エルフ、アルバイトを始める(後編)
「よし、じゃあ最後に接客の練習だ」
俺はレジ前に立って、フィーネに向き直る。
「まず、お客さんが来たら、いらっしゃいませって言う。声はハキハキと、笑顔で」
「むむ、呪文か……!」
「呪文じゃねえよ」
フィーネは小さく咳払いして、姿勢を正した。
「……い、いらっしゃいまそっ」
「噛んでる」
「いらしゃ……ま、まっ……まいりませっ……!」
「お祓いじゃねえんだって!」
肩を落とすフィーネ。
「む、難しいのう……笑顔ってのが一番むずい。余、筋肉がうまく動かぬ」
「そこからかよ」
けれど、それでもフィーネは真剣だった。何度も何度も発音を練習して、鏡の前で笑顔の角度を確認し、声のトーンを調整して……。
やっぱり、こいつなりに――ちゃんと、この世界に向き合おうとしてるんだな。
「……がんばってんじゃん」
「ふふ、当然じゃ。働くとは、こういうことなのだろう?」
そう言って、フィーネはほんの少し、誇らしげな笑みを浮かべた。
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夜中の3時。
コンビニに、酔っ払いのサラリーマンがふらりと入ってきた。
俺は品出しをしていたので、フィーネが初めて一人でレジを担当することに。
少し離れた棚からそっと見守ると――
「……い、いらっしゃいませっ……!」
声は少し震えていたが、ちゃんと聞こえる声だった。笑顔も、ぎこちないけれど精一杯のものだった。
サラリーマンは酒とつまみを無言で置き、フィーネは丁寧にバーコードを読み取る。
ピッ、ピッ。
……音に、どこか安心したような顔をしてる。
「お、お会計は……えっと、五百九十七円じゃっ!」
思い切った声に、俺も思わず背筋が伸びた。
客は無言で千円札を出し、フィーネはレジの操作に少し戸惑いながらも、お釣りを用意して――
「まことに、ありがたき幸せにございます……!」
「いや、そこは、ありがとうございましたでいいって言っただろ」
思わずツッコミを入れかけたが、客はクスッと笑って、
「姉ちゃん、面白いな。ありがとよ」
と言って、ふらりと出ていった。
……その瞬間。
フィーネは、ぽつりと呟いた。
「……ちゃんと、通じたのじゃな」
振り返ったその顔は、自信に満ちていて、どこか嬉しそうだった。
それを見て、俺は少しだけ――心が温かくなるのを感じた。
バイト後、帰り道。
「……どうだった? 初めての接客」
「……難しかった。けれど……余、人間のありがとうって、あったかいと思った」
「そっか」
「だいちも、ありがとうじゃ。いろいろ教えてくれて」
「……あー、なんか照れんな」
ふたり、夜の道を歩く。
まだ始まったばかりの共に生きる練習――だけど、確かに、何かが少しずつ動き出していた。