第7章第4話 死闘(1)
「まぁ、そう簡単にはいかぬか」
ライルは嘆息した。前方には、奮戦するカタパルト王国軍の姿がある。ジィーム軍一万の投入を受けても、うろたえることこそあれ、潰走する気配はない。いくらジュネ将軍といえども予期していなければ防げない攻勢のはずだったのに、だ。
カタパルト王国の諜報機関は優秀なようだ。同時に、フリーダ皇国の防諜を強化する必要性をライルは認識した。
「閣下。敵将ジュネが後方に下がった様です」
「思ったより早いな」
前線で戦うことだけが指揮ではない。そのことに、ようやく気付いたのだろうか。ジュネ率いる一団のみが優勢を保っていても、他の軍勢が押さえ込まれれば意味がない。
もしくは、自身が先頭に立つことである程度士気が回復したと判断し、後方に下がったのかもしれない。
どちらにせよ、ジュネの狙いは明らかだ。甲羅から頭を出さない亀の如く、守勢を続けて機を待つつもりなのだろう。となると、このまま大軍で圧迫するだけではカタパルト王国軍に勝利の機会を与えてしまうかもしれない。
何か、策を講ずる必要がある。
「閣下。敵の様子が変ではないでしょうか」
「どういうことだ?」
士官の一人が言い淀んだ。常日頃部下に「細かいことでもいいから気になった所があれば言え」と言っているライルが促すと、喋り始めた。
「カタパルト王国軍右翼は我が軍の左翼に少なからぬ犠牲を加えているとはいえ、少勢に過ぎません。二千にも満たないのではないでしょうか。対して、カタパルト王国軍左翼はひたすら後退を繰り返していますが、右翼に比べると倍程の兵力があるように見受けられます。
右翼の方が左翼より練度が違うのでしょうが、それにしても兵力配分が極端です。何かを企んでいる可能性があるやもしれません」
そんなことか、とライルは鼻を鳴らした。進言した部下が恐縮した様子を見せる。慌ててライルは取り繕った。
「いや、そうだな。確かにその通りだ」
不安げな表情を見せる部下が何人かいる。ライルの部下は上官に影響されたようで、慎重な者が多かった。そのため、兵力差が大きくても危惧を抱えてしまうのだろう。
仕方ない、とライルは部下に説明し始めた。
「片翼に戦力を集中させる方法は、二つの策が考えられる。
一つは、片翼突破。我が軍の左翼が開戦したより少々時間が遅れて中央・右翼が戦い始めたことから、可能性は高い。ただ、我が軍は両翼に五千を配置している上、カタパルト王国軍の精兵と戦うのはババロア将軍だ。順当にいけば我々が勝つだろう。
だが、我々が両翼に厚い戦力を配置している可能性をカタパルト王国軍が考慮しなかったはずがない。もう一つ、策は考えられる」
「策とは?」
「中央突破だ。我が軍の右翼を放置して、カタパルト王国軍左翼が斜め右前に突撃。同時に中央も突撃。さすれば、薄くなっている中央を突破できるかもしれない。まぁ、放置された我が軍の右翼に横を突かれれば一貫の終わりだから、博打だがな」
部下の表情から危機感が消えた。ライルの考えが理解できたようだ。
片翼に戦力を集中しても尚倍もの兵力差があるため、片翼突破は不可能。ならばと中央突破をしようとしても、層が厚過ぎる上横をババロアに突かれるためハイリスクローリターン。
とれる手段はもうないのだ。余りにも兵力差が大きすぎる。
「そもそも、本当に戦力を片翼へ集中するならば、精鋭こそをそこに持っていくべきでしょうな」
結局、やや左翼に戦力が偏っているだけの普通の陣形に過ぎない。
「滅多なことがない限り、我が軍の勝利は揺るがないのだよ」
