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異世界の智将  作者: トッティー
第三部 怒涛編
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第5章第6話 追憶

 ドニ・ブルゴー。彼は、元々下級貴族の生まれだった。


 領土も持たず、かといって要職につくわけでもない。そこらの平民と同じ貧しい暮らしをしていた。そんな彼が軍に入ったのは、父との死別がきっかけだった。


 父が死ぬと、ブルゴーの母はすぐに再婚に踏み切った。責める気にはならない。生活の為に、必要だったのだ。


「お前、七歳だろう。丁度いい。騎士になってみたらどうだ?」


 父となった男から言われた。再婚してからたった数ヶ月しか経っていなかった。ブルゴーの母は口を開こうとはしなかった。今思えば、厄介払いだったのかもしれない。ブルゴーの実家も義父の家も騎士の家ではなく、代々官僚を輩出していたのだ。母の実家だけは騎士の家系だったが、それ程名門な訳ではなかった。


 しかし、当時のブルゴーはむしろ喜んだ。騎士に憧れていたのだ。


 こうして、義父の知り合いである騎士の元で修業することとなった。


「この糞餓鬼が!」


 師事していた騎士の口癖だった。騎士の癖に言葉は汚く、性格も荒かった。乗馬や水練に手を抜くと、すぐ殴られる。今から思えばあの厳しい修行のおかげで強くなれたのだろうが、あの頃は苦痛でしかなかった。


 九歳になると、ブルゴーはシュマン大公の館に送られた。見習い騎士として、騎士になるべく訓練を受ける為だ。宮廷作法をろくに教えられていなかったため恥をかいたことも多かったが、武芸に関してはずば抜けていた。同年代の者でブルゴーに敵う者はおらず、年長の者と戦った時も互角の勝負を演じていた。


 十二歳になり、シュマン大公の館にいる見習い騎士でブルゴーに敵う者は、遂にいなくなる。すると、ブルゴーは王の宮廷に送られ、そこで一流の教育を受けることになった。異例の処置である。それ程ブルゴーの腕っぷしは強かったのだ。


 一年後、王宮でも最強となったブルゴーは当時の騎士団長の従騎士となった。名を、アントナン・エッフェルといった。


 アントナンは、屈強かつ剛直な人物だった。騎士の鏡のような男で、どんな困難が立ち塞がろうと正面から体当たりして解決する人物だった。


 筋金入りの騎士だったアントナンは、五倍の敵軍を前にして正面からぶち当たり、勝利を獲得した。今でも語り草になっているあの戦いで、ブルゴーはアントナンの勇猛さを知ったのだ。


 今でもありありと思いだせる。それは、騎士叙任式を終えて一人前の騎士となった十五歳の夏の日だった。




「閣下! 北方にラクル連邦軍およそ二万の存在が確認されました!」


 斥候が慌てた様子で本陣に駆け込み、驚くべき事実を明らかにした。


 この時カタパルト王国は東方の紛争地帯イピロスに大規模な東征を行っていた。少数いる親カタパルトな豪族と共にイピロスの中央部に攻め寄せている真っ最中である。一年間続いた東征は成功間際だったが、ラクル連邦の介入によってその成功は阻止されようとしていた。


 ラクル連邦は、二万の軍勢を秘密裏に用意して、カタパルト王国のイピロスにおける占領地を攻撃したのだ。


 当時イピロス西部を既に占領地としていたカタパルト王国軍は、その地にアントナンを置いて軍政を行っていた。アントナンが率いていた軍勢は約四千。占領地を慰撫するだけなら十分な兵力である。


 ブルゴーは不安げな様子でアントナンを仰ぎ見た。当然困った表情をしているだろうと思っていたのだ。それは邪推だった。アントナンの表情は幾分たりとも変わっていなかった。


「逃げましょう」


 当時はまだ若かった、イフミ公爵家棟梁の弟イフミ子爵が進言した。他の軍人貴族も騎士団の部隊長も全員がそれに賛成する。だが、ここでアントナンに付き従っていた一人の豪族が異を唱えた。


「我々はどうなるのです」


 親カタパルトの豪族だった。イピロスの北部に領土を持っている。当然ラクル連邦に蹂躙されることになるだろう。皆彼らには同情していたが、戦に略奪はつきものだという考えだったので、それを助けようと思う程ではなかった。


 豪族たちは懇願し始めた。どうか助けてくれ。泣きだす者もいた。アントナンはその間ずっと黙っていた。


 豪族たちは助けてもらうことを諦めて、やがて俯く。その時、アントナンは立ち上がった。


「義を見てせざるは勇なきなり。行くぞ、戦いだ」


 豪族も軍人貴族も部隊長達も、皆が皆唖然とした表情を浮かべた。アントナンは立ち上がり、ブルゴーから愛用の剣を受け取る。ようやくアントナンの言ったことを呑み込んだのか、イフミ子爵が非難の声をあげた。


