25 夢の中で
メルリーシュは水の中を漂うような不思議な感覚に呑まれている。
時々夢をみる。
水の中で聞くようなくぐもった声で誰かがメルリーシュに愛していると言う夢。
そんなこと、現実には起こりっこないから、もちろん、それが夢であることはわかっている。
いつも全身がプカプカ浮いているような感覚の心地よい夢だ。
初めてこの夢を見たときは変なにおいがした。
何年も洗っていないルルトビッヒの愛用のクッションみたいなニオイ。
(洗おうとしたらルルがカンカンに怒ったから洗えないのだけど。)
それに全身がヒリヒリしてとても痛かった。
体が全く動かせず、まぶたも開かない。
メルリーシュは自分の行いには気を付けていたつもりなのに、ひょっとしたら地獄に落ちたのだろうかと悲しくなった。
地獄だったら亡くなった両親に会えない。
その次に見た夢ではお花の良い香りがして、肌が痛いのも随分と楽になっていた。
誰かが天国に引き上げてくれたのだろうか。
きっとお父様とお母様だ。
ありがとうお父様!お母様!
…あれ?
でも、おかしいな。
メルリーシュは死んだはずなのに。
夢を見るなんて変だ。
* * * * * *
そう。
初めてルー様のお役にたてたあの日は、メルリーシュが死んだ日。
長年ルー様を苦しめて来た呪いを、全てこの身に引き受けて死ぬことができた、とても幸せな日だった。
あの日、図書館で物思いに耽っていたとき、メルリーシュに声をかけたのは変装したアギレラ王女の従者だった。
呼び出された女子寮の裏庭に行くと物置の隅でアギレラの王女が待っていた。
「怪しくてごめんなさいね。あなたには厳重な監視がついているようだから。それから、先日のことも、悪かったわ。」
「い、いえ…わたくしは…大丈夫です。」
高慢なイメージから一転、今日の王女はとても柔和な雰囲気だった。
「そう。よかった。それで、あなたに、折り入って頼みたいことがあるの。」
「『頼みたいこと』でございますか?」
「ええそうよ。」
高慢なはずのアギレラの王女が命令するのではなく『頼みたいこと』。
普通なら大いに警戒するところではあるが、メルリーシュは他人の悪意に非常に疎かった。
幼い頃から悪意に晒されすぎた心を守る自衛手段でもあったのだが。
「なんでしょう?わたくしに可能なことでしたら…。」
「あら、とてもモノわかりがいいのね。良いことだわ。」
「そ、そうでしょうか。い、いつもルー…館長様には『馬鹿者』と言われることが多いもので…。」
「あら、それは一層好都合だわ(なんだ。結局あの人もこの子を愚図なブタだと思っているんじゃないの)。実は、その、他でもないルートヴィヒ様のことよ。」
『ルートヴィヒ様』
王女がルートヴィヒの名を親しげに呼ぶ様子に、メルリーシュの胸はズキンと痛んだ。
「かつて、わたくしたちはとても似合いの婚約者どうしだったの。いいえ、恋人どうしだった、と言ったほうが良いかもしれないわね。」
ズキンと痛んでいたメルリーシュの胸は今度はギュゥウ、と締め付けられる。
「けれど、ルートヴィヒ様があんな見た目になって…。」
「…館長様は今もお美しいですが…?」
「ンンッ!!黙って聞いていてくださる!?」
「も、申し訳ございません…。」
「それで、あんなふうになったから、ルートヴィヒ様は身をお引きになったのよ。わたくしたちの恋心は、それで破れてしまったの。」
「そんな……。」
「ねぇ、あなた、ルートヴィヒ様に拾われたのですって?」
「は、はい。今のわたくしがあるのは、館長様のお陰なのです。」
「では、大きなご恩があるのよね?」
「はい!言葉では言い尽くせぬほどの、大きなご恩でございます!」
「ならば、その恩を、返したいと思わない?ルートヴィヒ様に、幸せになってほしいと思わない?美しい姿にもどって、愛する私と結ばれてほしいとは、思わない?」
「愛する…あなた様と……。」
自分でつぶやいたその言葉に、メルリーシュの心はザクリと切り裂かれ、メルリーシュの中で血を吹き出す。
ずっと心の中に大切に仕舞っていた恋心が無惨な終わりを迎えた。
(…ちょうど良いわ。これでわたくしの使い道が決まった。)
「なんなりと。なんなりとさせていただきます。」
「よく言ったわ、メルリーシュ・レーマン!そうとなったら、わたくしの計画を聞きなさい!」
教えられた呪文を何度も復唱して練習した。
当日はルー様が王宮に向かった後すぐ、ルルトビッヒに特別なご褒美をあげて王宮の顔見知りの侍女に預けた。
ルルは珍しくとてもイヤがって離れがたくて困った。
発動するギリギリまで呪文を唱え、木箱の中に入り、ちょうど良いタイミングでルー様の前に運ばれた。
最後に目があったルー様はとても驚いた顔をしていた。
(大丈夫ですよ、ルー様。すぐに終わりますから!)
心で叫んだ。
メルリーシュのちっぽけな人生が終わり、愛するルー様の素晴らしい人生が始まるめでたい日の始まり。
…だったら最後に、メルリーシュの感謝と想いを伝えるくらい、許されるのではないだろうか。
今まで、本当に、本当にお世話になりました。
ずっと…お慕いしていました……。
そうして、景色は暗転した。
それから?
メルリーシュは結局のところ今どこにいるのだろうか?
暖かで、柔らかなものがメルリーシュの頬にふれる。
優しく撫でる…これは手だ。
額に触れる…これは唇?
そして、いつも聞こえる言葉。
誰かがメルリーシュにささやく。
「愛してるよ。私の大切なメルリーシュ。早く目を覚まして。」
せっかく夢を見るのなら、どこの誰だかも知らない人から『愛してる』なんて囁かれるより、愛するルー様に『馬鹿メル』って言われるほうが嬉しいのだけど?




