6 意外と温かい家族
宮殿に戻ったら夕方だった。
昨夜は各国から使者があつまるパーティーの主賓である自分が抜け出したのだから、叱責を受ける覚悟だった。
ルートヴィヒは宮殿には住まず、宮殿の敷地内の庭に木々を生い茂らせ、その奥に建てた『離れ』と呼んでいる小さな屋敷に一人で住んでいた。
直接そこに戻ろうかと思ったが、せめて先に挨拶ぐらいはするべきだと思う。
詫びるつもりは毛頭ないが。
あんなパーティー、形だけの忌み嫌われた主賓より、国王と王妃、王太子がいれば充分だったはずだ。
今後の事はそちらで勝手にしてくれと言うつもりだった。
「兄上!!」
王宮に到着するなり、心配げな顔で駆け寄る弟と両親に、意外な心地がした。
まだ自分を心配してくれるような心が、家族に残っていたとはと。
「よかった。まったく!本当に心配してたんだよ!?父上も母上も、僕だって、一睡もできなかったよ!」
「ああ、ルートヴィヒ…。あなた一体どういうつもりなの!?どれだけ心配したかわかって!?本当にっ…本当によかった!今度こそ世を儚んでしまうんじゃないかって…わたくし…!」
王妃である母はさめざめと泣き出した。
いつも感情を表に表さぬ両親が憔悴しきっている。
想定外のことにルートヴィヒは言葉を詰まらせた。
顔に切り傷やアザをたくさん作ったザイードが走りよってきた。
「殿下!よかった。無事にお戻りくださったんですね。」
「ザイード!?なんだその顔は…。」
「あの無礼者四人をブチのめしてやったんですよ。」
ザイードは今にも誰かに噛みつきそうな顔をして言った。
「お、お前、一人で四人を相手したのか!?」
「魔王討伐の筆頭隊の俺が、あんなナマクラ四人を相手に怪我するなんて、むしろ恥ずかしいですよ。あのうちの一人が卑怯にも魔道具を持ってやがって。それでもちゃんと、四人とも捕まえましたよ。」
「あいつらが吐いた暴言は全て白状させて、映像で記録して、それぞれの国に送っておいた。本人たちは地下牢につないであるよ。兄上もあとで気がすむまで殴ってやるといい。」
「まったくよ!よくもあんな暴言をっ!一体、誰のお陰で平和な暮らしができると思っているのかしら!わたくしだって、さっき鞭で滅多打ちにしてやったわ!」
母はかつて魔法剣士として父の側に仕えていた頃を思い出したように目をギラつかせている。
「ああもう…そんな君も素敵だけど、とにかく少し落ち着いて…。」
「だってわたくし、悔しくてっ!!昔あのゴシップ紙の記者を血祭りにあげてやった時のことを思い出すわ!」
「ああ…あの時も相当頭にきたなぁ。」
「国のためにこんな可哀想な姿に変えられた我が息子を、『魔王』呼ばわりよ!?広場にはりつけにして、下から火を焚いてやろうと思ったわ!」
「ああ…それ、僕が止めたやつ。」
「そう!ノルベルトが止めたのよね!なぜ止められたのか今でもわからないわ!」
「母上…過激すぎると『皆と足並みをそろえて』って平和を唱ってる我が国のイメージが台無しになるでしょう…。そういうのは密かにやらなきゃ…。」
「ルートヴィヒがかわいそうで…直視できない…ううぅ…うぅぅ…(泣)。」
存外、メルリーシュの言うとおりだったようだ。
思ったより遥かに、自分は家族に必要とされていたらしい。
なぜ気がつかなかったんだろうか。
自分の不幸に酔いすぎていたのかもしれない。
昨日は最低な日だったけど、今日は一転して最高の日になった。
「…驚いたな。」
「ん?兄上、何が?」
「…いや…。もう、俺は、この家族にとって用無しだと…思っていたんだ。」
「「「………………………………………………………は?」」」
たっぷりの間のあと、異国の言葉でも聞くような反応でノルベルトと両親はポカンと口を開いた。
「…誰がそんな的はずれなことを言ったんだ?それこそ八つ裂きにするから言ってよ。」
「い、いや、俺が思っただけで…。」
たじろぐルートヴィヒに両親もノルベルトもくわっと目をつり上げた。
「なんだと!?ルートヴィヒ!その台詞は聞き捨てならないぞ!?」
「あなた、反抗期かしら?」
「…もうすぐ四捨五入したら30歳のくせに?」
「あら、年齢は関係ないじゃありませんか。」
「父上母上!そんなの今、どうでもいい!!」
絶叫したノルベルトは目を吊り上げてルートヴィヒに詰め寄った。
