第6章第3話 錯綜(1)
「十日だな」
眼前にそびえるリベア城を見据えて、ライルは呟いた。軍議中の発言である。幕僚らは皆、ライルの「十日」という言葉が何を指し示しているのだろうかと首をかしげた。それらを代表してババロアが口を挟む。
「十日で落とすということですか。既に包囲してから五日経っていますし、敵軍の多くを騎兵が占めていることを考えればあり得ることではありますが。魔術師が居ますからそう簡単にはいかんでしょう」
魔術師がほぼ無傷で籠城している。それは、大きいことだ。そう考えての発言だった。飛び道具に弱い騎兵を率いるババロアは、魔術の危険について熟知している。精鋭たる直属軍に所属する魔術師を相手に攻城することは難を極める、と考えていた。
「確かに」
ババロアが言葉を継いだ。周りの視線が集まる。
「確かに、時間の余裕はありません。昨日軍議で話したように、カタパルト王国軍主力がエリエー将軍に対して詐術を弄し足止めした上で、こちらに向かってきています。兵力差を無駄にした上に内と外から挟撃を食らったらまずいことになるでしょう」
ババロアの発言に対して異存を示す者はいない。共通の見解だった。籠城している軍勢と外からの救援軍が巧く連携をとった場合、攻城中の軍勢を潰走に追い込むことは容易に達せられる。そして、籠城している別働隊は精兵の集まりで、救援軍にはジュネがいた。
「以上のことを踏まえるに、我々は一旦北に退くべきかと思います。北までカタパルト王国軍を誘引し、しかる後に撃滅する。可能でしょう。エリエー将軍が南下してリュイ城を落とせば、カタパルト王国軍の背後連絡線は崩壊します。それを避ける為、カタパルト王国軍は早期決着を望んでいるはずです」
これが、昨日の夜悩みに悩んだババロアの結論だった。
「いや、リベア城攻略のことではない。違う話だ。諸君の殆どには伝えていなかったが、そろそろ頃合いかと思ってな。陛下。よろしいでしょうか」
ババロアはライルの意味深な発言に眉を潜めた。違う話。それはつまり、『アレ』のことだろう。想定外の早さに、ババロアは驚きを隠せないでいる。
「そうだな。もう頃合いか。いきなり来て混乱されても困る」
ガストンが頷くと、皇王の座を向いていたライルは幕僚らの席を見渡した。皮肉気に頬を吊り上げ、口を開く。
「嬉しいお知らせだ。カタパルト王国軍にとっては、到底受け入れたくもない悲報だろうがな」
「陛下。敵軍に不審な動きが」
軍議が始まるか否や、連絡兵が軍議場に入ってきて言った。フリーダ皇国軍の後方、特にビッテンフィルス城辺りの警戒が強まってきているらしい。何らかの予兆か、あるいは俺達の目を逸らそうとしているのか。だとすれば、何を狙っているのか。
「斥候を多く出しましょう。警戒し過ぎるのに越したことはありません」
ジュネ将軍が進言した。ジルはそれを受け入れる。反対する者はいない。フリーダ皇国軍の動きが不気味だとは皆感じているみたいだ。別働隊を察知されて嵌められたことが、カタパルト王国軍士官の心に大きな影を落としている。
「あと三日程で、リベア城に到着するでしょうな。フリーダ皇国軍側の見地に立ってみると、一旦北に退くのが最善に思えますが」
ジュネ将軍が軍議を始めようと口火を切った。
発言内容は俺も同上って感じだ。挟撃食らうのは嫌だろうし、北に退いてエリエー将軍の軍勢を待つのがベストだろ。
「ただ、何らかの奇策を講じてくる可能性はありませんかねぇ」
シュタールが訝しげに言った。不気味な雰囲気に定評のあるシュタールも、策を読み切られたことにトラウマが生じているらしい。深読みし過ぎでしょ。
そう思ったのは俺とジュネ将軍だけの様で、他の士官達はまた表情を暗く沈めた。軍議場に不安感が押し込める。嫌な空気を払拭しようと俺は不意に立ち上がり、シュタールに対して言葉を返す。
「奇策はまずないでしょう。ガストン皇王もライル将軍も正攻法を好む真っ当な武将です。ましてやエリエー将軍の軍勢を含めれば兵力にはかなりの余裕があるのですから、まさか詐術を弄しますまい」
「しかし、ガストン皇王もライル将軍も、正攻法に囚われる凡庸な武将ではありませんからねぇ……。事実、奇策が必要な際には使っていますし。敵が退くだろうと信じ込んでいる我らに何らかの計略を施す可能性は十分あるでしょうねぇ」
ネガティブ過ぎだろ。まぁ不安になるのも仕方ないし、バカみたいに油断するよかマシだろうけどさ。じゃあどんな奇策があるっていうんだよ。
……。いや、あることにはある。
「確かに、とれる策はありますね、一つ」
軍議場がざわめいた。皆不安を感じつつも具体的な策については考えが及ばなかったのだろう。いや、具体的な策が思いつかなかったからこそ不安に感じていたのかもしれない。ジュネ将軍と隣にいるおっさんだけは悟った様な顔をしていた。
「我らがエリエー軍に対してやったことを、そっくりそのまま返す。賭けにはなりますが、フリーダ皇国軍にとっては十分成算があるでしょう」
カタパルト王国軍は僅かに五百の軍勢を捨て駒として布陣していた場所の少し後方に残し、主力の全てが西に向かった。結局エリエー軍は罠を恐れて追ってこず、俺達は悠々と西へ向かうことができたのだ。
