32 コメディ・王妃とメルリーシュ
呪いが無事に解けたメルリーシュ。
けれど、急に今まで通り体が動くようになったわけではない。
しばらくはリハビリが必要になりそうだ。
アリーナにカラカラと車椅子の背を推されたたメルリーシュは、使用人に段差を一段運ばれ、王宮の庭園、通称ロイヤルガーデンのガゼボで真っ白なテーブルにつく。
目の前には三段重ねのアフタヌーンティーセット。
お作法に厳しいマーガレットにビシバシ教育されたおかげで、テーブルマナーはバッチリ。
そこは緊張する必要はない。
メルリーシュをガチガチに緊張させているのは、そのティーセットの、さらに奥に居る人物だ。
「あなたとずっと、ずーーーっと、一度、ゆっくり話がしたかったの。」
声の主はこの国の王妃、アンジェラ・バルシュミーデ。
「こ、光栄で、ございます…王妃殿下…。」
何と返事をしてよいかわからず、ガチガチになりながらあたりさわりのない台詞を選んでおいた。
この表情でハッピーな話題はありえないことが容易にうかがえる。
憂いを帯びた表情。
十中八九、昨日の寝室での話だろう。
(昨日の…。)
明らかに事後の様子を王妃様やマーガレットたちに見られたことを思いだし、赤面してしまう。
そのあと劇的に呪いが解けた説明を、ルー様はどうしたのか。
どうせルー様のことだから、
『自分の見立ては正しかった。王宮中の人間を魔術で眠らせて(あれこれ)したから解呪されたのだ、それみたことか!』
などと言って、腰に手でも当てて高笑いしたに違いないのだ。
いたたまれないとはこのことだ。
(察するにルー様と別れなさいとか結婚は無理だというお話でしょうね。あ、諦めませんよ!)
なんたってメルリーシュは以前のメルリーシュではない。
ルー様に愛されているメルリーシュなんだから勇気満々なのだ。
「は、発言の許可をいただいてよろしいでしょうか。」
メルリーシュは勢いよく先陣を切った。
「もちろんよ。今後は許可など求めなくていいわ。」
(…本日以降はもう二度と話しかけるなということでしょうか…?…くうっ…負けませんよぉ!)
「…かしこまりました。ンンッ…。」
自分を鼓舞しながらメルリーシュは小さく咳払いをした。
「王妃殿下の仰りたいことは理解しているつもりでございます。けれど、どうか、ルー様のお側に居ることだけは、お許しいただきたいのです。」
「………?」
アンジェラの眉がグニョリと曲がる。
それだけでメルリーシュは怯んでしまう。
「…っ…お、お側に居るのも烏滸がましいのでしたら、王妃様の目の届かないところを掃除する使用人などでも構いません。どんな形でも良いのです。とにかく、ルートヴィヒ殿下のお側に置いていただきたいのです!どうか…」
「ちょ、ちょっとお待ちなさい。」
「どうかっ!!ドアマットとして踏みつけられてもっ!」
「落ち着きなさい、メルリーシュ!!」
落ち着いてなどとてもいられない。
なりふり構わず、地べたに這いつくばっても、ドアマットにされても、ルー様のお側に居たいのだ。
諦めたくない。
なんとか説得する方法はないか。
メルリーシュはハフハフと必死に息を整え、考えた。
アンジェラは指先でこめかみをグリグリと押さえた。
「どうしたらそんな考えに至るのです。あなた、昨日のやりとりが聞こえていなかったの?意識が朦朧としていた?何を勘違いしているの?」
まったくルートヴィヒはどんな説明をしているのかしらとブツクサつぶやいている。
「い、いえ、朦朧とはしていましたが、聞こえておりましたが…。あの、ルー様にご結婚をお勧めでしたよね?」
「ええ。それがどうしたらそんな話になるんです?」
「わ、わたくしは立場と身分は、わきまえております!そこまで勘違い娘ではございません!ですが、他の方を王子妃様としてお迎えになるのだとしても…」
「それがとんでもない勘違いだと言っているのです!!このスットコドッコイ!!」
「ひぇ!?」
ンンンンっっ!!と、アンジェラがこれみよがしに咳払いをひとつ。
「あなた、今、自分が巷でなんと呼ばれているか、知っていますか?」
噛んで含めるように、アンジェラは言う。
「え?…えぇと……身の程知らすのブスメガネ…?いえ、ブタメガネ…でしょうか?」
「大外れよ!」
「ひぇっ!」
くわっ!!と目を向いたアンジェラがズイッと前にのり出す。
負けるなわたくしと、メルリーシュは歯をくいしばって背を伸ばした。
