『消えた車窓』ある日の電車内にて
車両に乗り込んだ途端、そこに「人間」はいなかった。
いるのは、人間の形をした無数の「首」と「指」だけだ。首はほとんど一様にうつむいて、指は一様に忙しなく動いている。そして視線の先には、小さな板切れ。光る長方形。
たとえこの街に未知の疫病が流行ろうと、あるいは戦争が起ころうと、彼らはまずその板切れを見つめて、次に反応を選ぶのだろう。そこに「現実」は届かない。だが「情報」は確実に届く。
考えてみれば、昔の人間も似たようなものだった。新聞を広げ、文庫本を開き、クロスワードにペン先を走らせていた。だが、そのときは「現実」も一緒に、肩越しに覗き込んでいた。窓の外を流れる景色は、ページの隙間から時々目に入り、人間が「いまここにいる」ことを確認してくれた。
ところが、この板切れの前では、景色は存在しない。車窓はスクリーンになり、現実は背景になる。彼らの目には、世界は存在していない。ただ、情報だけが生きている。
ふと、手持ち無沙汰に空を見上げたときの、あの目の泳ぎ方を、最近の人間は忘れてしまったのではないか。
あるいは、電車というもの自体が、もう「移動」のための装置ではなく、「仮想空間への接続ルーム」にすぎなくなったのかもしれない。
だとすれば、降りる駅を間違えるのも、当たり前の話だ。乗客たちは、もはや現実を移動しているわけではない。情報の波を漂っているだけなのだから。
窓の外で桜が咲いている。
誰も見ていない。
春は、春だけの理由では存在できなくなったらしい。
「もしも安部公房が、現代の電車内での風景を眺めたら」という架空エッセイ。
―― もちろんChatGPTさんよる。
唐突ですが、今回でこの連載は一旦終了。
また別の形で登場するかもしれませんが、本連載はこれにて終了。気になる方が筆者(投稿者)をお気に入り登録でもしておいてください。他にもChatGPT関連をどんどん投稿していく気配なので、ごひいきに。




