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細川の隠蔽



 視線を逸らそうとしたその瞬間、隣の客が大きな声を上げた。


「おおっ! 誠ちゃんじゃーん!」


 え? と兎衣が思わず口を開くと同時に、誠がこちらに視線を向けた。彼は面倒くさそうに眉を寄せながらも、客の顔を確認すると口元だけで笑みを作る。


「……ああ、細川さん。どうも」


 誠はゆっくりと近づいてきた。兎衣は隣の客――名字は細川というらしい――を見た。

 細川は以前、誠に営業をかけられて面倒そうにしていたはずだ。どうして互いを馴れ馴れしく呼ぶ仲になっているのか。


「た、たけちゃん、いつの間にその人とそんな仲良く……」

「ああ、俺、この前言ってたアレで誠ちゃんの病院行ってさ。ほんとすぐ終わってよかったよ。風俗の子とかもよく通ってる場所だから検査フルセットとかあってさあ。クラミジアだけじゃなくて淋菌とかHIVとか梅毒とかも一気に調べてもらえたんだよね! ヘルペスとコンジローマも誠ちゃんが視診してくれて~まあ、引っかかったのクラミジアだけだったんだけど」


 豪快に笑いながら話す細川の横で、兎衣は何とも言えない気持ちになっていた。

 誠は無表情のままほんの一拍だけ兎衣の顔に視線を止めた。

 それでもあの時の冷たい声が頭の中に鮮明に響く。


――『俺の車を汚したら殺す』


 パフェの甘い味が喉の奥で詰まったような気がした。

 迷惑をかけてしまった分、気まずくてできれば会いたくなかった人物である。

 内心関わりたくないと思っている兎衣とは違い、客の方は積極的に誠に声をかけていく。


「つか誠ちゃん、聞いてよ」

「はあ、どうしたんですか?」

「誠ちゃん冷たっ! 最初はあんなにニコニコ笑いかけてくれたのに!」


 興味なさげな声音で聞き返しながらカウンターの奥の席に座る誠に、細川はギャンギャンと文句を言う。

 そして、笑い話のように頭を掻きながら打ち明けた。


「俺、誠ちゃんとこ行く前に嫁と久しぶりにしちゃったから、嫁も危ねえかも!」

「は?」


 薄暗い店内で、誠の瞳がぎらりと光ったように見えた。


「うつした可能性があるならパートナーもうちに連れてきてください。症状があるなら保険適用なので特別な理由がなければうちじゃない方がいいですが」

「あ、違う違う。嫁がなんか言ってるわけじゃないし、大丈夫だと思うけどちょっと心配だな~って話!」

「は? 放っておく気ですか? あなたは陽性なのに?」

「心配しすぎだって。一回ヤっただけだし大丈夫っしょ」

「可能性があるなら連れてきてください」

「いや、ムリムリ! 連れてけないよ。なんて言って連れてくわけ? 俺が浮気したってバレんじゃん」


 店員からメニューを渡された誠の手に力が入るのが分かる。

 何だか緊迫した空気を感じ取り、兎衣はごくりと唾を飲み込んだ。


「報告者によりますが、女性性器のクラミジア感染症の半数以上がまったく自覚症状を感じないとも言われています。本人が何も訴えていなくても、もし感染していた場合、放置すると卵巣炎や骨盤内炎症性疾患、肝周囲炎や子宮外妊娠、不妊症になる可能性もあります。女性側の身体に関することです。連れてくるかこないかはあなたが決めることじゃない」


 誠が喋るごとに細川の顔から笑みが消えていく。誠と細川、兎衣しか座っていないカウンター席に気まずい沈黙が流れる。

 「お水お持ちしました」と何も知らない店員が横から手を伸ばして誠の前にグラスを置いた。

 しばしの無言の後、細川が意を決したように口を開く。


「……なあ、俺の薬を粉にして嫁の食事に混ぜるとかできないかな? そしたら嫁も治ったりして~……あはは。ほら、薬飲んでくれない認知症の人には味噌汁に混ぜて飲ませるって言うじゃん?」

「一回四錠の薬を全部粉にして入れる気ですか? つか、検査しないで適当に抗生剤入れるなんて最悪です。もし耐性菌ができたら後で病院に来ても検査結果が正しく出ません」

「いやいや! でもどう言って連れてきゃいいんだよ!?」

「往生際が悪いな。諦めて浮気したって白状して連れてこい、嫁!」

「やだ! 別れたくねぇもん! 俺嫁に捨てられたら死ぬ!」


 痺れを切らしたようにキレる誠に負けじと反論する細川。

 しかし誠は冷たく正論を返した。


「じゃあパートナー以外の女とヤるなよ」

「いやそれとこれとは別! 誠ちゃんも男なら分かるっしょ!?」

「俺は少しでもリスクのある相手とはしねぇし生でもしない」

「誠ちゃん処女厨!?」

「慎重だと言ってくれ」


 言い争う二人を横目に、兎衣は話には入らずにパフェをスプーンですくった。

 思い出すのは、父の浮気が発覚してからどんどん壊れていった母の姿だ。


「じゃあ、俺が完治した後に嫁とヤりまくってさ、それでまた検査しにいくから、その状態で俺が陰性なら嫁にはうつってないってことでいいんじゃね!? そうだ、そうしよう!」


 細川はどこかそわそわしたように手元のスプーンを揺らし、回りくどいことをやろうとし始めている。

 打ち明けるのが遅くなれば、細川の妻の身体に悪影響が出るかもしれない。しかし打ち明ければ、細川の妻は――そして、子供は。


「ねぇ、たけちゃん。もう二度とやらない?」


 兎衣は横から強引に口を挟んだ。




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