚れるかも知れねえな」

 髭の兵士は付き合ってられないといった様子で首を振った。

「二十五年だ」古参兵が横から加えた。

「何が?」髭の兵士がぎょっとした。

「ぼけっとしてたのは二十五年だ。記憶力にゃ自信があるんでね」古参兵は気取って言った。

「二十五年ならなお始末に終えねえな」若い兵士が相槌を打った。

「ちぇっ。どっちでもいいじゃねえか、そんなもの」髭の兵士は間違いを指摘されて面白くなかった。

「ひでえ話さ。まあ、人を埋めるときにゃ、もってこいの話だがね」

「げえっ、ぺっぺっ」瘤のある兵士が煙草を吐き戻し、反吐を埋め立ての墓にひっかけた。

「うへっ、きたねえな」若い兵士が毒ついた。




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― 新着の感想 ―
[一言] 楽しく拝読致しました、みんな吐くのも楽しいです。(人の不幸を) 素直な性質ですから、妻のために二十五年ぼけっとしてられた(作者的にはこれが一番辛いのですね?)夫には二十五年(合計ですから概…
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