第5章第4話 歓喜(2)
兵糧備蓄基地ソーウ。
フリーダ皇国のカタパルト侵攻に重要な役割を占める要塞である。当初兵站の管理はクリム城で行っていたのだが、南下が進むにつれて想定される戦場により近いここソーウが新たな兵糧備蓄基地となった。
カタパルト侵攻の総指揮をとっているのが兵站に重きをなすライル将軍が作っただけあって、無駄のない実戦的なつくりとなっている。急造なため防備の薄さは否定しきれないが、それでも短期間でこの基地を作ったライル将軍には素直に感嘆する他ないだろう。
しかし、先程の戦い。ソーウ防衛戦では、その欠点が如実に表れた。
「してやられましたな」
エリエーについている校尉の一人バナジュームが自嘲した。
バナジュームは、退却したジュネ軍を先回りして奇襲し、その結果大敗した、あの戦いの指揮官である。さぞかし自責の念にとらわれていることだろう、とエリエーは彼の気持ちを推し量った。
「まあ、そう言うな」
「しかし、エリエー将軍。初戦で敗北するということは、勢いを敵に持っていかれるということです。今回の敗戦は、痛恨の失敗と言えるでしょう」
他の校尉も、言葉には出さないが皆バナジュームの言葉に無言で同調した。
しかし、エリエーは心の中で反駁する。
(戦には、勝つべき戦と勝つ必要のない戦がある。そして、今回の戦いは勝つ必要のない戦だったと俺は思う)
完膚なきまでに敗北したこの戦いは、不測の事態ではある。ではあるのだが、エリエーは特段焦燥感や切迫感を覚えている訳ではなかった。
(策がある。陛下とライル将軍と俺、そしてあ奴しか知らない策がな。そして、大敗を喫した今でもその策は無傷だ。いや、むしろ補強されたと言ってもいいかもしれん)
「エリエー将軍。今後の行動をいかが致すのですか」
幕下の校尉からエリエーの意見が求められた。エリエーはゆっくりとした口調で口を切った。
「斥候を出し、敵の動きを注意深く見極めた上で、何か動きがあった場合には臨機応変に対処する。要するに、何もしなくてよい。今我々がすべきことはない」
「後手後手に回っては、勝てる戦も勝てないと思いますが」
「今の兵力では敵とまともにぶつかっても甘味がない。陛下の本軍を待つべきだろう、やはり」
「正面からぶつかり合うのは下策。それは分かります。ですが、どちらにせよ敵軍はここソーウを攻めてくるのです。その時、如何様にしてここを守るお考えですか」
一人の校尉が熱弁を振るった。他の校尉達も、気まずそうにしているバナジュームを除いては、皆が不満そうにしている。
敗戦の汚名を早く返上したいのだろう。また、フリーダ皇国のこれまでの勢いをここで失う訳にはいかないと思っているのかもしれない。どちらにせよ、的外れな意見と言って差し支えなかった。
何も見えてない。エリエーは苦々しくその光景を眺めた。
とはいえ、何も見えていないという感想は、エリエーがライル将軍の策を知っているからこそ出るものである。何も知らされておらず、策の存在に気付く程のヒントもない状況では、彼らの意見もあながち間違っている訳ではなかった。
「攻めてくることはないだろうな。陛下とライル将軍が率いる本軍の到着が遅くなるということは、敵軍には知られていない。そのように手配されている」
「しかし、万が一ということも」
「確かに、いざという時にその万が一の事態が起こるのが戦場だ。だがな、もしそうなったとしても、我々は背水の陣を敷いている訳ではない。多少退いたとしても問題はないのだ。敵を引きずり込んで決戦に持ち込むのもまた、戦略だろう」
「それでは、我が軍の勢いがますます削がれるではありませんか」
「勢いの為に戦略を犠牲にするというのは、本末転倒だろう。決戦に持ち込めば、我が軍の勝利は確定だ。それで、十分だろう」
「巧く敵を引きずりこむことに失敗した時。その時はどうするのでしょうか」
「こちらから攻めればいい。そもそも、もし敵が攻めてきたならば、巧く敵を引きずりこむのが我々の任務だ。軍人が己の責務を果たせない状況を仮定するのはよろしくない」
「軍人が楽観的観測に身を任せることも、よろしくないかと」
「バカか貴様は。その時はこちらから攻めればよいと言っているではないか」
エリエーは憮然として言葉を吐き捨てた。その心中は荒れ狂っている。態度は悪く見えるが、これでも抑えている方だった。
いかにも不快であるという表情をしながら、食い下がってきた校尉を見ずに、言葉を放つ。
「他に何かある者はいるか? ないならばこれで終わりにするが」
声をとがらせたエリエーの発言に、バナジュームが挙手した。
なんだ、また同じことでも言うつもりか、とエリエーは多少気色ばみながらも発言を許す。一方バナジュームはほぞを噛んだような表情で立ちあがり、切言した。
「先の戦において、伏して奇襲を敢行したのにも関わらず、大敗を喫して逃げ帰って来たこと。非情に忸怩たる思いでございます。つきましては、もしも敵軍が攻めてきた際、是非とも殿を申しつけられたくございます」
ほう、とエリエーはバナジュームの潔さに感じ入った。このような男は嫌いではない。途端に上機嫌になったエリエーは、表情を緩めて一言投げかけた。
「見事、名誉を挽回するがいい」
バナジュームが負けた遭遇戦。エリエーはその話を聞いてバナジュームを一応叱責したが、己の所感としては、バナジュームを面責する必要性はあまり感じなかった。
兵力差もあったし、奇襲とはいえ伏せていたのを気付かれていたので、その優位は無いに等しい。そして、その遭遇戦における敵将はあの『ローラン・ジュネ』だった。ジュネとは、カタパルト一の名将である。兵站管理や大規模な戦略眼においては到底ライル将軍に敵わないが、戦術という視点に立ってみればフリーダ皇国に彼を凌ぐ者は居ない。
少なくとも、エリエーはそう評価していた。
「では、意見のある者はもうおらんな。防衛体勢に入ることは決定事項とする。斥候を多めに出して常に敵の動向に気を張るようにしろ。特に、今回のような奇襲が再び行われないように、入念に警戒するように。以上、解散」
校尉達が椅子を引いて立ちあがり、それぞれの幕舎に向かって行った。エリエーは目を閉じて、戦いの行方を思索する。
(ジュネ将軍の攻撃は徹底したものではなかった。もう少し留まっていられただろうに、奇襲して我々の虚を突くや否やすぐ退いた。何かがあったのだろう。問題は、何を考えていたのか、だ)
俺の読みに気付かれていたのかもしれない。エリエーはぞっとした。
エリエーは奇襲を予期していて密かに兵を臨戦態勢にしていた。そのため、ジュネ軍の奇襲を聞いてすぐに退路を塞ぐ為の伏兵を置けたのだ。
それが察知されたのだとすれば、退いたのも納得できる。
(いや、流石に違うな。いくらジュネといえども、俺が兵を動かしたことを即効で気付いたなんてことはあるまい。ならば、単純に警戒心ゆえの所業か? それも恐らく違う。フリーダ皇国の兵糧を減らして兵を葬る絶好の機会だったのだ。警戒心だけで退くはずがない。
だとすれば……)
ライル将軍の言葉は正しかった。間違いなく、敵には策がある。確信したエリエーは、胸の内を絞り出すようにポツリと言った。
「迂回機動によるクリム城の奪還。なるほど、ライル将軍の読みは的中したようだ」
ならば問題ない。エリエーは心の中で言葉を続け、口角を吊り上げた。