プロローグ:冒険のはじまり
プロローグ:冒険のはじまり
そこは、かつて貴族が住んでいたという屋敷だった。
時の流れに打たれ、屋敷は壁の一部が崩れ、天井には蔦が絡んでいた。それでも、どこか品位の残る造りが、ここにいた者たちの過去の栄華を物語っている。
「まさか……本当にあったとはな」
埃まみれの地下室。その床を剣の柄で軽く叩いていた男が、目の前の袋を拾い上げながらつぶやいた。剣士・由比ケ浜。背中に炎の紋が刻まれた長剣を背負い、目は鋭く、しかしどこか夢見る少年のような色も宿していた。
袋の口を開くと、無数の宝石が光を返した。ルビー、サファイア、エメラルド……形は粗削りだが、紛れもない本物の輝き。
「背に腹は代えられねぇな。売ろうぜ、これ」
すかさず口火を切ったのは盗賊・東栄。身軽な革装備に、腰には鍵とナイフをじゃらつかせた男。どこで手に入れたのか、すでに書類を取り出し、さらりと屋敷の名義を由比ケ浜の名に書き換えていた。
「権利関係はこれでクリア。世の中、動かすのは金と紙だ」
「装備もボロボロだし、登録料だってバカにならない。いい判断よ」
落ち着いた声で言ったのは、中植。水の加護を受けた治癒術師であり、錬金術にも長ける青年だ。目元には常に疲れが見えるが、その理知的な目は状況を冷静に見ていた。
「これでやっと、まともなローブが買える……」
その隣でぶつぶつ言っていたのは、風の魔法使い・北川。眼鏡の奥の瞳は本のページを追っていたが、その手元は確かに魔力を感じ取っていた。
黙って頷いたのは、上野。巨体を覆う鎧には無数の傷があり、それを見てきた彼の盾は、ただの防具ではなく「壁」だった。言葉は少ないが、必要な場面では迷わず前に出る男だ。
「じゃあ、俺が装備のチェックしておく」
瓜迫が口笛まじりに腰の工具袋を開いた。彼は修理師であり、簡易エンチャントの技も持つ。戦闘力は低いが、装備の整備と罠解除では右に出る者はいない。
屋敷の地下で見つけた宝石の袋は、単なる偶然だった。
だが、それを偶然にしないのが、彼らの強さだった。
夕暮れの光が屋敷を赤く染めるころ、一行は街の冒険者ギルドの前に立っていた。
「……これが、はじまりなんだな」
由比ケ浜がぽつりとつぶやく。彼はこの屋敷――遠い親族が残した唯一の遺産を調べる中で、そこに眠る何かを感じていた。宝だけではない。もっと深い謎。もしかすれば、国の歴史にも関わるような、忘れ去られた物語が。
「名前はどうする?」と北川。
「え、まだ決めてねえのかよ」と東栄が笑う。
「それよりもまず、登録済ませないと。名前なんて後からでも――」と中植が割り込んだ。
「……“静と義経”ってのはどう?」
唐突に瓜迫が言った。
一瞬、空気が止まる。
「昔話かよ」と東栄が苦笑したが、由比ケ浜はその言葉に反応していた。
「静――戦わずして強く、心をもって癒す者。義経――剣に生き、知恵をもって進む者……」
全員がどこか納得したような表情を見せる。誰が静で、誰が義経なのか。それは決める必要はなかった。ただ、彼らの中には「静」も「義経」もいた。それでよかった。
「じゃ、それで登録だ」
ギルドの重い扉が開く音がした。
中はざわついていた。粗暴な声、笑い声、武器の金属音。場違いなようで、しかし妙に馴染む気配があった。
受付に立った由比ケ浜が、きっぱりと言った。
「パーティー名、“静と義経”で登録をお願いします」
ギルド員の女性が一瞬目を見開き、それから記帳を始めた。
正式なパーティーとしての第一歩。
彼らには、まだ名声も称号もない。
だが、力があった。
目的があった。
そして、始まったばかりの冒険が、確かにそこにあった。