第7章第1話 衝突(1)
霧が晴れてきていた。眼前にはフリーダ皇国軍が布陣している。向き合う両軍。兵士たちは神経を研ぎ澄ませて警戒しあってている。
「陛下」
ジュネ将軍が険しい視線をフリーダ皇国軍に釘付けしたまま、口だけを動かした。
中央に陣する総大将ジル。それを補佐する副将ジュネ将軍。軍師的立ち位置にいる俺。その他数人の武官。護衛のリッツ。これらが、本陣を構成している主なメンバーである。
俺達の建てた作戦は、既に全軍の指揮官に伝わっている。意思疎通には問題ない。ジュネ将軍が裁可したんだから、作戦に穴がある可能性は低いだろう。あとは実行するのみ、だ。
ただ、とても心配な点が一つある。カタパルト王国軍には兵力の余裕などない、ということだ。そのため、カタパルト王国軍中央は十五列程の横隊。果敢に攻め立てられたら、すぐに本陣に辿り着いてしまうだろう。
「そろそろか」
「はい。敵軍に動きが見られ次第、即座に進撃の合図をしましょう」
フリーダ皇国軍が動こうとした、その出鼻を捉える。ジュネ将軍の指揮能力なら、それも可能だ。失敗しても、単純な攻撃を行うことになるだけで、デメリットは小さい。
「……、敵が、動きます」
ジュネ将軍が言うのと同時に戦場に大きな音が鳴り響いた。ジルが鐘を鳴らさせたのだ。カタパルト王国軍が一挙に接近していく。少し経ってからフリーダ皇国軍も鐘を鳴らした。こちらもそろそろと進み始める。
最初に激突したのは右翼だった。騎士団のみで構成された軍勢が猛然とした勢いで攻めかかり、フリーダ皇国軍の左翼の前衛を蹴散らす。後方の魔術師の砲撃も右に集中され、カタパルト王国軍右翼は苛烈な攻勢を躊躇なく行っていた。
少し遅れて中央・左翼の軍勢も激突した。衝突はカタパルト王国軍に分があったようだ。出鼻を捉え、カタパルト王国軍はフリーダ皇国軍を押し込んでいる。その功はジュネ将軍にあるだろう。だてに歳は食ってない。老練な指揮である。
俺達のいる両軍の中央では怒号が飛び交い、鳴らされる剣戟の音が耳に響く。衝突から暫く経つとそのアドバンテージもなくなり、接戦が繰り広げられる。
両軍共に、決定的なミスは犯さない。互角の戦闘だった。
「あの旗は……。ライル大将軍の旗ですな」
ジュネ将軍が呟いた。ジルは戦場にはためく青旗を見て、無言で頷いた。
ライル大将軍か。兵站運用を得意とするが、戦術指揮能力に置いても当代一の誉れ高い。そう聞いている。ジュネ将軍がついているとはいえ、やはり手強い敵将なことには変わりなかった。
「それにしても、やけに敵の勢いがないの。
左翼を見ろ。倍もの数に押されて、退いているではないか。右翼は果敢に戦っているが、数倍の軍勢相手なことには違いない。
だが、中央の軍勢は同数。現在向かいあっている軍勢は併せて、そうだな……。二万程だろう。これはおかしい」
ジルが不満げな様子でせかせかと言葉を連ねた。確かに、両翼の騎兵は兵力差の為こちらが劣勢にある。特に貴族軍の騎兵が配置されている左翼は酷い。
一方で中央の兵力は同数で、必然互角の戦いを繰り広げている。今戦っている軍勢の倍はいてもおかしくないのに、だ。
となると、フリーダ皇国軍が何を狙っているのか。それは見えてくるな。俺はジルの言葉に応えるように口を挟んだ。
「ただ、斥候からの報告を信じると、ここに三万五千いるのは確かなんでし……なんですよね? となれば、考えられるのは二つ。機会を見て一気に戦力を投入するつもりなのか、迂回機動を狙っているのかだ……ですね。迂回機動を狙っているなら、東は山岳地帯なので進む方向は西しかない。斥候を多く出した方がいいのでは?」
「なるほど。まぁフリーダ皇国軍は多勢なので、素直に前者の策を採用したと考えて間違いないでしょう。兵力に大きく勝っている側がわざわざ奇策を用いる必要性はないのですから。ただ、一応斥候は出しておいた方がいいかと思われます」
