新しい交流関係
美人なお姉さんとお茶。兎衣は何だかワクワクして、親指を素早く動かした。
『サクラさん、こんばんはっ! こちらこそ、あの後ちゃんと話せなかったから気になってました。お茶、ぜひ行きましょう!』
語尾に可愛い絵文字を付けて送信ボタンを押す。
兎衣は元々、交友関係がかなり広い。この街で色んなことに首を突っ込んで知り合いを増やしているからだ。この調子でいくとサクラも兎衣の友人の一人になりそうだった。
夜の仕事の合間、ふと差し込むこういう出会いは楽しい。ただしガールズバーの仕事で出会う男は変な人も多いので、同性に限るが。
「カオルさん、指名のお客さん来ましたよ」
ボーイが兎衣を呼びに来た。
近々楽しみができたことで気分がよくなった兎衣は、待機所に入ってきた時とは打って変わって、ステップを踏みながら部屋を出た。
入口の段差で転けかけた。
サクラとの再会は、早くもその数日後に行われた。
繁華街の喧騒から少し離れた場所。通りに面したガラス窓から秋の柔らかな陽が差し込む。
店名が小さく彫られた木製の看板の下、観葉植物が天井から吊るされている店内は、平日の昼下がりにしては賑わっていた。
「うわー……めっちゃオシャレ。SNSで見て気になってたんですよねえ。サクラさんと来れてよかったっ!」
兎衣ははしゃぎながらそう言って、サクラの向かいの席に腰を下ろす。サクラは笑って頷き、コートを脱ぐと、きちんと折りたたんで横に置いた。
二人の前に色とりどりの料理が並ぶ。兎衣はスモークサーモンとアボカドのオープンサンド、サクラはベーコンとマッシュルームのキッシュプレート。カフェラテの上にはふわふわのラテアートが揺れていた。
「改めて、この前はありがとう。ここはわたしが奢るわ」
「えっ! いいですよそんな」
「遠慮しないで。あのままじゃわたし、襲われてたかもしれないし。本当に助かったのよ。カオルちゃん、ヒーローみたいだった」
「ええ~? それほどでも……」
兎衣はフォークを手に取りながら照れ笑いを浮かべる。こんな風に褒められるのはかなり嬉しい。
その時。
窓際の席に、母親と幼い女の子が入ってきた。女の子は赤いカーディガンにニット帽をかぶり、少し緊張したように母親の手を握っている。注文を終えると、親子は静かに奥の席に腰を下ろした。
その可愛らしさにつられて、視線が自然とそちらに向いてしまう。
「かわいい~」
兎衣はフォークを止めて小声で呟いた。
けれど、正面のサクラの口元は少しも緩まなかった。視線だけをその親子に向けたまま、忌々しげに呟く。
「……可哀想」
兎衣はその発言が不可解で、ゆっくりとサクラの顔色をうかがった。
サクラは親子からすぐに視線を戻し、ラテを一口すすって言う。
「あの子はわたしたちよりも長くこの世にいなければならない。こんな汚い世の中に、わたしたちよりも後から生まれてきてしまって可哀想。きっとこれから、わたしたちよりも沢山苦しまなきゃいけないのよ。あの子は」
サクラの声音には哀れみが滲んでいた。
兎衣はすぐに否定しかけたが、まずはサクラの考えを聞きたいと思い言葉を飲み込んだ。
「ええっと……反出生主義的な意味ですか? 生まれてこない方がいい、っていう考え方の」
誕生の否定と出産の否定。苦痛の回避のためにもはや生まれてこない方がいい、子供を産まない方がいいという思想だ。サクラの発言には、そんな思想が垣間見えた。
「そう、その通り。病気、老衰、死、人間関係の悩み、社会の不条理、理不尽――人生は苦痛ばかり。なのにどうして人は人を産むのかしらね。動物と違って意志によって生殖を控えることができるのに。生まれた子供達が可哀想よ。カオルちゃんもそう思わない?」
兎衣は一度、口をつぐんだ。グラスの水に目を落とし、ストローをいじる。
「……私は、あんまりそう思わないかもです」
サクラがゆっくりと兎衣に目を向ける。兎衣はその視線をまっすぐ受け止めた。
「確かに世の中ってクソみたいなことばっかだし、私の身近でも社会の理不尽のせいで夜の仕事して苦しんでる人もいっぱいいる。でも、それだけじゃないかもとも思うんです。たとえば……誰かに助けてもらったり、笑ったり、美味しいもの食べたり、今日みたいにこうやって誰かとご飯食べたり……そういうのがあるから、私はまだこの世界にいたいって思える」
「…………」
「確かに苦しいことは多いですど、だからって生まれてきたこと全部を〝可哀想〟で片付けるのは、あの子のこれから全部を最初から決めつけてるみたいで、私はやりたくないです。生まれた意味とか価値って、本人が自分で見つけていくものなんじゃないかなって思います」