人間の恋、エルフの禁忌(後編)
その晩、僕たちはいつものようにコンビニで夜勤をしていた。フィーネは相変わらず、店の中をウロウロしながら、お客さんに挨拶したり、商品を並べたりしている。コンビニでの仕事にも少しずつ慣れてきたようだ。
「大地、これ、何だ?」
フィーネが手に取ったのは、冷蔵庫から出したばかりのプリンだった。彼女はそれをじっと見つめ、興味津々で問いかけてきた。
「それはプリンだな。おやつみたいなものだ」
「おやつか! 余も食べてみよう!」
フィーネはそう言って、プリンを開けると、スプーンを突っ込んで一口食べた。
「うおおおお! これ、すごい美味しいぞ! こんなに甘いものが存在するなんて、びっくりだ!」
その反応に思わず笑ってしまう。フィーネは本当に食べ物の味に素直で、心から楽しんでいるのが伝わってくる。まるで子どものように楽しんでいる姿を見て、僕も自然と嬉しくなった。
「良かったな、気に入ったか?」
「うん、気に入った! 余はこれを食べるために生まれてきたのかもしれん!」
フィーネは何度もプリンを口に運びながら、満足そうに頷いた。その姿に、少しだけ安堵感を覚える。
――
夜が深くなり、店内も静まり返ってきた。フィーネと僕は、作業を終えて一息ついていた。
「大地、今日は楽しかったぞ」
「俺も楽しかったよ」
文化祭のことを振り返りながら、ふと気づく。フィーネは笑っているけれど、その目はどこか寂しげだった。
「フィーネ、さっき言ってたこと、どういう意味だ?」
彼女は一瞬だけ言葉に詰まったが、すぐに深いため息をついた。
「うん……余はな、人間界が好きじゃ。大地と一緒にいる時間も、とても幸せだ。」
その言葉に、僕は胸が締め付けられるような気がした。
「でも、余がここにずっといることはできない。魔力が少なくなって、もうすぐ戻らなければならないから」
僕は言葉が出なかった。彼女が本当にエルフ界に帰る日が近づいていることは、ずっと心の中でわかっていた。けれど、こんなに素直に彼女がそう言葉にするのを聞くと、痛いほどにその現実が突きつけられる。
「大地、余はどうしても……」
その時、店のドアが開く音が聞こえた。常連の客が入ってきたことに気づいたフィーネは、慌てて作業に戻るような素振りを見せた。しかし、僕はそれを見逃すことができなかった。
「フィーネ」
呼びかけると、彼女は僕に振り向き、目を合わせた。
「大地……すまん、余、少し考えすぎていたかもしれん」
「いや、俺も――」
その言葉を続けることはできなかった。急に店の中が忙しくなり、僕たちは仕事に戻らなければならなかったからだ。
でも、その夜のやりとりは、僕の心に深く残った。
――
数日後、また文化祭の話をしていると、夏音が僕に話しかけてきた。
「大地、やっぱりお前、フィーネのこと好きなんだな」
その言葉に、僕は驚きながらも答えた。
「え、なに突然」
「いや、だって、あんなに一緒にいるなら、普通そうだろ」
「……まあ、確かに」
「そっか」
夏音は少し考え込むように黙った。しばらくしてから、彼女は目を合わせて言った。
「でも、大地、あんたエルフと人間、絶対に無理だろ。どうするつもりだ?」
その問いに、僕は胸の奥が痛むのを感じた。フィーネとのことが、簡単にはうまくいかないことはわかっていた。エルフと人間、種族が違う以上、僕たちの未来には障害が待っていることも理解していた。
「それは……」
その言葉を口に出すことはできなかった。夏音は静かに続けた。
「悩んでるんだろ。だから、気をつけろよ」
「気をつけろって?」
「大地、あんたが本当にフィーネのことを好きなら、エルフと人間の違いを受け入れなきゃいけない。でも、その先にあるものを、しっかりと見極めないと」
その言葉は、僕の心に深く刺さった。確かに、フィーネとの関係には終わりがあるかもしれない。それでも、今は彼女と一緒にいることが何よりも大事だと、僕は心の中で思っている。
「ありがとう、夏音」
「気にするな」
その後、僕はしばらく考え込んだ。フィーネのこと、そしてエルフ界に帰るという現実。それをどう受け入れるべきか、まだ答えが出なかった。
でも、今だけは――
今だけは、彼女と一緒にいたい。そう、強く思った。
――
その夜、仕事が終わった後、フィーネと二人で帰る道を歩きながら、僕は彼女に言った。
「フィーネ、俺は君のことを、大切に思ってる」
その言葉を、彼女は静かに受け止めた。
「大地……余も、お前と一緒にいられて幸せだ」
その瞬間、僕たちはお互いに歩調を合わせながら、歩き続けた。
恋というものが、僕たちにとってどれほどの試練を与えるのかはわからない。でも、今はこの瞬間を大切にしたいと思っている。エルフと人間という壁があろうとも、僕たちはお互いに思い合っている。
未来がどうなるかはわからない。それでも、この時間だけは、確かに僕たちのものだった。