俺の意見にジュネ将軍が同調した為、ジルは西側に斥候を多く出して敵が迂回起動しているかどうかを探るように命令を下した。
戦闘は続く。
ライル大将軍の指揮する軍勢は、やはりと言うべきだろう、手強かった。
歩兵軍団の精兵が中核となっているカタパルト王国軍に対して、フリーダ皇国軍は全体的に練度が低い。貴族軍よりはマシな練度だが、歩兵師団と比べると天と地の差があった。
それにも関わらず互角の激闘を演じるライル大将軍は、やはり流石と言うべきだろう。
一方左翼だが、こちらはフリーダ皇国軍の右翼に少しずつ押し込まれてきていた。どちらの騎兵も質は同等。将も同等だろう。だが、いかんせん数が足りていなかった。こちらが三千の兵力しか用意してないのに対して、フリーダ皇国軍の右翼の騎兵は五千人だ。今すぐ撃破されることはないが、厳しいものがある。
反面、右翼は三倍もの敵軍に対しよく健闘していた。
フリーダ皇国軍の左翼にいる騎兵は同じく五千なのに対し、カタパルト王国軍の右翼は僅か千五百強。兵力比は三分の一以下である。
フリーダ皇国軍の騎兵を司る歴戦の猛将ババロアと、カタパルト王国軍の臨時騎士団長に就任したばかりの若き騎士エッフェル。最上の騎兵と呼ばれる青鳥連隊二千が中核を占めるフリーダ皇国軍に対し、青鳥連隊と並べられることの多いカタパルト騎士団一千五百強。
兵力比は勿論、将器や質でも勝っているとは言えない。
では、何故騎士団がこれ程奮闘しているのか。
一つの事実が思い当たる。
ブルゴー騎士団長の死である。
この世界に弔い合戦という概念があるのかどうかはともかく、それが原因で士気が高いのだろうとは予測できた。その騎士団を巧く統率してババロアと渡り合える、エッフェル臨時騎士団長。彼の将器も並み以上なのだろう。
期待できそうだ。
「何やら、変な感じがしますな」
唐突にジュネ将軍が言葉をこぼした。顔をしかめている。
いきなりの不穏な発言に俺もジルも当惑を隠せない。変な感じ?
ジュネ将軍はその変な感じとやらについて説明する気はないようで、答えないまま馬に飛び乗った。腰から剣を抜き、空を切る。戦闘準備万端ってことか。
ってそれもしかして……。
ようやく俺がジュネ将軍の考えに辿り着いた時、フリーダ皇国軍第二陣の厳しい切り込みがカタパルト王国軍中央を激震させた。
目測でその数を推定しようと思ったが、こりゃあ数千とかそんなもんじゃない。数え切れない程の大人数。一万は超えているんじゃないだろうか。
これまで互角に渡り合ってきたカタパルト王国軍は、雪崩れ込んで来た第二陣の圧力を堪え切れず、じりじりと後退し始めた。押し合いはこちらが不利の様だ。
後退のペースがはやまり、浮き足立つ。
見かねたのか、ジュネ将軍は不意に立ち上がった。愛馬に飛び乗って剣を抜き放つ。
「私は前線に立って兵を鼓舞していきます。陛下もいつでも動ける体勢を作っておいてください」
「うむ」
俺とジルはその後ろ姿を黙って見送る中、ジュネ将軍は颯爽と駆けていった。向かう先は最前線だ。
ジュネ将軍が剣を抜き放ち怒声を上げると、その一帯から歓声が上がった。
活気づいたカタパルト王国軍は、一気に倍に増えたフリーダ皇国軍の猛攻をはね返そうと反撃に出た。先程まで後退していた各部隊が持ち場に留まり、懸命に攻撃を防ぐ。
数の圧力に耐えきれず一部でカタパルト王国軍の横隊が崩れるということも何度か起きた。戦列の穴を広げられれば全面潰走に陥ってしまう危機であるが、フリーダ皇国軍側から見れば突出している穴を作った部隊に集中攻撃を行うことでそれを阻む。
一進一退の攻防だが、総じてジュネ将軍は健闘していた。
「陛下。いつでも戦う準備は出来ております」
近衛隊長が本陣に入って来た。ジルは前線を食い入るようにして見ていた目を近衛隊長に向けて、静かに命令を下した。
「本陣の位置を前進させる。死んでもここで踏ん張るぞ」