第6章第7話 開戦前(3)
霧が濃くなってきていた。目を凝らすと、右側には山林生い茂る山がそびえているのが分かった。手前の木は枯れて無数の枝が露わとなっているが、向こう側の木には未だに葉が繁茂している。エッフェルは静かに冬を実感していた。
(思えば、そうだな。僕がドニ様に初めて会った時も、冬だった)
父アントナンの紹介でエッフェルがブルゴーに出会ったのは、今から十三年も前のことだった。アントナンの従騎士をやめて一人前になってからたった二年で大功をあげ、騎士団の部隊長になった男。エッフェルの想像通り、ブルゴーは強き武人だった。
エッフェルはブルゴーの従騎士となった十二歳の冬以来、ずっと彼を憧憬の眼差しで見てきた。ブルゴーの何かが、殆どのことに心を動かされなかったエッフェルの琴線に触れたのである。エッフェルが尊敬する人間は、今でもアントナンとブルゴーだけだ。
では、何がエッフェルの心を動かしたのか。ブルゴーが死んで、ようやく分かった様な気がした。
苛烈さ。
エッフェルは、ブルゴーの苛烈さに惹き付けられていたのだ。国に対する忠義、アントナンに対する熱誠、強さへの渇望、騎士としての誇り。全てが苛烈だった。
無論、エッフェルへの対応も例外ではなかった。武術の稽古をつけると言っては、過酷な訓練を課す。ブルゴーの従騎士として過ごした期間、生傷の絶え間がある日はなかった。
それでも、エッフェルのブルゴーに対する感情は変わらなかった。いや、むしろより尊敬の度合いを増した。嬉々として訓練を消化していると、いつの間にか従騎士達の中でエッフェルに敵う者はいなくなっていた。こうして、エッフェルは正式な騎士となった。
(……。ようやく。ようやく、副団長となれたのにな。まさか戦死なさるなんて。思いもしなかったよ)
そして、ブルゴーの死はエッフェルに喪失感だけでなく胸苦しさをも与えていた。
自分にブルゴーの代わりを務めることができるのか。この戦いで役目を果たすことができるのだろうか。果たして、勝てるのだろうか。
エッフェルが臨時騎士団長となったのは、父アントナンと師ブルゴーの威光あってのものである。無論彼らには実力も認められていたし、部下にもそう遅れをとっているつもりはない。とはいうものの、絶対的な自信を持つまでには至らなかった。
(ドニ様が亡くなったのは、僕の所為でもある。僕には、それ程の力はない。……、本当に勝てるのか?)
いや、とエッフェルはかぶりを振った。臆することはない。逃げ腰で戦えば、それこそ本当に負けてしまう。
矜持を持って死んだブルゴーの後を継ぐ者として、誇りある戦いをしなければならない。そして、その戦いに、
「怯えは無用だ」
呟く。感傷に浸っていられる時間はそう長くはない。
斥候がフリーダ皇国軍接近を伝えた。エッフェルは悠然と兵の待機している方向に向かった。
「臨時騎士団長閣下。既に騎士団の者は総員待機して閣下を待っております。敵軍と接触するのはまだですが、急いだ方がよろしい」
シュマンが進言した。
ブルゴーに対しては盲信的な信頼を寄せていた。エッフェルに対しては、上司部下の関係と言うより同僚としての気持ちが強いようだ。エッフェルはそれを不快には感じなかった。自分をブルゴーと比べるなどおこがましいと思っていたし、気後れせず進言してもらった方が結果的に自分のためになると知っていた。
「それにしても、閣下も大胆ですな。貴族軍の騎兵と直轄軍の騎兵を両翼に分けるとは、いやはや」
初老の部隊長は、それ以上言うつもりはないようだった。彼は、別働隊にいた騎士団員だ。副部隊長をやっていたのだが、部隊長が戦死した為後を引き継いだ。
役職が部隊長なので、任命での面倒な手順は省略されている。騎士団長任命の挙式を行わなければ正式な騎士団長にはなれないエッフェルとは違い、ジルの即断で部隊長となっていた。
因みに、先程彼の言った言葉は事実である。カタパルト王国軍は戦場に布陣し、両翼に騎兵を置いた。左翼に三千五百、右翼に千五百強。
左翼は貴族軍のみで構成され、千の軍勢を率いるキルバース公爵軍の隊長キルバース男爵が総指揮をとる。右翼は騎士団のみで構成され、千五百程度の騎兵をエッフェルが率いて戦う。
最初は貴族軍と騎士団を半々に分けて片側をシュマンに任せるつもりだったが、エッフェルは途中で意見を変えた。共に闘ってきた仲間、即ち騎士団、だけで戦った方が動きは格段に良いのである。
「閣下」