「言わずもがな、あなたは『裁定者の妖精』と言われているの。」
「………………え?」
「巷で、あなたがルートヴィヒの呪いを解いたときのことが物語になってね。先月から王立演劇場で上演されているのだけど、半年先のチケットさえ取れないほどの大人気なの。しびれを切らした民達が、更に尾ひれをつけた美談にして、あちこちの小劇場や旅の演劇一座などで演じられていて。ルートヴィヒは『裁定者の再来』と言われていて、暴走を止められる貴女は『彼の妖精』というわけ。」
「る、ルートヴィヒ殿下が『裁定者』 と呼ばれるにはふさわしいと思いますが、わたくしは半分『人型妖精』の血をひいているだけの、ただのブスなメルリーシュですが?」
「そう思っているのは、今はあなただけ。その考えを早急に改めなさい。」
「そう…言われましても…。」
「つまり、あなた以外に誰と結婚させるというんです? 」
キョト…キョト…と周りを見回すメルリーシュ。
『あなた』 。
ここにはメルリーシュとアリーナしかいない。
「…アリーナさんは…」
「あなたに決まっているでしょう!!この馬鹿メルリーシュ・レーマン!!」
「ふぇっ!?」
王妃はガタン!!と立ち上がった。
アリーナがすっと耳元にささやく。
「…王妃様…。威厳が。」
ふぅ、ふぅと息を整え、アンジェラは着席した。
「ンンッ。失礼。」
「………………………………。」
異国の言葉をきいているようなメルリーシュの表情にアンジェラはため息を一つついて言葉を続けることにした。
「あなた、この五年ほど、王宮とアカデミーの敷地内から出たことさえないのでしょう?ノルベルトに聞いています。二十四時間、ルートヴィヒの監視下にあるのだとか。口にするものも着るものも、全てルートヴィヒの『検閲』 があって。あなたが目を覚ましてからは以前より執着が激しくなっているわよね。無理もないとは思いますが。けれど、あなたも十八になったことだし、本来なら北のレーマン領を継承するなり、魔術師が携わる『一般的な』仕事に就くなり、自分の好きな道を選ぶ権利があるはず。それなのに…ああもう!あの子ときたら、あなたのことに関しては頭のネジが吹き飛んでしまうんですもの!結局あんな風にあなたを手籠めにして!どこでどう間違ってあんな大人になってしまったのか…元々の素質なのか…多分後者ね…。」
アンジェラは両方のこめかみに指を添え、グリグリと揉んでいる。
「え…えっと…。」
「つまり、わたくしが貴女にしたかった話は、お詫びです。母として、頭のおかしな息子を命がけで救ってくれた貴女に。」
「…お、お詫び…?」
「……その反応。さきほどのあなたの言葉を聞いて、わたくしは心底驚きました。あなた、ルートヴィヒの側に居るの、嫌ではないのね。」
「も、もちろんでございます!あり得ません!」
「あの、解呪の行為も、世を儚んでの自殺行為ではなく、純粋にルートヴィヒの為に?」
「も、もちろんでございます!ルートヴィヒ殿下のお役にたてるのであれば、わたくしの命など喜んで差し上げます!」
アンジェラは、ふぅーーーーーーーーー………と、長いため息をついた。
「同じ女性としては信じがたい話だけれど、そのようね。わたくしの知っているあなたは、どちらかというとルートヴィヒと一定の距離を保っているように見えていたものだから。それも仕方ないと思っていました。正直に言うけれど、あんな変態息子に執着されるなんて、わたくしだったら、とうに発狂しているか、自死しているかもしれません。」
「自死!?」
「ええ。…でも…そうなの…。」
「そう…とは…?」
「ルートヴィヒを慕ってくれているのね。」
「もちろんでございます!!不敬を承知で申し上げますが、とにかく、大、大、大好きです!」
「…厄介な息子を慕ってくれて、本当にありがとう。」
「そんな…身に余る誉れでございます!」
おかしな子も居るものね、とつぶやきながら、アンジェラはクスクスと笑った。
「…で、では、わたくしは、引き続きルートヴィヒ殿下のお側に居ることをお許しいただけるのですね?」
「お側にも何も。あなた、王家が妖精を裁定者から引き離したなどということになったら、どうなると思いますか?即ち、民衆はバルシュミーデ王家はこの世の破滅を望んでいると断ずるでしょう。国が崩壊してしまいます。母として、女としては申し訳ない気持ちでいっぱいだけれど、この国の王妃としては昨夜言ったとおり。ルートヴィヒとあなたの、一日も早い婚姻を望んでいますよ。」