「まったく、僕のほうこそ驚いたよ!兄上には、僕の苦労なんか何もわかってなかったんだね!」
「苦労…?」
「そうだよ!そりゃ、兄上みたいに、この世の全てを託されるほど偉大な人間と僕なんか、比べるのも烏滸がましいってわかってるさ。だけど、そんな偉大な兄の弟として、跡継ぎではないけど恥はかかせないようにって、僕なりに頑張ってきたつもりだった。それなのに、ある日、そんな健気で謙虚な僕に皆して跡を継げだって!?正気か!?っておもっちゃったよ!兄上が簡単に王太子位を譲っちゃうものだから、僕は気ままな次男坊の立場から一転。とんでもない重責を背負う羽目になった!父上と母上だって、本来ならのんびり引っ込んでいられる立場なのに、必死で僕のサポートをする羽目になって!」
「…っ、そりゃ、仕方ないだろう!?臣下の者の多数意見では、私よりお前が王位に就く方が平和だと言うんだから。父上だって、『足並みを揃えて』っていつも言っているじゃないか。」
父王が申し訳なさそうに下を向いた。
「兄上は周りの言うことなんか放っておけばよかったんだ。それこそ、全員地下牢に括りつけてやりたい気分だったよ!……まぁ…いいよ。兄上がそのあと、全世界の為にとんでもない苦行を押し付けられて、辛い想いをしたことも、僕たち家族が誰よりもわかってるからね…。」
てっきり、こんな見た目になって、恥だと思っていると思い込んでいた。
そんなことを今ここで口に出したりしたら、せっかくおさまりかけたノルベルトの怒りは頂点どころか針が振りきれて一周回転するだろう。
「ごめん…。」
ルートヴィヒは余計なことは言わずに詫びの言葉だけ言って、口をつぐんだ。
「大体、私たちもいけなかった。お前は人がよすぎて、アギレラなんかのためにあんな犠牲を払って…!」
「し、しかし引き受ける以外の選択肢はなかったでしょう?」
「あったとも!これも先程ノルベルトが言ったとおり!放っておけばよかったんだ!」
「放っておいたら、魔王にこの世が滅ぼされてしまうでしょう!」
「少なくとも、我が国に被害が及ばない限りは放っておいたらよかったんだ!あっちの国にだって魔術師はいるんだ。自分の娘でも誰でも生け贄にして、もう一度封印することだってできただろう。自分の尻ぐらい自分で拭けという話だ。」
「し、尻って…。」
父王がこんな下品な物言いをするところなど、初めて見た。
「そうよ!あの小生意気な娘を生け贄にするべきだったわ!それなのわたくしの大切な息子がっ…!」
「ふ…ふはは…。」
誤解をして卑屈になっていた自分が馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。
何年ぶりかわらかぬほど久しぶりに見るルートヴィヒの笑った顔に、三人は驚いて目を見合わせた。
(まだ情緒が不安定なのかな…。)
三人揃ってちょっと心配してしまう。
「…とにかく…よかったわ。無事帰ってきてくれて。」
「…てゆーか、ちゃんとわかってくれたんだよね?僕らが兄上のことどれだけ大切に想っているか。」
「ああ。わかった。いや、わかってる。」
…本当は今わかったばかりだったのだが。
突然、ルートヴィヒの腕の中でメルリーシュがビクッ!と震え、全力疾走したかのように鼓動が早くなりはじめた。
(ん?起きたのか?)
「ところでルートヴィヒ、あなた、そのマントのなかに一体何を抱えているの?」
メルリーシュがブルブル震えはじめたのが抱き上げている体から伝わってくる。
(酸欠か!?)
バッ!!とマントの前を開くと、両親とノルベルト、そしてザイードが声もなく「!?」と驚いた。
メルリーシュはこぼれおちんばかりに目を見開いて、ガタガタと震えていた。
「ルートヴィヒ!?この子は一体…」
「話はあとで!!ひとまず失礼します!!」
バチン!と音とたて、ルートヴィヒはその場から消えた。
「…男の子…だったね?」
「ゆ、誘拐してきたのか…?」
「いやだ!どうしましょう!?」
「ルートヴィヒ殿下、ショックで頭がおかしくなったんですかね?」
「…なんか、珍しく笑ってたよね…。」
「ちょ、ちょっと僕、見てきます!どうせ『離れ』でしょう。『後で』 っていつになるかわからないですからね。拐ってきたなら返させないと…!」
ノルベルトはドアからタッと飛び出して言った。