兵士が声を抑えて指差した。その先には台が用意してある。エッフェルは台の上に立ち、目の前に並ぶ千五百人の騎士団員を見まわした。
(……。二千人いた騎士団も、あっという間に二割以上が損耗したか。負傷兵が復帰すれば、ある程度の人数にはなるが……。やはり、あの敗北が痛かったな)
場が静まりかえる。統制のとれている騎士団は、喋るなと命令されれば物音一つ立てない。
エッフェルは視線を全体に向けて、ゆっくりと喋り出した。
「諸君。先日、カタパルト王国の真の愛国貴族が結集した、真の救国戦線が成立した。我々はリベア城に集い、フリーダ皇国軍と相対しているのだ。反乱軍は風前の灯で、我々は総力を結集して戦うことができる。この前提状況を勝ち取ることが今までの目的だった。その為に、幾多にわたる戦いを潜り抜けてきたのだ」
最初は穏やかに。そして、段々と熱をあげていく。その言葉には、エッフェルの想いが込められていた。エッフェルがリベア城で自問し続けた結論だった。
「私は、王国の復活が無為に成されると諸君に誓うつもりは毛頭ない。我々がそれを成すのである。そう、王国を愛する騎士である諸君が、一心同体となって行動しなければならないのである!」
誰も口を挟まない。エッフェルは、熱に浮かされたかのように言葉を紡いでいた。少しずつ、異様な熱気が騎士達に伝わっていく。
「カタパルト王国騎士団古の英雄達とて、その栄誉をおのずから手に入れた訳ではない。
不敗の騎士アントナン・エッフェルは、常に全力で戦った。我らが騎士団長ドニ・ブルゴーは、死を以て王国に忠誠を示した。カタパルト王国の繁栄は、我らの祖先が己の手で築きあげたのだ。英霊達の死をも恐れぬ闘争によって、カタパルト王国の今があるのだ!」
場が沸きたった。騎士団員は一斉に喚声をあげる。我を忘れた騎士団員達が、熱狂してどよめきを起こしていた。
エッフェルはおもむろに右手を掲げると、指を三本突き出した。
「諸君。今カタパルト騎士の全てを代表してここに立っている諸君の意志を知る為に、私はこれから三つの質問をしたいと思う」
興奮冷めやらぬ様子で騎士団員がエッフェルを見上げている。
「一つ。フリーダ皇国軍は、我々が大軍に対して恐怖を感じていると主張している。諸君に問おう。諸君は、数しか勝るものの無い烏合の衆に対して、決定的な勝利を信じているか?」
「「「「ヤー!」」」」
エッフェルは信じていた。騎士達も信じている。
「二つ。フリーダ皇国軍は、我々が相次ぐ戦いに疲れたと主張している。諸君に問おう。諸君は、全ての敵軍をカタパルトから掃討するまで戦い続ける決意を固めているか?」
「「「「ヤーー!」」」」
エッフェルにはその決意があった。騎士達にもある。
「三つフリーダ皇国軍は、我々が騎士団長閣下の死に士気を失っていると主張している。諸君に問おう。諸君は、死んでいった仲間達の遺志と未来の仲間達の幸福の為に、勝利の為に、死力の限りを尽くす覚悟をしているか?」
「「「「ヤーーーー!!」」」」
エッフェルに、全ての騎士に、死力の限りを尽くす覚悟がある。
「私は諸君に三つの問いをかけた。その答えは、いずれも肯定だった。諸君は王国の騎士であり、王国の騎士は諸君に他ならない。したがって、王国騎士の、我々の決意は、今ここに示されたのだ。目前に敵軍が迫っている。勝利はそこに待っているのである」
一拍置いて、エッフェルは大音声で吠えた。
「今我々が掴もうとしている未来は、運に定められた未来ではない。我々が、カタパルトの騎士諸君自身が自ら選び取った未来なのだ!」
「死んでいった仲間達の遺志が我らの胸にある限り、カタパルトがある限り。我々は、全てを尽くして戦わなければならない! 立ち上がれよ騎士! 今こそ明日を掴む時である!」
場が沸き返った。熱狂的陶酔が騎士達の心を満たす。最早、騎士達のいる場所は興奮のるつぼと化していた。
大地が震えるような気がする。戦慄だった。エッフェルの血は沸騰しそうなほどにたぎり立っていた。
「閣下。敵軍が急接近してきています。前進命令が下りました」
小声の注進が入り、連絡兵がすぐに立ち去っていく。未だに場の興奮は収まっていない。エッフェルは声を張り上げた。
「諸君! 只今国王陛下より命令が下った。我ら騎士団への前進命令だ。これは、英雄の遺志と王国の未来をかけた決戦である! 死んでいった騎士達の遺志のため! カタパルトの未来を掴み取るために!
我々騎士団は、今こそ全てをなげうたん!」
どうしてこうなった…
第6章終了。次の第7章で第3部は終わり。更新速度加速します。