11 最後のハグはいつだっけ
「最後に抱きしめてもらったのは…いつだったかしら…」
メルリーシュは満ち足りていた頃に想いを馳せた…。
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「何を読んでいるんだ?…ああ、いつものだな。」
メルリーシュの愛読書の一つ、『創世記』。
亡き母に読み聞かせてもらった、このアンスロテウス大陸の各国の建国神話。
メルリーシュが母に想いを馳せるとき、温めたアーモンドミルクとともに読むお供だ。
ほのかに香る大好きなウッディーノートの香りとともに逞しい腕がメルリーシュを後ろから包む。
「ちょっ…!わたくしはもうオチビさんではないのですから!人目があるところではお控えください!」
ここは王宮の裏庭で使用人や侍女だって休憩に使う場所なのだ。
「なぁに。まだオチビさんだ。師匠がオチビの弟子を愛でて何が悪い。」
「みなさん気になさいますし、わたくしも気にしますっ!」
「ほら、つべこべ言わずに続きを読みなさい。私は休憩時間が終わるまであと少しメルを楽しむとしよう。」
「もぅ…。集中できません…。」
「……暗記するぐらい読んでいるだろうに…。」
メルリーシュの髪に顔をうずめるくぐもった声。
まったくもぅ、と、表情と全く合わない言葉をつぶやきメルリーシュは本に戻った。
* * * * *
九つの国から成るアンスロテウス大陸は、五千年前、創造主・アンスロテウスによって創られ、治められた一つの大国だった。
長い年月を経て独自の文明が発展させ富み栄えた人々は、次第に欲深になり、騙しあい、奪い合い、分裂し、果ては殺しあうようにまでなっていた。
アンスロテウスは人々の所業に疲れ果て、腹心であったテーウスに言った。
もはや堪忍袋の限界であるから、この地を滅ぼし、また一から別の世界を創り直そうと思うと。
テーウスは自分が人々を正しく導くから、一度だけチャンスを下さいと懇願した。
アンスロテウスはこれを受け入れ、テーウスを帝王に据え、自らの力を一部与えて別の世界へと旅立った。
帝国でテーウスに逆らうことができる者は誰一人としていなくなった。
強大な力を得たテーウスは、しかし、力をふりかざすことはせず、対話し、協調し、国内のそこここで起こる争いを辛抱強く鎮めていった。
だが、そんなテーウスを彼の臣下の一人であるギデスは快く思っていなかった。
ギデスはテーウスの手ぬるい政治の手法は、彼の最愛の妻であるメルケルにふぬけにされているせいだと言い、メルケルを殺してしまった。
妻を失ったテーウスは絶望し、怒り狂った。
先ずギデスを殺し、たった一日で大陸全土を火の海にした。
泣き叫びながら全てを焼いても妻は帰ってこない。
とっくに焦土になっている大陸に、テーウスはこれでもかと火を放った。
天に召されたメルケルは、創造主に再会し、そして懇願した。
どんな姿でもいいから、夫の元に帰りたいと。
テーウスを哀れに思った創造主は、メルケルを小妖精として転生させ、テーウスの元へ向かわせた。
燃え盛る大地で咆哮するテーウスの耳元で、亡き妻の大好きだった歌が聞こえる。
テーウスは我にかえった。
ふと傍らを見るとそこには羽をヒラヒラとはためかせ微笑んで涙を流す妖精が。
それは、テーウスに再び会えて喜び、そしてテーウスの怒りを悲しむメルケルだった。
テーウスには瞬時にそれがメルケルだとわかった。
神殿からはメルケルの与えた祝福によって守られていた、テーウスとメルケルの九人の子供が出てきた。
テーウスは涙を流して世の惨状を詫び、家族十一人で抱き合って再会を喜んだ。
テーウスがメルケルを肩に乗せ、焦げた大地の向こうの海をふと見やると冲の方に一艘の船が浮いていることに気がついた。
沖に出ていた漁船だった。
二十名足らずの漁師を乗せている。
それから、地上には、善良なる行いによって加護を受けていた数百名の生き残りが。
更に、鉱山にもぐっていたり、鍾乳洞の調査をしたりと地下にもぐっていた者たちも。
テーウスは大陸を九つに均等に分け、それぞれの子供に与えた。
生き残った者たちも九つに分け、それぞれの国に住まわせた。
アンスロテウス大陸の九つの国の王族は、このときの九人の子供の子孫。
民は生き残った者たちの子孫である。
テーウスは人々に『裁定者』と呼ばれ怖れられるようになった
その側にいつも彼の最愛の妖精が居るのだが、彼女を手に掛ける命知らずは、もはや存在しない。
こうして九つの国は現在へと至るのである。
* * * * *
「何度読んでも、お気の毒です…裁定者様。」
「ハッピーエンドじゃないか?愛する妻も側に戻ったんだし。」
「裁定者様はみんなのために頑張ったのに酷いです。 言い伝えですからどなたが作ったお話か知りませんが、もっとハッピーなお話にすべきです。なんだか裁定者様のお姿とルー様のお姿が重なって、わたくしは悲しいのです!」
「私の髪はまっすぐな銀だけど、裁定者の髪は巻き毛の緑金で緑の瞳だぞ?メルの見た目の方が近いじゃないか?」
「見た目は関係なありません!それに、奥様が転生したといったって小妖精では大きさが違いすぎます。ハグができないではありませんか。」
「ああ、それは確かに気の毒だな。人肌のぬくもりを抱き締めたり抱き締められたりするのはとても心が満たされるものからな。…こんな風に。」
「ルッ…!ですから!ここは公共の場ですよ!」
「いいじゃないか。今は誰もいない。…じゃあ、今日の夕食のあとはメルを膝に乗せてたっぷりクリームをのせたフィグのタルトをいただこうかな?」
「わっ!フィグのタルト!?」
「ああ。大好物だろう?私と同じくらい?」
「大好きです! でもルー様はもっと好きです!…はっ!」
《ここは公共の場ですよ、メルリーシュ嬢》
ルートヴィヒがマーガレットの声真似で言い、メルリーシュは真っ赤になった。
「ふはは!今日もメルは可愛いなぁ!」
昼休憩が終わったらショーツに血がついていた。
怖くなって王宮の医務室に駆け込んだらアリーナが来てくれて初潮について説明があった。
晩餐はいつもメルリーシュのお誕生日を祝ってくれるのと同じくらい豪華だった。
そしてその日から…




