4 メルリーシュのこと
ルートヴィヒが見たのは、本当に現実のことなのか疑いたくなるような過酷な日常だった。
この子、メルリーシュは堅実な子爵家の少女で、父親は身内から大反対されながらも恋に落ちたエルフの女性と結婚した。
メルリーシュが六歳の時に母親が亡くなり、その翌年には父親が母親と同じ病で他界。
父親には金遣いが荒く、借金の肩代わりを頼む妹がいて、自分の死後に娘に害が及ばぬよう、親友に遺言を託しておいた。
だがその友人まで亡くなり、妹、つまり少女の実の叔母は夫と娘とともに遺言を無視して屋敷にのりこんできたのである。
我が物顔でこの子のために遺された子爵家の財産が使われ、意見する使用人たちは全員クビ。
悪者のふりをして屋敷に居続けている初老の庭師夫婦だけが、この子の心のよりどころだ。
ちょっとしたことで暴力を受けるから、言葉遣いにはことさら気を付けて暮らしている。
だから、小さな見た目に不自然なほど丁寧な言葉遣いなのだ。
食事をぬかれ、毒をもられ、叩かれ、蹴られ、こんな寒い雪の日に、こんな少年姿のボロ着だけで外に放り出される。
けれど、この子は生きてしまう。
母親が遺した『祝福』のせいで。
比べる対象ではないが、どちらが過酷な人生を生きているかって、ルートヴィヒなどより幼いこの子が耐えている毎日のほうが、よほど過酷だ。
ルートヴィヒは少なくとも食事に困ることも寒さにこごえることも、毒をもられて泡をふきながら生きながらえることもない。
目の前の少女は、言葉を失ったルートヴィヒを見つめて目を輝かせている。
ルートヴィヒは息を詰まらせた。
「君は…どうして…笑っていられるんだ?」
「…どうして…とは…。」
「君の人生は、君から笑顔を全て奪っても仕方がないほど、過酷だろう?」
「なぜわたくしの暮らしを…ああ、そうか。高貴なお方。あなた様はこの世の全てをご存じなのですね?」
「いや、そういうわけではないが…。」
「違うのですか?…ええと…、とにかく、世界が美しいからです。それから、今日は特に!あなた様のように美しい方を目の前にしたら、嬉しくなってしまいますとも!」
頬を紅潮させ、少女は言った。
「私が美しい…だと?」
「ええ!もちろん!言うまでもないことですが!」
数時間前、おそましいものを見るような視線で見られたルートヴィヒを見て、美しいと微笑む少女。
ルートヴィヒは、切実に、この子を側に置きたいと思った。
そして、この哀れな子供を幸せにしたいと思った。
「…ならば、私と来るか?君は、私のところに、来るか?」
ひゅうぅぅ…!!と少女が息を吸い込み、目を見開いた。
「…ここから…連れ出してくださるのですか…?まさか、ご冗談を…!?」
興奮しているのだろう。
ささやくような、絞り出すような声音だ。
「冗談ではない。共に来るな?」
「もちろんでございます!!」
メルリーシュは悲鳴のように叫び、ルートヴィヒの足元にすがりついた。
「どんなことでも致します!ご飯は一日一度で充分です!お掃除も得意です!!どうか!!わたくし、お役にたってみせますので、どうかっ!!」
「落ち着け。そんな苦労をさせるつもりはない。…ならば、行こう。」
「ひゃ!?」
ルートヴィヒは少女の両脇に手を入れ、その身を抱き上げた。
ダボダボの服の下は思った以上にやせこけていた。
さっき視た情報では、この子は十歳。
それなのに、幼児ほどの大きさしかない。
(幼児にしてはずいぶんとしっかりした子供だと思ったが…。)
「ご、ご主人様!いけません!白いお洋服が汚れてしまいます!」
(ご主人様だと…?可愛らしいことこの上ないな!)
本人さえ自覚なく、何年ぶりかで、ルートヴィヒの口角がギュッとあがる。
「…かまわん。気にするな。君の家は…ここから見える、あの赤い屋根の家だな?」
「なんでもお見通しでございますね!はい!そのとおりでございますよ!」
「よし。しっかりつかまっていろ。」
「わぁあ!」
メルリーシュを胸のなかに掻き抱いてしっかりとマントにくるみ、ルートヴィヒは子爵邸に向かってヒュンと飛んだ。




