ゴミ置き場に舞い降りた姫(後編)
始発が動き出す頃、俺は自室の扉を開けて、そいつ――いや、彼女を招き入れていた。
「お、おお……ここが、人間の住処……!」
部屋に入るなり、フィーネは感嘆の声を上げた。4.5畳のワンルーム、ロフト付き。いわゆる貧乏大学生の典型的な部屋である。
「狭っ……じゃなくて、何その反応。ただのボロアパートだけど?」
「侮るなかれ! この冷気を生む箱とか、光を灯す紋章板とか! どれも魔力の片鱗すら感じぬのに動いておる……! これが、人間の科学とやらか!」
「それただの冷蔵庫とリモコンな」
冷蔵庫を神具扱いされ、リモコンのボタンを押して「光の呪符じゃ!」と驚かれる。朝っぱらから全力でツッコミを入れさせられる羽目になった。
何というか、こいつ……面倒くさい。けど、悪いやつじゃない。
「なあ、本当に異世界から来たって、マジで言ってんの?」
「うむ。魔法学院での実習にて、転送術を試したのじゃが……ちと座標を読み違えたようでな。ここが人間界とは……いやはや、我ながら豪快なミスである」
さらっと言うな。
「で、元の世界には、どうやって帰るわけ?」
「ふむ、それがのう……魔力をかなり消耗してしまって、しばらくは転送術が使えぬ。加えて、座標が定まらぬこの世界では、正確な帰還も難しくての……」
「……要するに、しばらく帰れない、と」
「うむ」
「……」
「な、なぜ黙る!? その、我は迷惑はかけぬよう努めるぞ!? 洗濯物も干すし、掃除も覚えるし、食器もちゃんと洗うし!」
「いや、一体どこで主婦スキル仕入れたんだよ……」
こいつ、本当に何者なんだ。
たしかに耳の形も服装も普通じゃない。言動もズレてるし、話してる内容も非現実的すぎる。普通なら夢オチ疑うところだ。でも――
「……まぁいいや。今日はとりあえず、寝ろ。ベッドは使っていいから。俺はロフトで寝る」
「お、おお……恩に着るぞ、だいち殿!」
「殿はいらん。てか名前、いつ教えたっけ?」
「そなたがレシートの名前欄に書いておった。ふっ、我の観察眼を甘く見るでないぞ!」
どこ見てんだよ。
俺はため息をつきながら、ロフトに上がる。下では、フィーネが布団の上に正座しながら、なにやら祝詞のようなものを唱えていた。
「……布団に祈るな」
「神具ではないのか?」
「違う」
「むぅ……人間界、難しすぎるわ」
ごろりと転がる音。続いて、小さく笑う声が聞こえた。
「でも……なんか、ちょっと楽しいかものう」
その一言に、俺は少しだけ目を細めた。
突然現れた謎のエルフ少女。現実じゃないみたいな状況。でも、妙に自然に受け入れてる自分がいるのが、不思議だった。
「夢とか希望とかないけどさ……君がいるなら、ちょっとは生きる意味あるかもな」
それは、独り言のような、呟き。
もちろん、彼女には聞こえていない――はずだった。
「……だいち殿、いま何か言ったか?」
「いや、なんでもない。寝ろ、ポンコツ姫」
「ぽ、ぽんこつとは何じゃーっ!?」
叫び声とともに布団が舞い上がる。静かな夜が、一瞬で騒がしくなった。
こうして、俺とフィーネの奇妙な同居生活が、始まったのだった。