8 『ああ、誉れ高き英雄殿下!』
メルリーシュは天を仰ぐように天井を仰ぎ、片方の手を上げ、もう片方の手は胸に置き、お芝居のワンシーンのようにひざまずいた。
本人は大真面目な様子だ。
「ああ!誉れ高き英雄殿下!わたくしの母は人型妖精でメルリシュという森の出身なのですが、ええ、わたくしの名前は無論、そこにちなんでいるのですが、その森が寸でのところで魔王に破滅の呪いをかけられそうになったところ、第一王子殿下が魔王にとどめを刺してお救いくださったのです!我が身に魔王の呪いを受けてもなお、一歩もひかず、異種族である母らの森を守り抜いたそのお姿の神々しさは、エルフの血筋の者なら知らぬものはおりません!子々孫々まで語り継がれることでしょう!妖精王の再来と言われ、新たに編纂された『新・妖精王』 という本も…」
ゴソゴソとメルリーシュは自分にぶら下がっている大きな斜めがけのカバンから装丁の美しい本を一冊取り出した。
「このとおりっ!!わたくしの命の次に大切な宝として!!」
その剣幕にルートヴィヒとノルベルトはのけぞった。
すると一転。
メルリーシュはしおしおとうなだれる。
「高貴なお方とは思っておりましたが……それほどのお方に、こんなちっぽけなわたくしがお仕えするなどと…そんなお話は……やはりどう考えても……夢としか……。」
ショモショモと塩をかけられたなめくじのように溶けていく様相でしおれるメルリーシュに、ルートヴィヒとノルベルトは吹き出しそうになるのを懸命に耐えた。
「なんだ、メルリーシュ。私のことはわからなかったのに、ノルベルトのことはすぐわかるのか?」
メルリーシュを自分の腕の中に引き戻し、ルートヴィヒは少し意地悪な笑顔でメルリーシュを見下ろした。
「は、はい!わたくしが良く遣いに出されるグローサリーの女将さんがノルベルト王太子殿下の大ファンで、お店の壁じゅうにノルベルト王太子殿下の姿絵や引き伸ばした写真などが貼られているのです!商品の値段やチラシを貼る場所もないほどに!」
メルリーシュはルートヴィヒの苦い表情に全く気が付かない。
ルートヴィヒはメルリーシュの口から『ノルベルトノルベルト』と名前が出てくるのが面白くなかった。
「ほぅ。メルリーシュはノルベルトの方がいいのか。ではノルベルトと暮らすか?」
ルートヴィヒはつまらなそうに呟いた。
「えぇ!?そんなっ…わたくしはご主人様と一緒に居たいです!あなた様はわたくしをあの地獄から救いだしてくださった、神様のような方です!まさか救国の英雄殿下だったとは夢にも思わず大変なご無礼を致しました!け、けれど下女でもなんでも構いません!英雄殿下なら、足拭きマットにしていただいたって構いません!どうか、お側に置いてください!」
メルリーシュが必死に訴えると、ルートヴィヒは我慢の限界に達した。
ノルベルトも。
「足拭きマットぉ!?」
ノルベルトは腹を抱えて笑い出した。
ルートヴィヒも上機嫌だ。
「ハッハッハッハッハッハッ!!メルリーシュは私の方がいいか。そうか!!ハッハッハッハッハッハッ!」
「あ、兄上……。」
呪いを受けて以来、ずっと暗い顔をしてきたルートヴィヒが明るく笑っている。
その姿にノルベルトは笑いもひっこみ、喜びで涙が出そうなほどだった。
「…君は、メルリーシュというのかい?」
「は、はい、王太子殿下。お初にお目にかかります、メルリーシュ・レーマンと申します。」
「兄上を笑顔にしてくれてありがとう。詳しい事情はまた後で兄上から聞くとしよう。兄上をよろしくお願いできるかな?」
「いっ…いっ…一生懸命つとめさせていただきますっ!!」
「足拭きマットにはならなくていいと思うよ。」
「そ、そうでしょうか?とにかくお役に立てることなら何でも致します!!」
顔を紅潮させ、大声で返事をしたメルリーシュにルートヴィヒは目を細めた。
なんて可愛らしいのだろう、ルートヴィヒの……。
(私の…何だろうな、この子は。)
「ふぇ?」
ヒョイ、とメルリーシュを抱え、ルートヴィヒは膝に乗せた。
メルリーシュは困惑してキョトキョトしたが、…ひとまずは英雄殿下のなさりたいように…、と特に反応せずじっとすることにした。
ノルベルトは奇妙な光景に言葉を失っている。
(……なんだこれ…なにをしてるんだ…兄上…。)
膝に乗せたメルリーシュの髪に顔をうずめるルートヴィヒ。
「あの、 第一王子殿下、あの、いけません。」
