第6章第5話 開戦前(1)
「決戦である」
ジルの言葉に軍議場が震えた。熱気に包まれている。皆、興奮している。そりゃそうだろう。この戦いは、フリーダ皇国軍との戦いは、文字通り『存亡を賭けた』大決戦なのだ。ここで敗北すればもうあとはない。
軍議が始まった。開口一番、ジルが問題を提起した。
「北西に位置するフリーダ皇国軍本隊は推定二万三千。北東から南下してきているフリーダ皇国軍別働隊は推定八千。別働隊が南下して我々の退路を断とうと行動していると、先程注進が入った。我々の正面からフリーダ皇国軍本隊が圧力をかけてきているので、防ごうにも防げない。ならば、我々が採るべき道はただ一つ。
大規模な会戦に勝利することだ」
ジュネ将軍の賛同を皮切りに、武官達は次々と気勢をあげる。一通り収まると、ジュネ将軍が言葉を発した。
「では、陛下。前進してフリーダ皇国軍を正面から撃破する、ということですな」
「その通りだ」
軍議場がどよめく。若い武人らは皆興奮している様子だ。だが、ジルの表情はあまり優れたものではない。そういえば、さっきジルの奴は何かの注進を受けたらしい。その内容はここにいる誰もが、無論ジュネ将軍も、知らないのだ。
ジルは「軍議で話す」と言っていた。その表情は少し曇っていた。
「だが、諸君。戦う前に三つの悲報を言っておかなければならない」
軍議場は先ほどとは打って変わって静まりかえった。ジルはなかなか切り出そうとしない。数十秒経ったか、という時にようやく口を切った。
「まず、一つ目。ブルゴー騎士団長は戦死した」
誰も何も言わない。騎士団部隊長の面々はどこか感傷的な表情をしている。臨時騎士団長に任命されたエッフェルは唇をかみしめていた。
実力はもちろん、人望も影響力もあったのだろう。ジルが漏らしていた。ゆくゆくは、ジュネ将軍の後継者になってもらうつもりだったらしい。
「そして、二つ目。北方の反皇国連合軍が瓦解した。ゲイツ諜報局長」
「は。連合軍が瓦解した経緯についてですが、そもそも連合の主軸国の一つは元々裏切るつもりだったようです。ハイマ国という国ですが、この国は連合の情報を全てフリーダ皇国に流していたようなのです。結局、トム将軍率いる皇国軍は連合軍を見事撃破しました。
その後連合軍は融和派と抗戦派に分裂し、フリーダ皇国軍はその機に乗じてこの二派を抗争させ始めました。恐らく今はカタパルト侵攻に全力を注ぐつもりなのでしょう」
軍議場がざわめいた。信じられない、といった風な顔をする者が殆どだ。ジュネ将軍でさえ狼狽を隠せていない。ジルはその光景を腕組みして眺めていた。国王にたしなめられていると感じ取ったのか、ジュネ将軍が咳をしたのを境に急速に静かになった。
「三つ目。最悪の情報だ。一万人以上もの援軍がフリーダ皇国軍と合流した。訂正しよう。北西にいるフリーダ皇国軍本隊は二万三千人ではない。三万五千だ」
……。
なるほど。そう来たか。単純に、兵力を増やす。それだけで、勝機は薄くなった。一万五千。策なんてものを押し潰せるほどの兵力差だ。
折角相対する敵との兵力差を三千まで縮めたっていうのに、踏んだり蹴ったりだ。
「陛下。どうやら、どうしても我々は倍の軍勢と戦わなければならないようですな」
ジュネ将軍が自嘲した。歪んだ笑みを頬に浮かべている。ジルはそれに応じず、底冷えした声色で言葉を放った。
「諸君。戦いは厳しいと言わざるを得ないだろう。倍もの大軍、大量にそろえた騎馬隊、魔術師。練度も士気も、将帥の能力もどれもが一級品だ。勝てぬ、と諦めても仕方な
「陛下!」
エッフェル臨時騎士団長が机を叩いた。身を揺るがせるかのような重い音が響く。エッフェルは憤怒の形相でがなりたてた。
「確かに私達は奇襲に失敗しました。騎士団長は戦死し、敵は大軍で、練度も高い。それは、認めます。ですが! 我々は絶対に勝つのです!」
エッフェル臨時騎士団長の熱気に当てられて、次々と武官らが同調した。
「賛同いたす! カタパルト貴族としてこの戦い、負ける訳にはいきませぬ!」
「私も、この身を投げうって戦う覚悟があります!」
「亡き将兵の遺志を無駄にはさせません!」
貴族としての誇りと大軍への怯え、そして勝利の渇望。それらが混ざり合い、共鳴したのだろう。皆奮い立っている。
ジュネ将軍が右手を斜め上に上げて、言い放った。
「陛下。我々カタパルト王国軍は、その命尽きるまで戦うことをここに誓います!」
ジルはただ一人無表情な様子でそれを見ていた。緊張感漂う中、ジルは目をつぶって、そして開いた。強い意志を浮かべて、言葉を告げた。
「皆の思いは受け取った。それでは、再度言おうではないか。我々が今やらなければならないこと。それは、即ち、決戦である!」
喚声が上がった。やはり愛国心があるのだろう、皆が皆熱狂している。
