第6章第6話 開戦前(2)
熱が体を駆け巡っていた。昇ろうとしている太陽が強烈な熱線を浴びせてくる。既に早朝になっていた。ガストンは、ただ太陽の方向をじっと見ていた。
(カタパルト攻略。なかなか楽にはいかぬな。流石に二十四代続いてきただけのことはある。反乱軍側が優位過ぎるのを憂慮していた時が懐かしい。これ程カタパルト王国に人材がいるとは思わなんだ)
ガストンには、カタパルト王国を今すぐ滅ぼすつもりはなかった。マクシム側とジル側とで戦力を拮抗させ、ぶつかり合っている間に北半分を何年もかけて我がものとするつもりだったのだ。そしてその勝敗が決した時、勝った側は度重なる戦で疲れきっているだろう。そこを、叩く。
最初から想定通りには進むとは思っていなかった。事実、シャルロワはガストンに隠れて味方を増やしていたようで、反乱軍の勢力は想定以上に大きい。
だが、戦略とはそもそもそういうものだ。ガストンはカタパルトを二分させる、という大戦略を成功させるためには何でもやるつもりだったし、事実色々と不義な行動も行った。
東と南から攻め立てられて危地に陥ったカタパルト王国軍に動く時間を与えたのも、戦略の為だった。反乱軍の勢力があまりにも大き過ぎたのだ。
フリーダ皇国軍が急速な南下を行うつもりがない、とカタパルト王国に伝われば、彼らは籠城して助けを乞ってくるだろう。そう予測していた。たとえシャルロワに立ち向かって敗北しても、王城までもは失われない。王城に籠ったカタパルト王国軍が助けを請えば、ガストンとしては応じるつもりだった。
それが、まさかの大勝利だ。それも、二回連続である。ジュネ将軍を軍の中核に据えるというおまけ付きだ。
これはまずい。そうガストンは感じた。勝利したことだけではない。勝利によってもたらされた、『勢い』の方がより深刻な問題である。二度勝った為、兵士は単なる偶然とは感じない。ジルが王位を継いでからの二度の奇跡的勝利は、何か運命的なものを兵士に感じさせる可能性が大きかった。
ガストンはジル側がシャルロワを撃退したという報せを聞いてすぐ、本国に急使を送った。宛先は宰相とトム将軍である。一万の援軍を要請し、圧倒的大軍を以てカタパルト王国側を叩くと決断した。
本来なら一万程のエリエーの部隊が合流して戦うはずだったのだ。できないものは仕方ない。後方連絡線を狙わせて、敵をおびき出す。十分役に立っていた。
何の問題もない。焦って攻めてくるカタパルト王国軍に対して、泰然とした形で戦えばよいのだ。たとえ形勢が不利になっても、潰走しない限りはこちらに分がある。エリエーの別働隊が今も後方の拠点リュイ城に迫っているからだ。
フリーダ皇国軍は万が一勝てなくても、持久戦に持ち込めばなんとかなる。一方カタパルト王国軍は圧倒的な勝利を飾らなければ、道はない。この差は大きかった。
「陛下。失礼いたします」
ライルが入室した。伝令の男も同行している。ようやく敵が動いたか、とガストンは腰をあげた。伝令が口を開く。カタパルト王国軍、出撃。
ガストンはその報せを聞いて、予想通りだとほくそ笑んだ。伝令が退室する。部屋には、ガストンとライルだけが残った。
「ライル。カタパルト王国軍は、まんまとこちらに向かってきているぞ。あ奴ら、これが罠だということにすら気付かんか。まんまと兵力を分散した理由を少しは考えもしなかったようだな。いや、たとえ考え付いたとしても、結果は同じか」
「陛下。油断はなさりませぬように」
ライルは無表情の内にそれを窘める。目はカタパルト王国軍のある南東に向いたままだ。ガストンは無造作に言葉を返した。
「無論。分かっておるわ」
軍議のため幕僚を招集した。幕僚といっても、一握りの将軍だけである。総大将のガストン皇王。副将のライル将軍。将軍であるババロア。先程援軍として現れた部隊の指揮官ジィーム。僅か四人ばかりの軍議だった。
ちなみに、ババロアは騎馬隊の指揮官で、ジィームは歩兵の指揮官である。同格の将軍だが、役割は違う。
軍議を始めると、まずジィームが口火を切った。ババロアも同調する。
「陛下。エリエー将軍の率いる別働隊の動向をお教えいただきたい」
「私などは、ジィーム将軍がいつ到着されるのかも知りませんでしたしな。そろそろ策の全貌を教えて下され」
そういえば、とガストンはあごひげをなでて、ライルに視線を向けた。ライルはやれやれといった様子で説明を始める。
