2 魔王と呼ばれた王子
ここはアンスロテウス大陸の北の果ての小国、バルシュミーデ王国。
王都がある南は比較的温暖な地域だが、北の果ての冬は寒さに凍てつく日が一年の三分の一を占める。
国民のほとんどが日常生活レベルの魔力を持っていて、身分が高位のものほど魔力量が高い者の割合が多い(といっても絶対ではない)。
化学よりも魔力の方が発達している、平和な小国だ。
ルートヴィヒ・バルシュミーデはこの国の第一王子だ。
十二歳までの彼は、次期国王として厳しく育てられ、厳しい王太子教育にいそしんできた。
国の繁栄のために、民たちのより良い暮らしのためにと年頃の少年として遊びたい好奇心に蓋をして、一生懸命取り組んできた。
ところが十二歳のある日。
高熱を出して寝込み、目が覚めたら凄まじい魔力を発現してしまった。
国で一番魔力に長けているとされる、引退した魔法省長官の見立てでは「千年に一度現れるという大魔法使い」とのこと。
ルートヴィヒの前では、長官の魔力さえ子供レベルに思えるほどだと。
先程の話に戻るが、バルシュミーデ王国は平和な小国だ。
その国に、大陸全土、20カ国ほどを滅ぼせるほどの魔力を有した国王を据えるのは、他国にとって脅威となり戦の火だねとなりかねない、と、大臣たちは言った。
『近隣諸国と歩調を合わせ、平和に仲良く』。
それは、この五千年前に大陸全土を創始者から託された賢王テーウスの言葉として伝えられ、父王が座右の銘としている言葉だ。
ルートヴィヒは王位継承権を放棄し、代わりに弟のノルベルトが立太子した。
両親の関心は自分から一気にノルベルトに移っていったように思う。
誰からも彼からも、『オマエは用済みなのだ』『この平和な時代に、無用なお荷物なのだ』、と言われた気がした。
やりきれない思いだったが、平和のためならばと、また、自身の気持ちに蓋をした。
月日は流れ、ルートヴィヒが二十六歳の時。
欲に狂った愚かな隣国、アギレラ王国の王族が、魔王を復活させてしまった。
封印中の魔王自身が誘う声にそそのかされたのだという。
大陸全土を手中におさめるべく魔王を復活させ、使役するが良いと。
魔王が人間の使役などに応じることなどありえないと、どんなバカが考えてもわかる話だというのに。
そのバカを下回るバカだったアギレラの王は、まんまと魔王を復活させたのだ。
ルートヴィヒの存在を知っていた大陸の各国から、魔王を再び封印してほしいとバルシュミーデ王国に押し掛けてきた。
結局、ルートヴィヒが自国の魔術師や騎士たちを連れて討伐に行き、封印どころか滅亡させることに成功したのだが。
魔王が悔し紛れに最後に放った呪いを、ルートヴィヒはまともにくらってしまったのだ。
全身を焼かれるような苦しみがひいたあと、王族の特徴である銀の髪は艶を失って白髪のように変わり、顔の半分に禍々しい呪詛が広がった。
皮膚が青黒く変色した上に古代文字のようなものがびっしりと描かれ、まるで魔物の皮膚のようになった。
服に覆われて見えないが全身の右半分にびっしりと呪詛が刻まれていて、袖から覗く右手の甲からもそれが見える。
低くよく通る声もしわがれて、普通に話すだけでも呪いの呪文を唱えているかのような酷い声に変わった。
それ以降、ルートヴィヒを直視してくる者は誰もいなくなった。
それでもルートヴィヒは、連れていった従者を誰一人欠けることなく連れ帰った自分を誇り、自国に引き上げていった。
各国から、大陸を救った礼にと、バルシュミーデ王国を訪れる使者があとをたたなかった。
「救国の英雄」。
