第6章第4話 錯綜(2)
エッフェルは自責の念を覚えていた。
(騎士団長は……。ドニ様は死んだ。僕のせいだ。僕のせいで……)
ドニ・ブルゴー。強い男だった。エッフェルの父であり古今無双の勇士と謳われたアントナンに、唯一認められた男だったのだ。武勇、統率、戦略眼。全てにおいて際立っていた。かつてブルゴーの従騎士だったエッフェルはそう思っていた。
そのブルゴーが死んだ。エッフェルには死の余韻を悲しむ暇すらなかった。度重なる追撃から出来る限りの兵を逃がすので、精一杯だった。
「エッフェル殿。貴方に騎士団長の職を代行してもらおう」
ようやくリベア城まで辿り着いた時幕僚達にそう言われた。騎士団長が戦死したため副団長だったエッフェルがその役職を代行することに、異議はなかった。緊急事態だということはエッフェルも承知している。
フリーダ皇国軍の攻撃は熾烈の一言を極めた。城は三倍の兵力があれば落ちるというが、攻城しているフリーダ皇国軍はリベア城に籠るカタパルト王国軍の四倍以上の兵力である。その上、敗戦と逃走で兵の疲れは限界にきていた。
フリーダ皇国軍は力押しに押せると思ったのだろう。一時は自決すら考えた程の猛攻をしてきた。
それでもリベア城を守り抜いたのは、エッフェルの功ではない。少なくともエッフェルはそう考えていた。カタパルト王国直轄軍としての、誇り。練度。士気。それらが、リベア城の最大の壁となった。城の中に流れ込んで来た無数の敵兵は、決死の気迫を持ったカタパルト王国軍に、何度も押し返された。
「フリーダ皇国軍が退却しました!」
その報せを聞いた時、エッフェルは安堵の色を隠そうとしなかった。いや、出来なかった。退却が擬態で再び攻めるつもりなのかもしれない、とも考えたが、すぐそこまで迫ってきてくれているカタパルト王国軍がいる。その可能性は低かった。
そして現在、リベア城にてカタパルト王国軍は軍の再編をしている。別働隊の軍勢は死傷者を多く出しており、これまで通りの編成で戦い続けるには無理があったのだ。それに、これからは別働隊も本隊もない。敵味方一丸となっての決戦だろうとエッフェルは見ていた。
エッフェルは臨時騎士団長に任じられ、各貴族軍の騎兵を配下に組み入れた。合計で四千人程にはなった。フリーダ皇国軍に比べると騎兵戦力の比重が余りにも少ない。
仕方がなかった。騎馬の生産は北の方が盛んだし、平和に慣れていたカタパルト王国では金のかかる騎兵の育成は忌避されていたのだ。それに、先の敗北が騎士団の兵力を落としている。
先の敗北。もう一度あの敗北を思い出し、エッフェルは悔恨のため息を漏らした。
(僕にもっと力があれば、という後悔は間違っているのかもしれない。だけど……ッ)
冷静な戦況分析と胆力を買われており周りからは冷徹な副官と見られていたが、感情の起伏が激しくない訳ではなかった。一人、嗚咽する。その間ずっとブルゴーのことを思い出していた。数十分経った。そして、立ち上がった。
「勝つしかない」
呟く。援軍がリベア城に入って張り詰めた気持ちが切れたエッフェルだったが、そのままでいる訳にはいかなかった。フリーダ皇国軍と雌雄を決するまで、時間はそう長くはない。
エッフェルは自室を出て、臨時騎士団長室に騎兵の各部隊の指揮官を招集した。
騎士団の部隊長の他に、貴族軍の部隊長が八人いた。指揮下にある兵力も三百から一千と幅が広い。指揮するのは骨が折れるだろうが、エッフェルはその点には自信があった。
「では諸君。来るべき決戦に向けて、指揮系統の確認をしたいと思う」
貴族軍の部隊長の一人が息を呑んだ。男爵の地位にあり、一千人の兵力を率いている男だ。兵力を分割されると思っているのかもしれない。すかさずエッフェルは語を継いだ。
「無論、諸侯の兵力を分けて一律の兵数にする、といったことはない。これは騎士団も同様だ。それ程の時間の猶予はないのだからな」