しばらくして軍議場が静まりかえると、ジルは遂に本当の意味で軍議を始めた。
「では、これより対フリーダ皇国戦における作戦を討議することとする。ジュネ将軍」
「は」
ジュネ将軍が立ちあがった。地図を指し示す。現在のリベア城とフリーダ皇国軍の位置が見てとれる。
「現在フリーダ皇国軍本隊は北西で待機しています。兵力は約三万五千。後方には河川。左手には山。右手には平原が広がっており、その向こう側に街道があります。後方の河川との距離はさほど遠くない為、カタパルト王国軍が決戦に勝利すれば、追撃戦での戦果拡張は容易となるでしょう」
なるほど。条件がいいな。もし後方に河川がなければ、たとえ決戦で勝ったとしても逃げ切られて戦果を上げられないかもしれなかったのだ。先程まで俺は「決戦では敵に決定的な損害を出さなければならない」と考えていたから、嬉しい情報だ。
「このようなフリーダ皇国軍本隊の布陣は、見方によっては誘っているとも考えられます。決戦を挑めば、高確率で乗ってくるでしょう。陛下。一つ質問をよろしいでしょうか」
「許す」
「先程仰られたフリーダ皇国軍の援軍のことですが。フリーダ皇国は我々が援軍の情報を掴んでいると知っているのでしょうか」
「知らないだろう。この情報は、諜報局が偶然手に入れたものだ。戦場で驚かせるつもりだったらしいと聞いた」
「分かりました。それでは、」
へぇ。ジュネ将軍の言いたいことが分かったわ。こりゃあ僥倖だ。なんせ、
「戦場は此方が選べるということですな」
なのだから。
ジュネ将軍の言ったことが理解できないらしい貴族の質問を受け、ジュネ将軍は喜悦を隠しきれない表情で説明した。
フリーダ皇国軍が援軍の情報を秘匿しており、戦場で大軍を出して俺達を驚かせる予定だった。ということは、フリーダ皇国軍は戦う気満々なのだ。
それならば。カタパルト王国軍が陣を整えて臨戦態勢をとってからその近くまで軍を動かせば、間違いなく、フリーダ皇国軍は乗ってくるだろう。そこで退くなり前進するなりあるいは左右へ動くなり俺達が動けば、折角寄って来た獲物を逃がさんとフリーダ皇国軍は追ってくる。
まぁ、余りにも罠臭い所に誘導すれば流石に向かってこないだろうが。
「なるほど。ジュネ将軍は卓見ですな」
「有難いことですな。折角ですからその賛辞は貰っておきましょう。では」
ジュネ将軍がお世辞を軽くかわし、ジルにお伺いを立てた。ジルは頷き、言葉を返す。
「フリーダ皇国軍を誘引して決戦を挑み、打ち破る。決定事項だ。では、何処でどのようにして戦うのか。それを話し合おう。意見のある者は、忌憚なく声をあげろ」
「それでは」
と貴族の一人が挙手し、立ち上がった。
「フリーダ皇国軍に前進する暇を与えず、攻めかかってはどうでしょうか。河川に追い込むのです」
「いや、それはどうだろうか。フリーダ皇国軍が罠を仕掛けている可能性があるし、第一兵力に劣る我々が圧迫して河川にまで追い込むのは無理だろう」
すかさずエッフェル臨時騎士団長が異議を唱えた。貴族は「そのような逃げ腰でどう致す!」と悔し紛れに暴言を放ったが、エッフェル臨時騎士団長に「戦力分析の結果です」と切り返され、黙り込んだ。
気まずい空気が流れたのを感じたのか、今度はエッフェル臨時騎士団長が挙手した。ジルに発言を許され、立ち上がる。
「あからさまにこちらが有利な地形に誘導すれば、それはそれで怪しまれます。事ここに至っては、平原で真正面からぶつかるのはどうでしょうか。
両翼に置く兵力を我々騎兵のみにして、敵の両翼を誘引。そして機を見て中央と両翼の間隙を打つ。それが私の策です」
なるほど。道理にかなっている。騎兵戦力が少ないために両翼での戦いが不利に展開するのを、逆に利用するということか。
「もろ刃の剣ですね。こちらが圧迫を受けてそのまま潰走、という流れになるかもしれませぬ。とはいえ、特に有効な策がある訳でもありません。それに、成功すれば戦果は大きい。私は賛成です」
ジュネ将軍が苦渋の表情で感想を述べるも、賛同の意を示した。他の貴族や部隊長も賛成する。
ジルが、俺の方を向いた。俺は頷いて見せた。
「リョウ。お前も意見を言ってみろ」
「は」
視線が集中する。俺は緩慢な動作で立ちあがった。緊張感を上回る高揚感で身が包まれている。
先程のエッフェル臨時騎士団長の作戦。今とりうる最高の策のように思える。だが、敵が巧く間隙を晒してくれるとは思えないのだ。そもそも、騎兵戦力に勝るフリーダ皇国軍の作戦は、包囲なのだろうから。
だからこそ、俺はワンクッション入れた新たな策を提唱する。
「今とり得る最上の策というのは、即ち『地の利』を活かすということです。エッフェル臨時騎士団長の作戦は劣勢を覆せる可能性を秘めた策ですが、それがない。ならば、その作戦に『地の利』を加えてしまえばよいのです」