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前と別人



 札幌の繁華街、すすきの。


 そこには数々の飲食店や居酒屋、娯楽施設が並び、昼夜を問わず人々が行き交っている。若者の夜の遊び場でもあり、ガールズバーやキャバクラ、ホストクラブ、風俗店も集積している。


 そんなビル群のうちの一つ、二階にあるガールズバーOnlyは、バニーガールのコスプレガールズバーだ。二階はアミューズメントカジノをイメージした内装で、カウンター席でキャストとお酒が楽しめる。三階のフロアにはダーツやカラオケがあり、観光客だけでなく地元民の二次会会場としてもよく利用されている。


 基本料金は他のガールズバーと比べて平均的か少し高いくらい。キャストの女の子にドリンクを奢るとそこからプラスしてどんどんお金がかかっていくという仕組みである。


 兎衣も、そんなOnlyのキャストの一人だ。


「兎衣、今日飲みすぎじゃない? アルコール抜いてもらいなよ」


 待機室のトイレで吐いていると、付き合いの長い別のキャスト――千香子が心配そうに兎衣に声をかけていた。

 ぴったりと体のラインに沿うネイビーのボディスーツに、光沢のあるうさぎの耳。この店の女の子はみんな、セクシーなバニーの格好をして客の相手をする。もちろん兎衣もそうだ。今、バニーの格好で嘔吐している。


「飲まなきゃ楽しくないでしょー!……うっ、おええ」

「明らかにもう無理じゃん。退勤させてもらうようにお願いしてくるから」

「まだまだいけるよぉ。……っおええ」

「ゲロ吐きながら何でそんな強気なんだよ」


 自分に出される酒だけこっそりノンアルにしてもらうこともできるのだが、兎衣は無類の酒好きで、弱いくせに毎回飲んでいる。いつもはここまですぐ吐かないが、今日は夕食を抜いてしまったせいで酔い始めるのが早かった。


「カオルさん、交代の時間です」


 ボーイが兎衣を呼びに来る。Onlyは客が指名しなければ二十分ずつカウンターの女の子が交代するシステムだ。呼ばれたからには行かなければならない。しかし、千香子が兎衣の体調を気遣ってか即座に反対した。


「ねえ、この子もう限界だから別の子回してほしいんだけど」

「だぁいじょ~ぶだってぇ! ゲロ止まったし行く~!」

「カオルさん……またですか。日付変わるまでシフト外してもらうんで少し休んでください」

「え~! 大丈夫って言ってるのにぃ~!」


 ボーイにまで呆れたような目で見られ、兎衣は不機嫌になって頬を膨らませた。


「はいはい、分かりましたよ。休めばいいんでしょ、休めば! 一階行ってきま~す」

「え、ちょっと、その格好のまま行くの?」

「着替えるのめんどくさ~い」


 兎衣はボーイが持ってきてくれた水のペットボトルを手に持ち、ふらりふらりと歩き出す。


 このビルは地下一階、地上六階建ての複合ビルで、一階には夜パフェの店とOnlyの職員用の休憩室がある。

 二階のフロアは暖房が効きすぎている分冷たい外気が恋しくなって、兎衣は休憩室を目指して一階に降りた。

 エレベーターから出て細い廊下を歩く。ずっと頭がぼんやりしている。ハイヒールで歩く自分の足音がやけにうるさく響いていた。


 曲がり角の向こうから誰かが歩いてくる。白いシャツの上にグレーのコートを羽織った、すらりとした男。その細い黒縁眼鏡に、見覚えがあった。


「あれぇ?」


 兎衣はぴたりと足を止めた。ほんの数秒で、脳内に名前と肩書きがよみがえってくる。


「あんた、この前の性病専門家じゃ~ん!」


 先日アフターの際に邪魔してきた医師である誠が立ち止まり、眉をわずかにひそめた。


「浮気隠蔽に加担してたお医者さんですよねぇ?」


 指を差しながらふらふらと一歩近づく。バニースーツの上にざっくりと羽織ったカーディガンが、ふらついたせいで片方の肩から落ちかけた。


「飲みすぎて辛いんですよぉ~お医者さんなら助けてくださいよ。薬とかないんですか? シャキッてなるやつ!」


 誠は目を細めてこちらを見下ろす。そして、低い声で言い放った。


「……誰だ? お前」


 ぴしゃりと空気が張り詰めた。


 兎衣は一瞬、聞き間違いかと思った。あの時はもっと快活に笑っていたはずなのに、今は愛想一つない。全然雰囲気が違う。声のトーンも違う。

 驚きすぎて酔いから少し冷めた心地だ。


「えっ……うそ。覚えてないんですか? この前名刺くれたじゃないですか」

「名刺なんか色んな奴に配ってる。いちいち相手の顔は覚えてない」

「配り歩いてるんですか!?」

「認知されるのが大事だからな」


 その声音にはひとかけらの温度もなかった。

 瞬間、また吐き気が襲ってきて、兎衣はふらっと壁にもたれる。そして訴えるように誠を見上げた。


「さっきからめっちゃ気持ち悪いんですけどぉ……どうにかなりませんか?」

「飲み過ぎるのが悪いんだろ」


 しかし、誠の口調は冷えきっていて、兎衣を突き放すようなものだった。


「酒が回ってからできることなんて気休め程度のことしかない。水でも飲んで、横向きで寝てろ」

「つ……冷た! それでも医者ですか、そもそも、浮気を隠せますよって誘い文句で自分の病院に来させるとかも、人としてどうなのって思ったんですけど!」

「どんな事情を抱えた患者でも見るのが医者だ。浮気してようが猿とヤってようが何してようが関係ない。患者が後ろめたさから病気を隠して孤立するのが一番最悪なんだよ」


 誠はそれだけ言って廊下をすれ違っていく。


 兎衣は、酒が回って思考力が低下している。誠が終始冷たい態度で、期待と違った対応をされたことにどうしようもなく苛立ちが募り、その苛立ちを制御できぬまま――


「待てこらぁぁぁあああ!」


 叫び声を上げて誠に飛びかかろうとした。





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