「別働隊八千には南下の命令を出しました。第一目標はリュイ城。この城を落とすことでカタパルト王国軍の後方連絡線は途切れるでしょう。それは、カタパルト王国軍も分かっているでしょうね。だからこそ討って出た」
飛んで火にいる夏の虫とはまさにこのことだろう、とガストンは思った。エリエー将軍を欺いてまんまと逃げ切った手腕を見れば、油断すべき相手ではないだろうということは分かる。だが、それでもガストンの勝利の確信は揺るがない。
「なるほど。さぞかし焦っているのでしょうね」
ジィームの片頬に笑みが浮かんだ。彼の悪い癖だ。笑う時も怒る時も、その冷たい性格を隠そうとしない。校尉からあまり好かれていないのは、その為だろう。ガストンは少々残念な気持ちだった。ジィームの用兵は評価しているのだ。
「だが奴らはお主の援軍を知らない。戦場でぶつかりあって、ようやく気付くだろう。まぁ、たとえ今気付いていたとしても無駄だがな。この兵力差では、勝利を望めはしまい」
ガストンは得意げに目を細めた。
「では、もう質問はないな? それでは、布陣をどうするか考えようか。ライル」
「は。敵軍は両翼を占めるべき騎兵の数が多くありません。私の見立てでは、敵は両翼に歩兵と騎兵を混入するか、もしくは両翼を騎兵のみとして中央突破をはかるものだと考えられます。前者ならばこちらも正攻法で応対し、後者ならば両翼と中央との連携を失わないまま包囲する。それが最上でしょう」
「同意ですな」
「まぁ、それ以外に敵のとりうる策はないでしょうね」
ババロアとジィームが言葉を返した。異存はないようだ。副官二人にも特に不満げな様子が見られないのを確認して、ライルは言葉を続けた。
「両翼をそれぞれ五千ずつ、騎兵が布陣。中央は横隊で、第一陣に一万。第二陣に一万。本陣が五千。第一陣と両翼が戦闘開始するだけで敵と兵力は互角。第二陣、本陣と畳みかければ、まず間違いなく敵は潰走するでしょうな。これ程の厚みがあれば中央突破は不可能でしょうし、正攻法でやり合った所で結果は見えています」
「うむ。両翼にババロア将軍。第一陣をライル。第二陣をジィーム。本陣を儂が、それぞれ率いるということでいいだろうな。無論、全軍の指揮は儂がとる。万が一儂が死ぬことがあれば、ライルに全権を委任しよう。まぁ有り得ぬがの」
「中核たる第二陣をお任せいただけるとは、光栄です」
敵が中央突破を狙わない限り、第二陣が大勢を決する。どちらかといえば攻撃型であるジィームへの配慮だった。また、そろそろジィームには出世させてやりたいという気持ちもある。
機動力のある騎馬隊を率いるババロア。確固たる戦略眼を持つエリエー。冷静沈着な若き武将バナジューム。トムとライルの引退後に軍の中核となるだろう者の中に、攻撃に特化した将軍はいない。ジィームの戦い方には、やりようによってはライルをも上回る強さがあった。
「陛下。一つ、よろしいでしょうか」
「なんだ」
ババロアが提言した。
「中央突破も正攻法も無効化ならば、両翼からの包囲を行う可能性はありませんでしょうか」
「問題ない。第二陣の軍勢で延翼すればいいだけのことだろう。第二陣も本陣も投入して全軍が戦っている状態で両翼から包囲を狙われても、包囲される前に中央突破すればいいだけだ」
延翼とは、後方の部隊を左右に展開して回り込むのを防ぐ方法である。
「では、もし敵がそのような行為に出た場合には、私は耐えるだけでよろしいのでしょうな」
「無論」
ガストンは二つ返事で了承した。伝令が入ってきた。
「カタパルト王国軍が接近しています」
かなりの速度で動いているらしい。貴族のひきつれた雑兵を多く従えている割には、というだけだが。
「陛下。やはり、敵は何も知らないようですね」
ジィームが冷たい笑いを浮かべた。またである。これさえなければよいのだがと心の中で呟き、ガストンは意を伝えた。
「知っていて立ち向かっている可能性もある。知ったとしても、立ち向かう他に選択肢がないのだからな。そしてその場合、第二陣の一撃だけでは敵は崩れまい。
油断するな。窮鼠猫を噛むという言葉の示す意味をよく考えろ」
全員が「は」と返答し、ガストンの方へ頭を下げた。暗に、布陣の指示を要求している。皆、血がたぎっているのだろう。ガストンはしかめっ面を緩め、口元を緩めた。
「布陣せよ。然る後に、前進を始める。皇国の精鋭たちよ、これは歴史を変える最初の一歩となる戦いだ。カタパルト王国の歴史を終わらせ、フリーダ皇国が天下に覇を唱える。心しておけ」
たぎり立った様子で、ガストンは声を張り上げた。
「これは、決戦である!」