13 声の主
声の主はアカデミーの制服を着た青年だった。
肩から5センチほどの長さに切り揃えた金の髪がカールしている。
碧い瞳が美しい青年だった。
メルリーシュはその人を覚えている。
利用登録をするときにノルベルト殿下がお連れし、幼馴染みだと紹介された、留学中の近隣国の王子だ。
「反逆行為?こんな冴えない図書館員に文句を言っただけで?」
メルリーシュを打った女性が「ハッ!」と鼻で笑った。
「館員の中でも、緑のローブを羽織っているのはこの図書館の正職員。つまり、バルシュミーデ王国直属の職員だ。その職員に難癖をつけて暴力を振るうなんて、高貴な身分の、しかも女性がすることとは目を疑うよ。」
「この女は私を侮辱したのよ!」
「先に侮辱したのはあなただ。それに、その人は間違ったことを何一つ言っていない。あなたは規則違反をしたうえに、業務妨害をし、その上、人を侮辱して暴力を振るった。わぁ!すごいね!一体、どんな身分の人なんだろう!?」
ギリギリギリギリ、と音が鳴る。
女性が歯軋りしているのだ。
「何の証拠もないのに、この私を貶めるなんて、お前、覚悟はできているのでしょうね……?」
「あれ?ご存じないんですか?この図書館ではこういった『ならず者』のような不届きな行動をとる輩に対応するために、開館中はエントランス部分を中心に常に監視用のモニターが動いています。もちろん、録画していますよ。…さて。『館長殿』が今の出来事をご覧になったら、何とおおせになるか…いや、おおせになるだけで済むのかな…?」
青年はこれ見よがしに芝居がかった困った顔をして目を閉じ、両手の平を肩まであげて首を左右に振った。
「わ、わたくしが、録画を操作して消しておきますから。お、お支払はデポジットからでよろしいですね?」
チィッ!!と思いきり舌打ちして、女性はカウンターの上にバン!!と十リット札を置いた。
「お、お釣りを…」
「要らないわよっ!!覚えてなさい!!」
唾を撒き散らしながらわめき、女性は去って行った。
「お釣りは……では…デポジットに課金させて…いただきます…。……と言っても…聞こえませんね……。」
メルリーシュはしおしおとカウンターの魔道具・出納箱に十リット札を吸い込ませ、それから画面に先程の女性、「ブリジット・アギレラ」と書かれた名前のデポジット欄にトン、と指を置き、そこに+4と数字を打ち込んだ。
画面が一度、チカッと点滅し、「ブリジット・アギレラ」のデポジットは十四に変更された。
まだ震える両手をキュッと握り、青年の方に向き直ろうとしたら、青年はメルリーシュの真正面に来ていた。
「あ、あの、お助けくださって、ありがとうございます。ローレン殿下。」
眉を下げた青年、フェルマール王国の第二王子、ローレン・フェルマールは拾ってから魔法でヒビを修理した丸メガネをメルリーシュに差し出した。
「まぁ!ご親切に、ありがとうございます!」
メルリーシュはローレンの親切が嬉しくて、手の震えもおさまってしまった。
「監視用モニターのこと、よくご存じでしたね?」
すちゃ…とメガネを顔に戻し、メルリーシュが尋ねる。
「ええ?あれ、とっさに思い付いた嘘なんだけど、本当にあったの?」
「まぁ!」
メルリーシュはコロコロと笑った。
「ルー様…っと、館長様が、わたくしの仕事ぶりを監視するのにあちこちにつけておられるのです。」
「あ~…。そうなんだ。…あの女…っと、アギレラ王女がこちらに来るのがアカデミーのランチルームから見えてね。急いで追ってきたんだ。」
「なぜです?」
「あの女……っ…アギレラ王女…いいや、もうあの女で。とにかくアイツはルートヴィヒ殿下の元婚約者だろう?だからきっと、君に何かいやがらせをするんじゃないかと思ってね。」
ルートヴィヒ殿下の元婚約者。
その言葉に、一瞬メルリーシュの頭は真っ白になった。
メルリーシュの様子に気づくことなく、ローレンは話を続ける。
「ほら、君がルートヴィヒ殿下のお気に入りなのは有名だから。あの女、自分から殿下との婚約を白紙にしてくれと言い出したくせに……。メルリーシュ嬢?頬が痛むのか?…っ!血が滲んでいるじゃないか!あの女、まさか魔力で…」
メルリーシュの頬に手を伸ばしたローレンの手を、誰かがガッと掴んだ。
ルートヴィヒだった。
「何をしている……。」
場が凍りつくような声音だった。
受付エリアに響き渡ったその声に、その場に居た利用者が一斉に振り向き、顔を青ざめさせている。
「な、何でもございません!」
メルリーシュは努めて明るく返事をした。
ルートヴィヒはメルリーシュの頬が赤く腫れていることに気がついて更に目を吊り上げた。
激怒したルートヴィヒなどメルリーシュは初めて見る。
不謹慎ながら、激怒しても美しい。
…おっと、見とれている場合ではないのだった。
「何でもないわけがないだろう!!何があった!!」
「何もありません!!わ、わたくしがドジで棚の角に顔をぶつけたので、こ、こちらのローレン殿下がご心配くださったのです!」
「違いますよ!あなたの元婚約者の…」
「ぶつけたのです!!自分でっ!!ぶつけたのですっ!!」
「なぜ……」
ローレンが言葉を続けようとすると、奥からパタパタと足音が聞こえた。
受付担当の館員が昼食から戻ってきたのだ。
「メルリーシュ様ぁ、『お留守番』ありがとうございますぅ!けれど、なんの騒ぎです?館内はお静かにお願いいたしますよぉ?」
シン…と三人は静まった。
利用者達は関わるまいとして、その場からそそくさと奥の棚へと引っ込んでいった。
「あ…し、失礼いたしました。ローレン殿下、ありがとうございました。」
「う…うん…。」
「館長、わたくし、奥の仕事に戻ります。では!」
にぱっ、と笑い、メルリーシュは踵を返した。
「待て。」
ルートヴィヒはメルリーシュの手を引き、腫れた頬にそっと手を添えた。
傷は呪文を唱えることもなく瞬時に癒されていた。
「あ…ありがとうございます…!」
顔を真っ赤にして、今度こそメルリーシュは去って行った。