メルリーシュは両手で口を覆い、目を見開いた。
アンジェラの話を頭のなかで反芻し、脳に理解が浸透するにつれて目が見開かれていく。
「それに、身分だの不相応だの言うけれど、あなた、本当に世間を知らないのね。いえ、責めているのではないのよ?むしろ責められるべきは貴女を世間から隔離して育てたルートヴィヒです。この大陸において、魔術師とは時に高位貴族をも凌ぐ特権階級なのよ? あなたは特に、魔王の呪いをも解いた特級の中の特級です。子爵や男爵はもちろん、そこらの伯爵程度ならあなたの前に膝を折るでしょう。…全く…ルートヴィヒときた日には…。」
ブツブツとされる説明は、ルートヴィヒの側に居られるという喜びでメルリーシュの耳には届いていない。
「何をしているんです!!母上!!」
「…ああもう。まだまだ話はこれからという時にお邪魔虫がやってきたわ。」
「お邪魔虫はご自分のことでしょう!?ノルベルトと父上を囮に使いましたね!?大した用でもないのに二人して引き止めるからおかしいとと思ったんですよ!どういうつもりですか!私に断りもなくメルを連れ出すなんて!!」
お邪魔虫ことルートヴィヒがメルリーシュにかけよる。
「メルっ! どこも何ともないか?母上に何を言われた?大丈夫だ、私が守ってやるかな。 」
「い、いえ、そんな、何もあるわけがございません!」
ルートヴィヒは凄まじい勢いでまくしたて、メルリーシュの側に跪いてメルリーシュのあちこちを検分する。
「ルートヴィヒ、わたくしを何だと思っているんです…?」
「いい歳をした息子の恋にいちいち口を出す煩い母親です!」
「その言葉、そっくりそのままあなたに返しますっ!!」
くわっ!!と目をむき、アンジェラは立ち上がった。
「メルリーシュはれっきとした成人のレディです!いちいち貴方の許可がなくてはどこにも行けないの!?あなたのしていることは監禁と虐待です!メルリーシュが貴方に逆らわないのをいいことに、やりたい放題!いいですか!?貴方のような男を世間ではモラハラだとかDVだとか言うんです!!メルリーシュに愛想をつかされたくなければ、即刻態度を改めなさいっ!!」
アンジェラが怒鳴りながらアリーナに目配せすると、「虐待」 だの「DV男性から身を守る 」 だの、不穏な題名の本がルートヴィヒの前にドサドサと積まれた。
「あなたは王立図書館の館長も兼任しているのです。蔵書の管理も、メルリーシュに任せずたまには自分でするといいでしょう。試しに、この…」
すっ、とアリーナが付箋のページをアンジェラの顔の横で開き、アンジェラが指定の箇所を指差す。
「DVチェックをしてごらんなさい。暴力以外、すべての項目に当てはまるはずよ。」
ルートヴィヒが件の本をアリーナからむしり取り、サッと目を通した瞬間、顔色が抜けおちた。
「わ、私は……。」
「る、ルー様っ!わ、わたくしは何も気にしておりませんから!」
「ンンッ!被害者が気にしていないからといって、して良いという理由にはなりません。」
「で…でも…私は……四六時中メルを…見ていたい…」
「かっ、かまいませんよ?わ、わたくしは今まで通りで!」
「…ひとまず、わたくしからは、その過度な束縛だけは改めるほうが良いと、忠告しておきましょう。次代の王兄妃が夫同伴でないとちょっとした公務もできぬなど、良からぬ輩に足元をすくわれかねませんからね。」
「そんな奴は殺す!」
「ルー様っ!いけませんよ!」
「ほらごらんなさい。夫婦不和の種です。」
「ぐっ…!」
「わかったら仕事に戻りなさい。わたしは近い将来娘になる子と色々話したいことがあるの!」
「そ、その茶菓子をメルリーシュに食べさせてから…」
「ルートヴィヒ!!今朝得意げに言っていたわよね!!?あなたのおかげでもう手も足も自由に動くのよね!? 」
「ひぇ…。」
「うっ……。」
メルリーシュは真っ赤になる。
(やはり、言ったのですね、ルー様……。)
「わかったら、あなたは仕事に戻りなさい!!」
二人の間でオロオロと揺れるメルリーシュにたっぷりの未練の眼差しを残し、ルートヴィヒは三十回ほど振り返りながら仕事に向かった。
……結局三十分もたたぬまに「限界だ」 と戻ってきてメルリーシュを連れ去ってしまったのだけど。