報告が届いた。カタパルト王国軍は中央にあった本陣の位置を前に移動したらしい。決死の抵抗。だが、ライルとジィームの猛攻に耐えたところで反攻する手段はないに等しい。無駄だ、とライルは切り捨てた。むしろ、こちら側に好都合なのである。
ライルは目を凝らして戦場を見渡した。
右翼は快進撃を続けていた。中央との連携も欠かしておらず、まず順調と言っていい。最初にカタパルト王国軍を崩すのはこの位置かもしれない。
ババロア率いる左翼も少しずつ前進している。カタパルト王国軍の騎士団を軒並み山岳地帯に押し込んでおり、まずまずの戦果をあげていた。多少中央との距離が離れているのは、ババロアが攻撃に夢中だからだろう。奴の悪い癖だな、とライルは頬を緩めた。
たとえ中央と左翼の間の屈折点を突かれても、ガストン皇王の率いる五千の本陣が穴埋めすれば問題ない。延翼と言う手段もある。
ライルとジィームが猛攻を加えている中央は、なかなかうまくいってなかった。カタパルト王国軍はじりじりと後退しているが、同時にフリーダ皇国軍による衝撃を緩和している。
やはり、ジュネ将軍の統率力・指揮はバカにできないものがあった。本陣を前線のすぐ近くに置くことによる士気の上昇も無視できない。
とはいえ、このまま右翼と左翼が敵を撃破すれば、中央も体勢を立て直すために大幅に後退せざるを得ないだろう。何の問題もない。
自軍の優越を改めて認識したライルは頬を緩めた。
「伝令です!」
右翼の騎兵五千を任せていた将校からだ。
カタパルト王国軍の中央と左翼の連結部分に弱点があるので、二千の兵力を割いて攻撃するとのこと。独断専行だと部下が騒いだが、ライルはそれを承認した。
更に、中央の各連隊から大隊や中隊を少しずつ引き抜き、一千の独立連隊を作り上げる。いざとなったら、左翼にこの戦力をぶつけるのだ。
「これが、決定打になるやもしれぬな」
「落ち着け! 落ち着いて対処すれば大したことはない!」
ジュネは、歩兵軍団長付きの第一部隊と貴族軍の数部隊合計千人を率いて連結部分に救援に来ていた。声を張り上げて、うろたえていた兵士に応援の存在感を見せつける。
ジュネは救援軍一千を半円状に広げた。膨らんだ部分を敵側に向ける。守備より攻撃向きの陣形だ。ジュネはこの陣形で攻撃的防御をすることで、味方の士気を上げるつもりだった。
(それに、うまくいけば逆に我々が翼側と中央の連結部分を突破できるかもしれん。少なくとも、その兆候を見せれば、フリーダ皇国軍は対処に追われるだろうな。さすれば……)
「閣下。救援感謝いたす、とのことです」
「そうか。ちょっと待て」
左翼を率いていた大貴族からの連絡兵だ。
ただ感謝を伝える為だけに兵を使わしたらしい。
緊張感に欠ける行動である。現在のカタパルト王国軍は一兵すら惜しい程の劣勢なのを分かっているのだろうか。連絡兵とて無限ではないのだし、有効に活用する必要がある。
ため息をつき、ジュネはフリーダ皇国軍右翼を睨み据えた。
(……、減っている。やはり、右翼から兵を割いて攻撃を仕掛けたのだろうな)
「伝えろ。フリーダ皇国軍右翼は現在戦力をこちらに割いている。今の内に、体勢を立て直せ。とな」
「は」
続いて、後方の魔術師団にも連絡兵を出した。時が来るまではこちらに援護を集中しろ、という内容だ。
向かってくる軍勢は騎兵が多い。また、ここでジュネが破れればカタパルト王国軍は潰走に陥る。ここは援護を受けるべき所だった。
「すわ、かかれぇ!」
フリーダ皇国軍の二千の騎兵の指揮官が叫んだ。