だが、今更追い始めてももう遅い。五百の軍勢は散り散りになって後方の城に籠るだろうし、進軍速度的に考えてエリエー軍は西に向かっても戦いが決着付くまでに間に合わない。
それの逆パターン。つまり、城のちょい西に抑えとして五百から千程度の軍勢を残し、残りの二万程度は全て東に向かう。俺達と激突するのだ。兵力差は多少あちらが上なので、会戦における勝率はフリーダ皇国軍の方が高いだろう。
それを悟った籠城兵は出撃したいと思うだろうが、そうはいかない。抑えに千以下しか置かないなんてモロ罠だからだ。おびき出されて今度こそ壊滅し、リベア城も落城。そんなことになったら笑えない。割とマジで。
そんな訳で、リベア城の命運を背負っている籠城兵はなかなか動けないのだ。そこを突かれれば、兵力差のある状況で戦いを挑まれかねない。
「とはいえ、大した策ではないでしょう。籠城兵が誘いに乗ってしまい、それが罠だった場合はリベア城が陥落しますが。守り手は我が国の精兵達です。まさかそのような失敗は犯しますまい。となれば、多少兵力差が変わる程度です」
軍議場の雰囲気が変わった。皆霧が晴れた様な表情をしている。具体的な策を予想することで懸念を解消できたのだろう。
「では、北に退かず何らかの策を打つ気配も見せなかった時、どう対応するかを協議しましょう」
ジュネ将軍が仕切り直した。北に退かず、何もしない。つまり、俺達が近付いてきているのを横目にリベア城を包囲したままでいるということだ。まずそんなことは有り得ないだろうが、万が一の場合に積極策をとるか安全策をとるかということだけでも決めておいた方がいい。
「こまけぇことはいいんだよ!」精神で即刻攻撃するか、何らかの奇計をとられた可能性を考慮して様子を見るか。一長一短だが、俺は後者をお薦めする。何も考えずただ包囲したままでいるというのは、ライル将軍が有能そうなだけに、考えにくいのだ。その程度の武将なら俺達の策は見破られなかっただろうし。
「斥候を広く出して警戒を強めながらも、城内の味方と時を合わせて即時攻撃を開始しましょう」
アグレッシブな意見が出た。ジュワンベルクだ。強気の構えでフリーダ皇国軍を押し込む思惑だろう。敵に考える暇も与えず押せ押せで行くのは、確かに一理ある行動だ。
「いや、何らかの計略を立てられている可能性も無視できないかと」
知らない武将が発言した。慎重派の様だ。俺も賛成。先程ジュワンベルクが言った行動は絶対的に読まれてるんだから、攻めるなんてみすみす敵の計略を発動させるようなもんだろーよと。
「しかし慎重になって時間が経ち、エリエー軍が到着してしまえば元も子もない。攻めるべきでしょう」
ジュネ将軍の隣にいるおっさんが積極策を唱えた。周りの武将もその意見に理解を示している。積極派の方が多い印象だ。
「しかし我々が攻めるのを敵が見越しているのはほぼ確実。敵の思惑通りに動いた結果なんらかの策を施される可能性は無視できないでしょうねぇ」
シュタールが場の空気にあえて反して慎重な意見を言った。
う~ん。微妙な所だよなー。どちらの意見が正しいという問題ではないしなー。
議論が硬直状態になり、水掛け論に終始するようになってきた。シュタールが慎重派の筆頭で、ジュワンベルクは積極派の筆頭だ。主にこの二人が議論を戦わせている。
そこで、ジュネ将軍が遂に重い口を開こうとした。ジルが発言を許した。事実上の総大将の言葉である。どちらの意見をとりいれるのか、と注目が集まる。
「もし包囲したままの状態だった場合、敵にはなんらかの思惑があるのでしょう。慎重に動けばその策に嵌められる可能性は低くなる。しかし、東のフリーダ皇国軍と合流される訳にはいかない。これは最優先事項です。ならば」
一旦区切り、ジュネ将軍は言葉を紡いだ。
「思い切り攻めるべきです。中途半端はいけません。そして何らかの策が発動した時、それを破る。予備兵力を用意しておけばそれも不可能ではないのです。ともかく、あるかどうかも分からない敵の策に惑わされて機を逸することだけは避けなければなりませんな」
確かに、それもそうだよな。やっぱ凄いわこのおっさん。大将には決断力が必要とはよく聞く言葉だけど、ホント決断力がある。肝も太い。
議論の大勢が決し、ジルが解散と言おうとした。遮られる。誰かと思ったら急使だった。フリーダ皇国軍の動きを知らせに来たらしい。ということは……。
「リベア城を包囲していたフリーダ皇国軍が北に退却していきました」
「追撃は出来るか?」
「分かりかねますが、撤退の姿は整然でした。撤退速度もかなり速かったです」
「無理でしょうな、陛下」
「……。うむ。ジュネ将軍が言うなら仕方ない。追撃は出来ぬか。ならば、急いでリベア城に向かおう」
軍議は終わり、全軍が進行速度を速めた。皆急いだ様子で軍議場を後にし、残ったのは俺とジルだけだ。
それにしても。やっぱ退いたかぁ。無難だよな。
さっきまでの議論が無駄になった感はあったけど、ともかく想定通りの現状だ。収容されている別働隊を吸収して軍を再編。然る後に、北に出向いて決戦。って感じだろ。
俺に出来ることは、原野戦での作戦の立案か。参謀みたいな感じかな。リベア城の北の地図を貰って策を立てよう。
作戦の骨組みはできているとはいえ。どこでやるのか。どのようにしてその場所で戦うように仕向けるのか。その辺りはまだ不明瞭だしな。考えるべきだろう。