ルートヴィヒはそう呼ばれるようになった。
……はずだった。
ある夜、ルートヴィヒに感謝を捧げにくる使者たちを一同にもてなす為に、国内で『歓待の宴』が開催された。
その時、ルートヴィヒは聞いてしまったのだ。
使者たちの本音を。
愛想笑いに疲れて外の空気を吸いに会場の外に出ると、四人の男が立ち話をしていた。
「ヘマをやったのはアギレラだろう?なんだって俺たちまでこんな北の果ての田舎者の国に貢ぎ物を持ってこなくちゃならないんだか。」
「仕方ないだろう。魔王を滅ぼすほどの力を持ったヤツだぞ?つまりは魔王より恐ろしいってことじゃないか。機嫌をとっておかかないと、腕のひとふりで俺らの国なんか吹き飛ぶんだぜ?」
「見たかよ、あの禍々しい顔と声。」
「俺は恐ろしくて、焦点をボカシてたから見てない。見たら少なからず呪いがうつるって言われてるじゃないか。」
「嘘だろ!?俺、見ちまったぞ!?」
「えぇ!?どこもなんともないか!?」
「そういえば頭が少しふらつくような…。」
「ばぁか。お前のそれは酒の飲み過ぎだろうが!」
「だって、こんな国、酒がうまいぐらいしか取り柄がないだろうに。」
「王子は魔王だしなぁ。」
ルートヴィヒはその場に凍りついた。
『酔っぱらいの軽口だ』
途中までは必死に自分にそう言い聞かせていた。
早く、早くここを立ち去るんだと。
けれど、足が地面に杭で打ち付けられたかのように、その場から動けなくなった。
『王子は魔王だしなぁ』
その言葉で、ルートヴィヒの中の何かが粉々に壊れた。
「ルートヴィヒ殿下、どうされました、こんなところで。」
ルートヴィヒのうしろから、従者のひとりが声をかけた。
ルートヴィヒを心から敬愛していると、いつもルートヴィヒを讃えてくれる、従者であり乳兄弟でもあるザイード。
「ん?何かありましたか?」
ザイードがルートヴィヒごしに集まって悪口を言っていた者たちを見た。
男たちが、ギギギギギ…と音がしそうなほど、ぎこちなくこちらを振り返った。
顔に脂汗が流れている。
「ひ…あ…ひぃーーーー!!」
「ぎゃーーーーーーー!!」
みな、まるで本当にそこに魔王がいたかのように、腰をぬかしそうになりながら、足をもつれさせて何度も転げながら、必死に逃げていった。
「なんだ!?何事で…殿下、あいつらに何を言われたんですか!?」
ルートヴィヒは、返事をせずにフラりとそこを去った。
ザイードだって、腹の中ではどう思っているか、わかるものか。
とっくに知っていた。
父も母も弟も、醜い自分から目をそらす。
『救国の英雄』?
三流ゴシップ紙が書いたことが民達の間で広まっていることを知らないとでも思っているのか。
ルートヴィヒについた本当の二つ名は。
『魔王殿下』だ。
「殿下!?殿下どちらに!?…っ、もう!」
ザイードは逃げ去った男たちを追った。
そちらを問い詰めて事情を聞き出す方がまだ早いと思ったのだ。
歩きながら、ルートヴィヒの顔は鬼のような形相へと変わっていった。
すれ違う使用人や招待客たちは、その顔を見て悲鳴をあげて両脇に飛び退く。
(こんなことのために…こんな者たちのために…俺は今まで……っ!!)
そんなにご希望とあらば、滅ぼしてやろうじゃないか、なにもかもを。
この国の北の果てに行き、そこから大陸全土を包む火炎を放ってやろう。
氷攻めの方がいいか?
水か?
雷か?
いや、やはり火がいい。
何もかも、燃やしつくしてやる。
ルートヴィヒは高く舞い上がった。
式典用の白い礼服とマントを身に付けたまま。
北の最果てに向かって。