3 出会い
(どの方角から焼いてやろうか…。)
陽が昇り始める早朝。
バタバタとマントを海風になびかせてルートヴィヒは海岸沿いの真っ白な堤防の上に降り立った。
許しがたい暴言の洗礼を浴びたのち、ひたすら北を目指して飛んできた。
呪いをくらうまでなら膨大な魔力で空間移動もお手のものだった。
だが、今は空間移動は近距離でしかできないから飛行してきたのだ。
それだって、一般の魔術師からしたらすごいことなのだが。
半分以下になってしまった魔力だというのに、それでも、誰も彼もルートヴィヒの小指一本分ほどの魔力しか抱えていないのだから。
(虫けらどもが!どこもかしこも焼き尽くされながら、己の発言を悔いるがいい!!)
……そんなふうに思っているはずなのに、その場で誰一人殺めることができなかった自分が、一番忌々しかった。
今だって、目の前で一人一人を残虐に始末するのではなく『全体を燃やす』という手段を選んでいる。
人々が苦しみ、逃げ惑う惨状が自分の目に触れない方法だ。
(…クソっ…。)
頬に当たる風が冷たく、煮えたぎるルートヴィヒの心を冷まそうとしているかのように思えた。
キラキラと朝日に煌めく海は、ルートヴィヒの心を慰めようとしているかのように思えた。
(クソッ!クソッ!…そんなわけがあるか!!)
ドサリと堤防に座り、海を睨み付けた。
サク…サク…と、雪を踏みしめて、何かがルートヴィヒに近づいてくる気配がする。
どうでもいい。
いっそ、ならず者に背後から刺し殺されてもかまわない。
なげやりなルートヴィヒの少し離れたところで、その足音はとまった。
きっと、ルートヴィヒの外見に縮みあがっているのだろう。
忌々しいことこの上ない。
「あの!」
(…なんだ。)
ルートヴィヒは無視して海をにらみ続けた。
「あの!寒くはございませんか?」
ルートヴィヒは振り向いた。
「なんの用だ。」
いつもより敢えて声を低くして、いつも以上のしわがれた声で返事をした。
正面から顔を見て、この恐ろしい声を聞けば、さすがに声の主は驚いて走り去るだろうと考えてのことだ。
けれど、両脇のところで両手をグーにしてキュッと握りしめている声の主は、ハクッ!と息をのんだあと、ホワホワと頬を紅潮させている。
逃げる気配は微塵もない。
怖がって逃げるどころか、はわぁあ…と大きな目をキラキラさせている。
古ぼけたダボダボの服と靴と帽子を身に付けた少年だった。
こんな目を人から向けられたのは久しぶり…いや、初めてだ。
この呪われた姿になる前に向けられていたのは、欲にまみれた女たちのねっとりとした視線。
王位を弟に譲ったことに対する哀れみの視線。
呪いを受けてからは、視線を受けるよりも恐怖に目を反らされることの方が多かった。
視線の気配を感じてそちらを見ると、たいてい向けられているのは気味の悪いモノを見る目だった。
(…なんなんだ?何を見てそんな目を…?…まさか、私?…いや、そんなはずはないか。)
「あの!申し訳ございません!わたくしは、自分の住まいにお客様を招き入れられる立場にないのです、高貴なお方!け、けれど、こちらよりは幾分か寒さがマシな場所を存じておりますので、そちらに移動なさいませんか?あちらに見える教会なのですが、いつも無人なのです!あそこからでも、海を眺められますので!」
海からの風で声が遮られないようにか、声をはりあげている。
(…『わたくし』?少女か?)