「閣下。五分の一の兵力でどう立ち向かうというのです」


 アントナンはなんともなしに答える。


「正面から叩き潰す」


「無理です!」


「俺は騎士だ。騎士ならば、勝算のある戦いから逃げることはせん。そして、お前は俺の二つ名を知っているだろう。『不敗の騎士』。その俺が、負けると思うか?」


 そうして、ブルゴー達は僅か四千の軍勢で二万もの大軍を相手とした。誰もが、理性では勝てるはずがないと思っていた。いくら不敗の騎士でも、限度がある。そう思っていた。


 だが、アントナンはその予想を見事に裏切った。たった一日でラクル連邦軍を撃退したのだ。


 まず先行していた一万の連邦軍に襲いかかって、すぐに退いた。連邦軍先鋒はその動きにつられて隊列を長くする。そこを伏兵が襲った。一万の軍勢が四千と六千に分断される。

 アントナンは自ら先頭に立って四千人の方の連邦軍を撃破した。時を移さず、六千人の方の連邦軍にも攻めかかる。四千人の敗走を見ていた連邦軍はあっという間に潰走した。


 後方でゆっくり進んでいた連邦軍一万の前に、敗走した軍勢がほうほうの態で逃げてきた。ものの数十分もたたない内に追撃していたカタパルト王国軍が攻め寄せる。アントナンは己の麾下である第一部隊五百人を小さく纏めると、連邦軍に突っ込んでいった。第一部隊は一万人がひしめく連邦軍を切り開き、遂には本陣へとたどり着く。アントナンは本陣に斬り込み、連邦軍の司令官を一太刀で殺した。


 敗兵を収容している最中に攻撃を仕掛けられた連邦軍は、効果的な手段を打ち出せないまま敗走した。


「閣下。我ら一同は、一生閣下に付いていきます!」


 感極まったイフミ子爵らが絶賛する。アントナンは特段喜ぶ様子を見せない。己の武勇を誇ることもせず、愛用の剣を一人で磨いていた。


 しかし、ブルゴーはアントナンの壮絶な戦いぶりをその目に焼き付けていた。たった一人で、百人以上の兵士を殺し、数百人もの兵士を負傷させたのだ。魔術の達人だったとはいえ、常人のできることではない。

 初陣で三つの首級を上げるという快挙を成し遂げたブルゴーは、その所為もあって己の武勇をあまり誇らなかった。ブルゴーは、常にアントナンの背中を追いかけていた。




 その二年後、十七歳となったブルゴーは騎士団第一部隊小隊長に抜擢された。イピロス有数の猛将をその手で討ち取ったのだ。アントナンは大変喜び、普段見せない笑顔を少しだけ見せてブルゴーの昇進を祝福した。


 その後もブルゴーは功績を立て続けたが、ブルゴーが十八歳となった時にカタパルト王国軍はイピロス全土から撤退した。原因は兵糧の欠如だった。四年間にもわたって遠征をしたカタパルト王国の兵糧が尽きたのだ。


 三年の歳月が経ち、アントナンは国王の崩御に殉ずるという名目で騎士団長を引退した。まだ四十八歳だったが、持病が悪化して戦場に立てなくなったのが直接の原因だった。

 そして、二十歳となったブルゴーはアントナンの息子ジュール・エッフェルを従騎士にした。アントナンたっての頼みだった。


「俺が死んで、ジュネ将軍が死んだ時、カタパルト王国軍を背負うのはお前だ、ドニ。王家に尽くせよ」


 ブルゴーが二十三歳となった時に、アントナンは病死した。ブルゴーはその年騎士団の副団長に就任。義父から家督を継承するか? と質問されたが否と答え、実父の家系ブルゴー家の家督を正式に継承した。勲功爵だったブルゴー家は、一気に男爵に昇格した。


 アントナンは戦場の天才と呼称され、戦術指揮能力に置いてはアリア大陸の五指に入るとまで言われていた。天才肌といった見られ方をしていたのだ。しかし、実の所彼は努力家だった。自分の努力を人に見せたがらない性格だった為努力家とは思われていなかったが、ブルゴーはアントナンの努力をよく知っていた。


 朝早くに起床し、ひたすら素振りと魔術行使を繰り返す。騎士団の訓練を終えると帰宅し、寝るまでずっと素振りと魔術行使を繰り返す。六歳の頃からずっとそのように過ごしていたらしい。強くなるのも当然だった。


 ブルゴーもアントナンにならって毎日必死に努力していた。二十六歳の時の反乱鎮圧において、倍の軍勢を巧みな用兵と一騎当千の武勇によって撃破すると、騎士団長に就任した。ちなみにこの反乱の時先代の騎士団長は戦死している。


 三十歳の時起きた反乱も難なく鎮圧し、ブルゴーはカタパルト王国の中でも十指に入る有力者となっていた。ジュネ将軍、イフミ公爵、レーデ伯爵。彼らの様な大物とも対等に付き合えるようになったのだ。流石にシャルロワ大公だけは別格だったが、それでも勲功爵だった身としては十分出世していた。

 その上ブルゴーは若い。他の有力者が軒並み五十歳以上なのに対して、ブルゴーだけは三十代前半である。必然、寄ってくる者も後を絶たない。


 ブルゴーはこうしていつの間にか己の派閥というものを作ってしまっていた。革新派の領袖となり、政治にも影響力を発揮するようになった。




 革新派の『フリーダ皇国周辺の小国を併呑する』という主張は、詰まる所ブルゴーの悲願であった。


 かつての東征に失敗した要因は何か。直接的な原因は兵站だったが、ブルゴーはラクル連邦の参戦にこそ真因を見出していた。ラクル連邦は真正面から戦って勝てないと分かるとゲリラ戦を繰り広げたので、その考えは一理あると言える。


 そしてラクル連邦の参戦が失敗の原因だったならば、カタパルト・フリーダ・ラクルの三国間にある小国を併呑することによって、ラクル連邦の抑えとすればよい。


 それは、非常に危険な案だった。そんなことはブルゴーだって分かっていた。それでも、彼はそう主張した。


「かつて東征で失われた命を、アントナン様の奮闘を。無駄にさせる訳にはいかないのだ」


 ブルゴーの、口癖だった。

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