第5章第7話 逆進(2)
「前方に敵軍の姿あり! その規模、およそ数万人とのことです!」
「……ッ」
エッフェルが息を呑んだ。ブルゴーは口を横一文字にしたまま表情を動かさない。それでも数秒間固まっていた。
(敵軍数万人に対し、我々騎士団の兵力は僅か千五百。まともに戦って勝てる相手ではない。後方の歩兵と魔術師を併せても、四千)
ならば、とブルゴーは目を見開いた。
「全軍退却。算を乱すように逃げる必要はない。急いで後方の軍勢と合流するぞ。それから、後方に使者を出せ。ゆっくり退きながら戦闘態勢を整えろ、とな」
鐘を鳴らし、騎士団千五百人が一斉に退却する。精兵なだけあって、その姿はとても整然である。
「閣下」
エッフェルがブルゴーに不安げな眼差しを向けた。わき目も振らず逃げた方がいい。そう言いたいらしい。だが、ブルゴーはその案に反対だった。敵の詰めが甘いのならば逃げ切れるが、敵将はライルなのだ。逃げようとすれば追撃で骨の髄まで食いつくされる。
「無理だろうな。我々騎士団にそれが出来ても歩兵や魔術師に逃げ切れる程の機動力はない。ここで二千五百の精兵を犠牲にすれば、我が国は落ちるのだ。立ち向かうしかないだろう」
フリーダ皇国軍が迫ってきた。魔術が、ブルゴーのすぐ傍に放たれる。それでも動じず、ブルゴーは整然と後ろへ下がっていた。騎士団も同じく、後退する。ただ、普通の後退ではなく、敵を見据えながらの後退だった。
(……)
おかしい。
ブルゴーは違和感を覚えた。フリーダ皇国軍には焦る様子も攻める様子も見えないのだ。それが強者の余裕なのだろうか。いや、違う。現在カタパルト王国は二連勝を重ねており、調子付いている。急いで騎士団に攻めかかって撃滅できる程の兵力差があるのならば、ここで勝っておきたいところだろう。
ならば、何故。何故攻めてこない。
「攻めて、来ませんな」
エッフェルが呟いた。同じ疑問を持っていたようだ。ブルゴーは剣を抜き放ち、答えた。
「だが、ここで背を向ければ攻めてくるだろうな」
「今の我々に隙がないから、なのでしょうか。それにしても兵力差があると思いますが」
わからん、という言葉を飲み込んで、ブルゴーは考え込んだ。
何故、敵が攻めてこないのか。今、何をすべきなのか。そもそも、何故敵がここにいるのか。
いや、最期の問いに意味はない。少なくとも、時間の無い今考えるべきことはただ一つ。今すべきこと、だ。
(何をすべきなのか? 決まっている。戦うしかない。それも、鮮やかな勝利を得る戦いだ)
後方の歩兵と合流した。
ブルゴーが指示を出し、陣が整う。両翼に歩兵、中央に騎兵、後方に魔術師。騎兵は基本的に両翼に置くものなので、戦のセオリーとはかけ離れた陣形だった。
ブルゴーの戦う意志を見てフリーダ皇国軍も陣を整える。騎兵は少ない。歩兵が中心の様だ。兵力で圧倒的に勝っているフリーダ皇国軍は、横隊を何層にも重ねた陣形をとった。
「閣下。一体何をするのですか」
エッフェルが尋ねてきた。焦っている様だ。余裕を見せる為、ブルゴーは頬に笑みを浮かべようとした。硬くてぎこちない笑いだ、というのは自分でも分かった。
俺も同じではないか。そう心中で自嘲して、その問いに答える。
「無論、闘う。ただ、真正面から押すだけではだめだ。敵軍を揉み上げろ。剛よりも柔。そういう気持ちでいけば問題ない。そして、頃合いを見て騎士団が突出する。魔術攻撃も全て中央に集中させろ。敵がうろたえている間に、両翼の歩兵は戦線を離脱しろ」
エッフェルが狼狽した。いや、エッフェルだけではない。ブルゴーの言葉を聞いた誰もが驚愕で口を動かせずにいる。
「来るべき時の為に、騎士団の内第一部隊は予備兵力としておく。よし、連絡兵は両翼の部隊長にそれを伝えろ」
「……、そんなっ。無茶。無謀です!」
エッフェルが額に汗を滴らせながら抗弁した。他の者は絶句している。
「無謀だと? 笑わせるな。我々は、カタパルト王国の騎士団だ。我々は騎士なのだ。フリーダ皇国なんぞの雑兵に、やられはせん」
連絡兵が二人、両翼の部隊長の元へ走っていく。エッフェルはもう異議を申し立てる気がなくなったようだった。何も言わず、敵軍を注視する。
ブルゴーはその視線の先を見据えた。
フリーダ皇国軍が、静かに前進してきている。圧倒的な兵力が壮絶な威圧感を放つ。ブルゴーは怯まない。数は多いが質は低い。小さく纏まってこちらが攻勢に出れば、兵力差による油断も相まって、敵は崩れるはずだ。そう考えていた。
