サクラとの食事
サクラは何も言わずに目を伏せる。
微妙な間が開いた。店内にはゆるやかなジャズが流れ続けている。
「あっ! でも、サクラさんの考え方を否定したいわけじゃなくて! 私はこう考えるよ~っていう……」
「……そうね。そういう考え方も素敵かも」
慌てて補足する兎衣に、サクラはふっと悲しげに微笑んだ。
「カオルちゃんは将来、子供を産みたいと思っているの?」
何気なく放たれたその問いに、兎衣は一瞬まばたきし、少しだけ照れながら言った。
「今はそんな相手いないですけど、将来的には……」
指でストローをくるくる回しながら、兎衣はぽつぽつと語り始める。
「理想は、頼りになるイケメンの旦那さんがいて、でも仕事が忙しいから出張多くてなかなか会えなくて。私は子供と二人で楽しく暮らしてて、晩ごはん一緒に食べて、寝る前に絵本読んであげたりして……で、ある日突然旦那さんが予告なく帰ってきて、サプライズって言って花束持っててきゃ~ってなりたい! やっぱり男の人にはいくつになっても定期的にサプライズされたいな~」
思い浮かべるだけで楽しくなってきて、兎衣の声はどんどん明るくなっていく。
「別に完璧じゃなくてもいいけど、家族がいて、お母さんとしての役割があって……って、そういうのには憧れるかも」
兎衣はそこまで語ってからカップを持ち上げて一口飲み込み、満足してふぅと息を吐いた。
同時に、昔の自分の両親のことを思い出した。兎衣の母親と父親も、昔はとても仲がよく、兎衣が話した妄想話のような生活を送っていた。
幸せなんていつ壊れるか分からないものだ。それは兎衣もよく知っている。でもだからこそ――新たな幸せを自分が作れないものかと、望まずにはいられない。
「へえ」
サクラはそんな兎衣を見つめながら、抑揚のない相槌をうった。
さすがに妄想を語りすぎたかもしれない。兎衣は恥ずかしくなって咳払いをしてごまかす。
そして、自分の話ばかりしていてはいけないと思い、サクラにも話を振った。
「えと、サクラさんはやっぱり……」
「家庭を持つ気はないかな」
サクラがこれまでと変わらぬ声のトーンで即答する。
「子供って嫌いだもの。ああいう存在って、誰かに頼らなきゃ生きていけないうえに、泣くか食べるかしか能がないでしょう」
美しい顔で放たれる言葉には棘がある。自分に言われているわけでもないのに体が緊張した。
「……や、でも、今はそう感じてても、産んでみたら感じ方が変わるかもしれないですし! 自分の子供は可愛いってよく聞きますよ? 物は試しです!」
「カオルちゃんはそんな、やってみたら好きになるかもしれないっていう、陶芸体験みたいな気持ちで子供を産む気なの? 下手したらその後百年以上生きていくような生命体を、物は試しで?」
サクラがくすくすとおかしそうに笑う。
食べ終えた食器を店員が下げていく。カフェの店内は、昼の混雑が過ぎて、今は落ち着いた空気に包まれていた。
サクラは宣言通り兎衣の分まで奢ってくれた。
レジを済ませて外に出ると、秋風がふっと髪を揺らす。陽の光がまだ優しかった。
「……今日は、ご馳走様です。ありがとうございました」
兎衣はお礼を言って軽く会釈する。
「こちらこそありがとう。いい時間だったわ」
サクラも、いつもと変わらぬ笑顔を向けてくれた。
互いに背を向け、お互い別々の方向へと歩き出す。
手を振り合って別れたはずなのに、すぐに足が止まりそうになる。兎衣はスマホを握りしめながら小さくため息をついた。
(……ちょっと雰囲気悪くしちゃったな)
サクラの口調は穏やかだった。責めるような言い方をされたわけじゃない。でも、何だか機嫌が悪いようにも見えた。
いくら考えが違っても、あんなふうに真正面から反論するようなことは言わなければよかったかもしれない。
そんな風に思いながら、帰り道の信号を渡った。
帰宅後エレベーターに乗り、自分の部屋の扉を閉めて、ようやく靴を脱ぎ終えたその時だった。ポケットのスマホが震えた。
画面には、サクラの名前。
ドキッとしながら開くと、そこには短いメッセージが届いていた。
『また遊ぼうね』
その一文を見た瞬間、兎衣はほっとして小さく息を吐いた。胸の奥に詰まっていたもやもやとした霧が、ほんの少し晴れていくような心地だった。
「よかったぁ〜!」
嫌われていなかった。その確認ができただけで心が軽くなる。
兎衣は基本的に能天気で、言ってしまえば何も考えていない。無神経な発言で客を怒らせてしまったことも何度かある。
千香子にも、あんたはもっとよく考えてから喋りなさい! と怒られるほどだ。
折角仲良くなれたのにこれで終わりは嫌なので、サクラの方から連絡をくれたことが有り難かった。