「ん?何がだ?」
「あの、わたくし、大変長らく体を洗えていないのです。井戸の水で絞ったタオルで拭いているだけでして。その、つまり、言うまでもなく、はずかしながら、く、クサいと思うのです。」
「んー。埃っぽいような土のようなにおいはするが、臭くない。チッ…、風呂にも入れてもらえてないとは。今思い出しても忌々しい。土に生き埋めにしてやったら良かったな。 よし!今日はたっぷり泡立てたソープで洗ってやらないとな。何の香りが好きかな?ローズ?ゼラニウム?」
「そ、そ、ソープで!?」
「ああもちろん。何の香りがいい?」
「第一王子殿下と同じ香り…は…図々しいでしょうか…。」
「え…?」
「すっ、すっ、すみません!ず、図々しいですね!そのっ、第一王子殿下は、とても良い香りなもので…!」
「どこまでも可愛いやつめっ!!」
「ひぇ!」
ガバリとルートヴィヒがメルリーシュを抱きしめる様子にノルベルトはのけぞった。
(てゆーか、僕の存在を無視しないでほしいんだけど…)
「私はミルクのソープに、少しウッディーノートの香油をたらしている。ではメルリーシュもそうしようか。」
はわぁああ!と、メルリーシュが目をきらめかせた。
「ふふ。嬉しいか?」
「最高です!第一王子殿下、ありがとうございます!」
「その、『第一王子殿下』 というのもやめよう。これからここで共に暮らすというのに堅苦しくていかん。」
ルートヴィヒがメルリーシュの頭をフカフカと撫でる。
「とっ、共に!?ここで!?し、使用人用の宿舎があるのではなく!?」
「うん。無いな。」
(あるよね?)←✳ノルベルト
(使用人にする気にはとてもなれないな……。結婚もしてない俺が養女を、というのも変な話だし…。ああ、弟子!弟子ということにするのがいいな。)
「君は今日から私の魔術の弟子だ。」
「わっ、わたくしを弟子にしてくださるですか!?」
「そうだ。君は、私をルー兄様と呼びなさい。」
(「ルー兄様ぁ!?」 )
吹き出すのを耐えるノルベルトにルートヴィヒはジロリと一瞥する。
「む、無理です!『兄様』だなんて馴れ馴れしすぎます!る、「ルー様」でも宜しいですか?」
「う〜ん…。まァいいか。私は君を『メル』 と呼ぶが、いいかな?」
またメルリーシュの瞳がきらめく。
それは亡き両親がメルリーシュを呼んでくれたときの愛称だった。
「よっ、よっ、良いに決まっています!!」
ほぼ悲鳴だった。
ノルベルトは存在感を示すためンンッと咳払いした。
「あ、兄上、一応僕から父上達に説明しておくけど、絶対に明日には詳しい話をしにきてよ?」
「ああ。」
「絶対だよ!?」
「わかったから騒ぐな。…それから、明日でいいから、マーガレットかアリーナをこちらに寄越してくれないか。女の子の世話で気をつけねばならないことを一通りきいておきたい。」
マーガレットは父の乳母もつとめていた元侍女長で現役を退いた今も侍女達の指南役。父王は未だに頭があがらない。
アリーナはその娘で今の侍女長。
二人はザイードの祖母と母だ。
「世話!?兄上が!?」
「お、お世話はわたくしがさせていただくのですよね?」
「あ、ああ。そうだけど、一応ほら…。まぁ、色々あるんだ。」
「…ああ、その方々から、お仕事を教えていただけるのですね?」
「あ、ああ。まぁ、そんなところだ。」
「まぁ!楽しみです!」
ノルベルトは二人のやりとりにポリポリと頬をかいた。
(膝にのせて大事そうに抱えて…どうみても兄上が世話をする気だよな…。兄上ってひょっとして…ロリ…っ、まぁいいや。)
「じゃ、じゃあ僕はこれで。」
「ああ、頼んだぞ。」
「因みに、僕も『メル』 って…」
ギロリとルートヴィヒが睨む。
「あ、ダメなんだね。それから、兄上はメルリーシュを洗ったりしたらだめだよ?」
「はぁ?」
「何を不思議そうな顔をしてるんだよ!当たり前だろ!すぐに使用人を一人寄こすから!」
「別に不要だが…」
「兄上は不要でも必要なんだよっ!すぐ呼んでくるからっ!」
来たときと同じように、大慌てでノルベルトは出ていった。
「お忙しいのですね、ノルベルト王太子殿下は。」
「うん。アイツのことは気にするな。」
今日以降、ルートヴィヒの毎日は今までと比べようもないほど、楽しいことで満ちあふれそうだ。
目をかがやかせてキョロキョロと部屋の中を見回すメルリーシュを眺め、ルートヴィヒの目も輝くのだった。