もういいだろう。
ブルゴーは抜き放ったままだった剣を天に突き立てた。空気が張り詰める。フリーダ皇国軍の前進も止まる。
轟、と剣が風を切り裂いた。ブルゴーは喉を枯らさんばかりに絶叫した。
「かかれぇぇぇえええー!」
機先を制す。
ブルゴーの狙いは見事に当たった。フリーダ皇国軍は慌てて第一陣を前に押し出したが、カタパルト王国軍の勢いは消えない。突撃するカタパルト王国軍によって第一陣の横隊が崩れた。
第二陣が投入された。第一陣だけでもこちらと同程度の兵力だったが、第二陣まで投入されれば倍だ。闇雲に突撃したところで、抑え込まれるだけだろう。
だが、柔よく剛を制すとも言う。進んでは退き退いては進むという戦法をとれば、戦線はもつはずだ。
ブルゴーの命令で旗が降りると、騎士団は一斉に下がる。それを追おうとして崩れた隊列を、すぐに旗を揚げることで、攻撃した。再び下がり、崩れた隊列に斬り込んだ。三度目も同じように、敵を翻弄する。
四度目。流石に敵の隊列は崩れない。ブルゴーは前の二回より少し間をとってから、旗を揚げた。タイミングを外されたフリーダ皇国軍はうろたえて、騎士団の攻撃の的となっていた。
ブルゴーが左右を見やると、両翼それぞれの部隊長がうまくやっているのか、それ程形勢は悪くなかった。兵力は半分しか無いのに、上出来だ。
焦れたようで、フリーダ皇国軍は第三陣を投入してきた。敵は押しに押そうと前進してくる。ここぞとばかりに攻勢に移った敵の勢いは、簡単に受け止められるものではない。ブルゴーは軍全体用の旗を降ろして全軍を後退させた。歩兵も同様だ。
先程の倍程、間を溜めた。そろそろ、勢いがなくなってくる。今だ。旗を揚げて、攻勢に移った。守勢に入り、フリーダ皇国軍は混乱する。どうやら第一陣は後ろに下がっている様で、その所為で兵力差は二倍のまま固定されているようだった。
一気に全てを投入しないのは、下策だろう。この場合。敵の失敗を嘲笑い、ブルゴーは体の力を抜いた。頃合いだ。
配下の者に命令をする。合図をしたら、本隊用の赤い旗を揚げろ。そう言ったのだ。
また、連絡兵を魔術師団の部隊へ使わせもした。赤い旗が上がりブルゴーが敵陣に斬り込んだら、中央の一点に攻撃を集中せよという命令だ。その方が効率はいい。
「閣下。後の指揮は私に任されますよう」
「ああ。任せた」
エッフェルなら大丈夫だろう。安心して後ろを任せられる。それだけのことは教えてきた。
「掛かれぇぇぇえええーーーー!」
ブルゴーは剣を抜き、自ら先頭に立って配下の五百と共に敵陣へ攻めかかった。新手の精兵がフリーダ皇国軍の中で暴れ回る。ブルゴー自身も剣を振りまわし、瞬く間に十人の兵士を斬り殺した。
五、六人の雑兵が群がり、槍を突き立てる。だが、槍が迫った時既にブルゴーは動いていた。槍を弾いて一人の腹を袈裟切りする。血飛沫が上がった。それに目を奪われた男の頭を叩き斬り、残った雑兵は恐れをなして逃げ去った。
血の匂いを嗅ぎながら、ブルゴーは更に前へ出た。前に居るのは、新手らしい軍勢。第四陣。ブルゴーは一人で第四陣に襲いかかった。
炎の魔術が飛ぶ。それを退魔剣で防ぎ、ブルゴーは数人の兵士を斬った。敵が間合いを空ける。詰めようとしたところで、また魔術が飛んできた。右と左から、水と風の魔術だ。水の魔術を退魔剣で無効化し、風の魔術は体を捻って避けた。時をおかずに、また風の魔術が迫る。ブルゴーはそれを一振りで無効化すると、手綱を強く引き締めた。
大音声でがなり、剣を縦横無尽に振り回した。一気に三人の騎士を騎馬から叩き落とすと、周りから歩兵が槍を向けて突っ込んで来た。どうやら、指揮官だったらしい。
危機に瀕したブルゴーだが、高速で振られる剣と巧みな馬捌きで容易く攻撃の目を掻い潜った。尚も包囲して討とうと敵兵がちょこまかと動くが、後方から来た騎士団の精兵がそれを蹴散らした。
瞬間。
大地の揺れる様な轟音がブルゴーの耳を震わせた。退却の鐘だ。
「退けぇ! 退くぞぉ!」
馬の頭を回転し、速やかに走り去る。幸い、後ろから魔術で攻撃されることはなかった。突然の退却に対応しきれていない。
フリーダ皇国軍が何の対応もしないまま、カタパルト王国軍は戦線を離脱した。敵は追ってこない。
(勝ちだ。賭けに、勝った。勝ったのだ)
ブルゴーは表情を引き締めながらも、充足感に包まれていた。