すかさずジュネも指示を出す。半円陣を縮小。敵勢の攻撃の勢いを殺せる間合いで縮小を止め、防御に転じる。勢いをかわされた敵勢の攻撃を何なく受け止め、ジュネは逆にそれをはね返した。
追うことはしない。
その戦いぶりを見て、逃げ惑っていた兵士や困惑していた部隊が少しずつジュネの半円陣に参加し、半円陣の厚みを増していく。また、周辺で戦っていたカタパルト王国軍の秩序が戻り始めた。
すると、魔術の集中的な攻撃も受けてたじたじの敵勢に、歩兵が追加された。
(合計三、四千といったところか……。問題ないな)
魔術師団にもう集中的な援護は要らない、との連絡兵を出す。
敵勢は増援に送られた歩兵と合流すると、時を移さず攻撃を敢行した。
再度半円陣を小さく纏め、敵勢の勢いが削がれたところで反撃に転じる。失速し始めていた敵勢の突出していた部分を潰し、ジュネの指示で纏まっていた半円陣が、今度は外側に拡がった。
ある程度掃討したところで止まるように命令し、陣形が広がったためできた穴を急いで埋めた。
だが、予想に反して敵が攻めてこない。様子を窺うと、どうやらカタパルト王国軍左翼が勢いを盛り返してきているようだった。
諦めるのかと思いきや、敵が第三波の攻撃を仕掛ける予兆を見せた。ジュネは直ちに攻撃を仕掛ける。二千人強にまで膨らんだ半円陣が敵勢の出足をくじく。歩兵軍団第一部隊が各位置に散らばっている為、総合的な練度はこちらが上だ。
勢いづいたカタパルト王国軍を率いて、後退する敵勢に追い討ちをかける。いつしか半円陣はその形を成さなくなっていた。
(……、ここは一旦攻撃をやめた方がいいかもしれん。この余勢をかって一気にフリーダ皇国軍の戦力を打破したとしても、延翼されれば意味がない。どころか、乱れた陣形を狙われる危険性さえある。望み薄な攻勢で戦力をあまり消耗する訳にはいかないのだ)
ジュネは冷静さを失わなかった。勢い余って攻撃する機ではないと判断したのだ。指示を出し、たちどころに整然な半円状の陣形を形成する。
そして、フリーダ皇国軍右翼に横槍を入れる陽動を行った。ただでさえ湿っぽい戦いぶりだったフリーダ皇国軍右翼は動揺し、陽動を行う前に連絡兵を送ったカタパルト王国軍左翼が躊躇なく猛攻を仕掛ける。
遅まきながら秩序を回復したフリーダ皇国軍が反撃に出た。左翼・中央と左翼の連結部分に数千の軍勢が更に追加される。延翼した様子はない。
(となると、皇王直下の旗本か)
ジュネの予測は間違っていなかった。今まで戦ってきた軍勢とは比べ物にならない程の精鋭が、カタパルト王国軍に容赦なく強襲を仕掛ける。
迎え撃ったカタパルト王国軍の前衛は見る見る崩れていった。
(どうする……っ。本陣に戻るか、それともここで立ち止まって戦うか)
中央からは一千程しか割いていない為、中央に加えられている攻撃も依然として厳しいものがある。とはいえ、左翼側にかかっている重圧も無視できない。
それを踏まえて考えたなら、左翼を重視するべきだった。こちらの方が危険だ。中央の軍勢はいざとなれば近衛隊が核となって暫し時間を稼げる一方、左翼には優秀な指揮官も軍勢もいないのである。
俺がやるしかないか、とジュネは不敵な笑みを浮かべた。虚勢である。
けれども、部下は皆ジュネの表情を見ているのだ。俺が動じてどうする。
ジュネは声を張った。
「左翼と合流するぞ! 投入された軍勢は精兵だ。全力を以て耐え抜く!」
野太い喚声が上がった。
鋭い眼光を敵陣に向ける。タンを吐いて、手綱を引き締めた。