助けたキャバ嬢
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翌日、兎衣は少し早めに勤務先であるOnlyへと向かっていた。十九時からの早い時間帯にシフトを入れているからだ。
午後六時半、空は既に暗くなり始めている。曇った空を背景に、看板の光が一つ、また一つと灯っていく。冷たい風が吹き抜けた。兎衣は思わず肩をすくめながら、Onlyのあるビルまでの道をショートカットするために裏路地へと足を進める。
その時だった。
「いいじゃん、ちょっとくらいさ〜。店じゃ話せないこともあるでしょ?」
「だから、やめてって言ってるでしょ……。昼間から飲みすぎよ」
舌っ足らずな声と、それをはねのけるような女性の声が通りの角から聞こえた。兎衣が角を曲がると、ちょうどビルの陰になった場所に、男と女が立っていた。
女性は明らかにこれから出勤といったドレス姿だ。クラッチバッグを胸に抱え、ヒールを履いた足を後ずさりさせながら、男との距離を取ろうとしている。男は四十代くらい、酔っているのか顔が赤く、女性の腕に何度も手を伸ばしては逃げられている。
「そろそろさ、店通さずに会ってよ。俺、お前に数百万は貢いだよ?」
「本当に困る、放してっ……」
絡まれている女性は明らかに迷惑がっていた。
兎衣は足を止めた。
出勤時刻までもうそんなに時間がない。ただでさえ昨日は迷惑をかけて色んな人を怒らせているのに、下手に面倒事に首を突っ込んで遅刻なんてするわけにはいかない。
……でも、この街の女たちは競い合いだけでなく助け合いだ。
兎衣もあんな風に迷惑な客に襲われそうになったことがある。だから、困っている女性は放っておけない。
兎衣は二人の方へ、わざと弾んだ声で近付いた。
「あっ、やっと見つけた! ねえ、遅いんだけど~!?」
女性の目が一瞬、大きく見開かれる。
兎衣はそのまま女性の腕を取り、自然な笑顔で男に向き直った。
「すみませ~ん、この子の出勤時刻もう過ぎてるんで、悪いんですけど連れていきますね」
「おい、何だ君、俺はこれからこの子と――」
「お店の人ももう迎えに来てるんで。何かあるなら店の人と話してください」
ぴしゃりと言い切ると男は黙った。
兎衣は女性の手を引き、そのままくるっと背を向けて歩き出す。男が何か言いかけたが、あえて振り返らず堂々と歩き続けた。
数メートル離れてようやく男の姿が見えなくなった頃、兎衣は改めて女性を見上げた。ものすごく美人だ。長い茶髪をゆるく巻いていて、肌は滑らかで、唇には白い肌に映える鮮やかな赤が塗られている。まるで映画のワンシーンから抜け出してきたような人だった。
「……大丈夫ですか? 無理やり連れ出してごめんなさい。でも、なんか危なそうだったんで」
おそるおそる聞けば、女性はしばらく兎衣を見つめ、それからふっと息をついた。
「……ありがとう。助かったわ。あなた、もしかして同業?」
彼女の頬はまだ少し強張っていたが、どこか緊張が解けたようにも見えた。
「Onlyっていうガールズバーで、カオルって名前で働いてます」
名乗ると女性はにこりと笑った。さっきまでの緊張が嘘のように、その表情は柔らかく、美しさが一層際立っていた。
「カオルちゃんね。わたしはサクラ。club夢妃で働いてる」
「……club夢妃!?」
びっくりして声が高くなった。club夢妃はこの街で知らない人はいない、有名な高級キャバクラだ。
「あ、でも、全然順位は下で――」
「いや、あそこで働いてるだけでも凄いですよ!」
恥ずかしくなったのか謙遜しだすサクラに、兎衣はブンブンと首を横に振った。兎衣の動作の大きさが面白かったようで、サクラはふっと微笑む。
「Onlyってバニーガールのところよね? テレビで特集されてた」
「あっ、そうです。コスプレガールズバーです……って、もうこんな時間!」
兎衣はふとスマホを確認して再び仰天した。
「私そろそろ出勤なんでここで失礼します!」
早口で言って慌てて走り出す。
サクラが何か言いたげに口を開いたが、聞いている時間がないのでそのまま疾走した。
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その日の夜。兎衣は店内の喧騒から少しだけ逃れるように、待機室に腰を下ろしていた。眠気覚ましの冷たい缶コーヒーを一口啜り、スマホを取り出す。
時間は午後十二時前。接客はまだ半分も終わっていない。
昨日やらかした分今日は強制的にノンアルにされた。酒が入っていないのでいつもより勤務時間が長く感じられて憂鬱である。
ふと、Instagramの通知が来た。
『新しいメッセージリクエストがあります』
カオルとしてのアカウントへのメッセージだ。
何気なく開き、DMの送り主の名前を見て指先が止まる。
sakura_clubyumehi___というアカウント名で、アイコンには、今日の夕方助けたあの美人キャバ嬢・サクラの横顔が写っていた。
まさか連絡してくるとは思わず驚きながらDMを開く。
『カオルちゃんだよね? 今日は本当にありがとう。助けてくれた時、ちゃんとお礼できなかったから、今度お茶でもどう? お互い暇な時間は限られてると思うけど、カオルちゃんと話してみたくなったの」
わざわざアカウントを検索してお礼を伝えにきてくれるなんて、なんて律儀な人なんだろう。