「…お前、私が怖くないのか?」
「怖い…?なぜです…?…ああ、確かにエルフの王様(?)とは偉大なお力をお持ちですから、お父様が教えてくださった『いふ』(畏怖)、という気持ちが起こるのが、この、これ、この気持ちなのでしょうか…?…ええと…?いいえ!それよりも、喜びのほうが勝ちます。…これは、喜びです、はい!」
両手の指を小脇でモジョモジョと必死に動かし、少女は一生懸命、絞り出すようにルートヴィヒに自らの想いを伝えているようだ。
最後の部分以外はブツブツ言っていたが、ルートヴィヒにはちゃんと聞こえている。
「喜びだと?なんの…?」
(エルフの王様…?エルフの王だと思っているのか?あの伝説の?…まぁ、疑問形で呼びかけているあたり、確信しているわけではなさそうだが…。さすが子供といおうか何と言おうか…。)
「決まっています!美しいあなた様のお顔を見つめる喜びです!」
それは、ルートヴィヒの思考を遮る、予想外の答えだった。
「……はぁ?」
間の抜けた声を発した瞬間、少女は我にかえったのかボン!!と顔を紅潮させた。
「し、失礼いたしました!不躾でしたね!」
バカバカわたくしのバカ、といって、少女はポカポカと頭をたたいた。
小動物のようで、とても愛らしい仕草に、ルートヴィヒはすっかり毒気を抜かれてしまった。
(…まいったな。私は、この大陸全土を滅ぼしてやろうと思ってきたのに…。)
少女の視線も仕草も、どれも愛くるしい。
ペットを飼ったことがないから良くわからないが、まるで愛玩動物のようだと思った。
(…久しぶりだ。こんな温かな気持ちになるのは。)
「そ、そんなことより、寒くは…。」
「ない。こちらにおいで。」
ルートヴィヒは態度を軟化させた。
「そ、そちらにとは…」
「いいから、こちらに。」
ルートヴィヒは周囲に結界を張り、その中を暖めた空気で満たした。
おずおずと近寄ってきた少女の小さな手をとり、グイッと引き寄せた。
「わ!」
少女はルートヴィヒの側にポスンと座るかたちになった。
「…わぁあ!なんです?この暖かいの!夢のよう!やはりあなたは、エルフの王様?それとも、海の神様なのですか?」
少女は嬉しくてたまらないというような顔をした。
「どちらでもない。良く見てみろ。君がよく知っている人物だ。学校で習うだろう?」
教育省の通達で幼い子供にも国の成り立ちのことは教える決まりになっているから、学校に通っていれば国王一家のことは写真付きで学ぶはず。
そうでなくとも少し前まで日報では毎日のように変わり果てた姿のルートヴィヒの写真が掲載されていた。
少女はヘニョリと眉を下げた。
「申し訳ございません…。学校には…。」
「学校に行けぬほど生活が困窮しているのか?」
「…いいえ?家は…裕福です…ね?」
「『ですね』って言われても…。とにかく私はエルフの王じゃない。この北の果てから世界の果てまで全てを焼き尽くしてやろうと思ってここへ来たんだ。」
「えぇええ!?い、いけません!いけませんよ!こんな美しい世界を滅ぼそうだなんて!!」
少女は目を白黒させて胸の前で祈るように手を重ね、ルートヴィヒに向かって悲鳴のように叫んだ。
幼い少女のような見た目と、年寄りじみた言い回しがおかしくて、吹き出しそうになり、ルートヴィヒの唇が弧を描いた。
この子を見ていると自然と微笑みがこぼれてしまう。
「どうだ。魔王のようだろう。」
ルートヴィヒは自嘲気味におどけて見せた。
ハクハクと息を整えたあと、少女は胸に手をあてて考えこんだ。
「焼き尽くす、だなんて。魔王というより、むしろ裁定者様です。…ということは、この世は滅ぼされるほど、良くなかったのですね。むむ…そうかもしれませんね。」
「裁定者?…ああ。」
(いずれにしても人外か。)
大陸全土に伝わる神話。
『裁定者』と呼ばれた神から選ばれた者が、愚かな人間を殲滅するのに、たったの一日で、この世の全てを焼き尽くした世界の終焉の物語。
現在のアンスロテウス大陸は焼き付くされたあとに再建されたもので、各国の始祖は裁定者の子供らで、民衆はその時たまたま漁に出ていたもの、地にもぐって採掘していたもの、湖にもぐっていた者、そういった者たちの生き残りだと言われている。
「けれど、やっぱりいけません。」
「冗談だ。心配するな。」
この子が居る世界を滅ぼす気にはとてもなれない。
(それとも、この子以外のすべてを滅ぼしてしまおうか?)
ルートヴィヒの不穏な考えをよそに、少女はホッと息を吐いた。
「良かった…。わたくしも滅ぼしてくださるのでしたら、それはそれでありがたいのですが。わたくしは生き残ってしまいかねませんからね。ああよかった。」
「滅ぼしてほしい?」
「ええそうです。わたくしに与えられた祝福も取り去っていただければと…」
「祝福を?取り去る?」
「ええ!」
冗談を言っているようにはとても思えないのに、言っている内容はとても悲しい。
澄んだ瞳の朗らかな少女が言うのには全く相応しくない台詞だ。
「君、名前は?」
「あっ、名乗りもせず大変失礼致しました。わたくし、メルリーシュ・レーマンと申します。」
メルリーシュは立ち上がり、ズボンの端をチョンとつまんで貴族の令嬢がするようにキチンと礼をとった。
(…貴族の子か?)
「メルリーシュ。ちょっとこちらにおいで。」
ルートヴィヒはこの事情がありそうな少女に手をかざした。
普段は他人の考えを読むなどと失礼なマネは絶対しない。
だが、今回はとにかく、ルートヴィヒに他意なく純粋に笑顔をくれ、ルートヴィヒの怒りを鎮めてくれたこの少女の力になれることはないかと思ったのだ。
ルートヴィヒの「魔眼の術」では読まれた本人さえ自覚していない『事実』さえ読むことができる。
ルートヴィヒに見えたのは、この小さな少女が負うには、あまりにも過酷な出来事ばかりだった。