同居、はじめました
「大地、わたし、少し考えてみた」
フィーネが俺に向かって真剣な顔をしたのは、その日の夕方。コンビニから帰る途中、急にそんなことを言われて俺は思わず驚く。
「考えたって、何を?」
「エルフ界に帰るかどうか、ということじゃ」
「……え?」
帰るかどうか、それを決めるのはフィーネ本人だ。それは分かってる。でも、あの時の顔からして、ただの思いつきじゃないことはすぐに分かった。
「私、もしここに居られなくなったら……どうなるんじゃろう、って考えたんじゃ」
フィーネの目は、少し憂鬱そうだった。その瞳の奥に、遠くを見つめるような、少しだけ寂しげな光があった。
「魔力が消える前に、エルフ界に戻らないといけない。でも、それって……」
「それって?」
「それって、大地との時間が、すぐに終わってしまうってことじゃないか、って思ってな……」
その言葉に、俺は言葉を失った。フィーネが何を言おうとしているのか、何となく分かる気がしたからだ。
「だから、わたし、決めたんじゃ」
「決めた?」
「もし、わたしがエルフ界に帰れないなら、ここで暮らしていくことを決めた」
「え……?」
俺は目を見開いて、フィーネを見つめた。エルフ界に戻らない? それって、つまり――
「じゃあ、俺と……?」
「うむ、大地と一緒に暮らすということじゃ」
フィーネが、まっすぐな目で俺を見返した。俺はその真剣な眼差しに、思わず胸がドキドキと高鳴るのを感じた。
「お、おいおい……急にどうしたんだよ」
「急にじゃない! ちゃんと考えた結果じゃ!」
「本当に……?」
俺は少し照れながらも、フィーネの決意を感じ取っていた。彼女は、少しずつこの人間界に馴染んで、ここで生きていくことを望んでいるんだ。たとえ魔力がなくても、エルフ界に帰ることなく、人間界で過ごすことを選んだんだ。
「そうだよ! 私は……あ、でもそれだと、大地の生活に迷惑かけるかもしれんし……」
「迷惑なんてかけないよ。むしろ……」
思わず言いかけて、俺は言葉を飲み込んだ。だが、フィーネはすでにその顔に少し期待を込めていた。
「むしろ、何じゃ?」
「……ま、まあ、言っとくけど、同居するって言ったって、簡単に部屋を貸してやるわけじゃないからな?」
「む、むむ……それはどういうことじゃ?」
「まず、お前がちゃんと生活できるように、ちゃんと手伝わせるからな。掃除だって料理だって、全部やらせるから」
「ひぃっ……大地、意地悪じゃな」
「お前、魔法使えないんだろ? だったら自分でなんとかしろよ」
「ふ、ふむ……分かった、任せるぞ!」
こうして、フィーネと俺の同居生活が始まることになった。
====
翌日。大家さんにバレないように、急いでフィーネの荷物を部屋に運び込む。フィーネは最初、荷物を持っただけで「魔法で運べるはず」と言って無理に魔法を使おうとしていたが、当然のごとく魔法はまったく効かず。
「うぅ、無力だ……」
その様子を見て、俺は思わず苦笑した。だが、フィーネはすぐに気を取り直して、自分で荷物を運び出す。
「よし、これでいける!」
「お前、結構真面目にやってるな」
「当然じゃ! 大地と一緒に暮らすんじゃからな」
フィーネはそう言って、ちょっと胸を張って部屋の中に入っていった。
そして、しばらくして。
「よし! これで準備は整ったぞ!」
「おい、何を整えてんだ?」
振り返ると、フィーネが部屋の中央にじっと立っている。彼女は、自分が作った小さな祭壇のようなものを見つめていた。
「これで、部屋の神聖化が完了じゃ!」
「神聖化?」
「人間界の生活はどうも分からんが、この部屋は大地と私、ふたりだけの場所じゃからな! 魔法で神聖化して、邪悪なものが入らぬようにしておくのじゃ!」
「……いや、ちょっと待て」
どうやら、フィーネはこの部屋を彼女なりに「大切な場所」にしようとしているらしい。祭壇を作ったり、わけのわからない呪文を唱えたりして、思いっきり人間界の常識を無視している。
「ちょ、これやめろよ!」
「うむ、今はまだ力がないから、簡易的なものじゃけど……」
「いや、ちゃんと普通に生活しようぜ」
だが、フィーネは顔を真剣にして言った。
「だからこそ、大切な場所にしないといけないんじゃ、大地!」
その顔があまりにも真剣だったので、俺は黙って頷くしかなかった。
こうして、俺とフィーネの奇妙な同居生活が始まった。
お互いにわからないことだらけで、トラブルも多いけれど……確実に言えることが一つだけあった。
――この日常が、少しずつ楽しくなってきたことは、間違いない。