時間があればそれも考慮しただろうが、今にでも出撃するかもしれないこの状況下でこれ以上再編を行うつもりはなかった。
「まず、ここにいる部隊長は私の指揮に従ってもらいたい。異存はあるか?」
誰も声をあげなかった。続ける。
「私が戦死した場合、シュマン部隊長。君に指揮を代わってもらうつもりだ」
エレナ・シュマン。『四公』と呼ばれる大貴族の内の一つ、シュマン一族の貴族だ。彼女の武勇・戦術指揮能力はブルゴーもかっていた。それだけならばほぼ同等の者があと二人いるが、彼女には大公の一族だという箔がある。それも、分家ではなく本家だ。
彼女が指揮をすれば、各貴族軍の部隊長達も従うだろう。彼らは大貴族の兵を率いてはいるが、彼ら自身は中貴族か小貴族なのだ。そのように配慮しての人選だった。
「分かりました」
エッフェルには副官がいない。元々エッフェルが副官だったのだから当然だ。まさか身の回りの世話をさせる従騎士に指揮を任せる訳にもいかない。ならば部隊長から選ぶ、というのが道理だった。
「では、私の部隊における軍規や注意事項を言っておこう」
まず、軍規。基本的なものはカタパルト王国軍のものと変わらないが、戦場での連絡については色々と詰めておくべき所がある。
注意事項。周りとの連携を忘れるなということが言いたくて付けくわえただけだ。残りは蛇足に過ぎない。今確認していることは、騎馬隊の指揮官ならば誰でも分かっているだろう。
一通り喋り終えて、エッフェルは口を閉ざした。質問があがる。一千の兵を率いる男爵だった。
「実際の戦場ではどのような配置にするつもりなのでしょうか」
気になるらしい。他の者達も皆興味深々な様子でエッフェルの答えを窺っている。
どのように配置するかどうかで、エッフェルの考え方が分かるというものだ。
騎士団員を前に出し、貴族軍の兵を後ろに置くか。貴族軍の実力に不信感があるのだと思われる可能性がある。その逆にすると、子飼いの騎士団を温存したいという考えがあるのだと思われるかもしれない。あるいは、騎士団員と貴族軍を両翼に二分するか。騎士団が配置されている片翼に力が傾き過ぎるため、奇策だ。
エッフェルはどう配置するかを未だに決めかねていた。
「それを決めるのは出陣する直前だ。作戦の如何によって布陣は異なるのだ」
これ以上言葉を紡ぐつもりはない。誰も踏み込んだ質問をしようとはしないため打ち切ろうか、とエッフェルが口を開こうとした瞬間、一人の部隊長が先んじて沈黙を破った。
「エッフェル臨時騎士団長閣下。士気対策をしていただきたい」
シュマンである。
「ほう?」
「ブルゴー騎士団長の戦死と敗戦による多大な被害で、騎士団の士気はかなり落ちています。閣下のお言葉で、兵士の士気を上げてくれないでしょうか」
「……。そうか。他の部隊も同じか?」
「はい。私の部隊もシュマン部隊長と同様の状態におります」
「私の部隊は別働隊に随行していなかった為敗走による被害はありませんが、士気は確かに落ちています。やはり、ブルゴー騎士団長の戦死が原因でしょう」
そうか。
もう一度呟き、エッフェルは言い淀んだ。未だにブルゴーの死を受け入れることは出来ていなかった。唇を噛み、ポツリと言葉を漏らす。
「分かった。考えておこう」
会議は終了した。皆が去っていく。残ったのはエッフェルの従騎士だけだった。エッフェルは、未だに感傷を捨てきれないでいた。ブルゴーへの憧憬。余りにも大きすぎた。
それでも、エッフェルの脳裏には冷静な打算も浮かんでいた。
(シュマンを副将にした僕の采配は間違っていなかったようだ。細かい所まで気を配れる。情に流されることもない)
いつの間にか、エッフェルの目には再び涙が浮かんでいた。涙が頬を伝った。勝たねば。そう呟いたエッフェルの目には強い渇望があった。