第4章第13話 威圧
カール軍は劣勢であった。それは兵士らが一番感じ取っていたことだったし、将も皆戦場の趨勢に気付かぬ程鈍感ではなかった。
士気が下がり始めた時は崩壊の序曲だ。
いくら猛将で鳴らすジョージ達が必死に鼓舞しようとも、大きな流れを変えるには至らない。
「大隊長」
副大隊長がジョージに声を掛けた。前線から戻って来たジョージに全体の指揮をどうするか尋ねている。ジョージは力強い口調で答えた。
「劣勢は覆せない。敵に一打撃与えた後は速やかに退却する。中隊長に伝えておけ。殿は俺自ら務めるから、さっさと逃げる用意をしとけ、ってな」
ジョージの主君であるダイオシン・D・カールから言われたことと全く同じである。何もせず退却しても、怯えて逃げた為追撃の的となっている貴族軍の二の舞になるだけ。カール軍はそのように考えていた。
実際の戦争のセオリーにのっとって考えてみれば、間違っているとはいえないだろう。だが、この行動は裏を返せば、ギャンブルで負けが込んでる時に「一回でも勝ってからやめよう」と考えるのと全く同一のものである。
敵中央への突撃が失敗に終わればさらに酷い結末を迎えることとなる。そして、ジュネ軍の作戦を考えてみれば限りなく失敗に近い突撃であると言えた。
そのことに、彼らはまだ気付いていない。
(精強で鳴らすジュネ軍だが、案外楽に事は進むものだなァ。こりゃあ、ひょっとすると、何かあったのかもしれんなぁ! 将軍が怪我をしたか、誘い込む罠なのか、はたまた特に理由が無いのか。まあ戦場では不思議なことが起こるなんざ、ざらにある。罠を疑って及び腰になるよかァ、前進する方が余程いいだろ)
カール軍はさらに突進する。中央が前に前に進む一方で、両翼の軍勢は数に劣るジュネ軍を切り崩せずにいた。魔術師団の援護もあり、両翼は元居た位置をどうにか踏ん張れていた。
結果、包囲陣形が少しずつ作られてゆく。
ジョージも、あまりにもうまくいき過ぎる戦況への違和感が益々強くなっていった。
(中央への魔術師の攻撃が弱い。弱過ぎるな。カタパルト王国の魔術は大した事ねぇのか? ……、待て。そうじゃねェ。それだけじゃ、ねぇんだ。やってる感じ、敵軍の用兵は巧い。ジュネは生きている。だが、それにしては前進を許し過ぎじゃねぇか?)
急使が来た。主人であるダイオシン・D・カールからの使者だ。
即座に反転し、退却を敢行せよ。
ジョージはその内容に、笑みすら浮かべた。獰猛な、笑みだ。おおよそ喜んでいる様子の表情ではなかった。どちらかと言えば、獣が牙をむく様な、そういう得体の知れない感覚を覚えさせる表情だ。
「中隊長に伝達しろ。今から五十秒後に合図すっから、反転するように。ってな」
待機していたジョージ子飼いの連絡兵が散らばる。副大隊長が前に出ようとするも、ジョージはそれを己の右腕で制止した。
「てめぇが指揮しろ。俺は、前に出る」
「しかし」
「俺を誰だと思ってやがる」
副大隊長は沈黙し、呟いた。闘牛。その二つ名を持つ巨漢ジョージは、戦う時は先頭に立ち退く時は最後尾につく男だった。
三十秒が経過し、各中隊の動きがぎこちなさを増していく。報せを受けて、必死に反転の準備をしているのだろう。
既にカール軍は半包囲されていた。ジュネ軍の総攻撃による殲滅戦はもうすぐだ。一刻の猶予もない。
それを知ってか知らずか、ジョージの額は汗で湿っていた。胃の痛みが増す。
五十秒が経過し、ジョージは大声で叫んだ。
「反転ッッッッ!!!!」
待ち構えていた中隊が即座に反転する。敵軍の殆どは咄嗟のことに自失しており、一部の有能な部隊長が追撃に移るも、突出した追撃にそれ程の効果はない。
敵軍がようやく状況を把握した時にはもう、ジョージ達が最後尾に立っていた。
「大隊長直下中隊の野郎ども。もう十分体力は取り戻しただろう? 吉報だ。てめーらにはこの撤退戦で最大の武功を上げさせてやる。安心しろ、てめーらの傍には俺がいる。俺は、闘牛だ。血を見て猛る猛獣を簡単に止められると思うなぁぁぁ!!!」
瞬間。
ジュネ軍の追撃の全てがジョージ率いる殿軍に振りかかった。
魔術があちこちに飛んでくる。弓矢の放射も激しい。そして、ジュネ軍最精鋭の歩兵が真正面から激突してきた。
衝撃が伝わり、殿軍は数十歩ほど後退した。
だが、耐える。ここで潰走したら終わりだ。無駄に兵の命を散らせることは費用対効果が合わないし気分も悪い、とジョージは思う。それは、傭兵として身を立ててきた男の意地だった。
横隊をなるべく崩さないように、少しずつ後退する。一気に退くと苛烈な追撃を食らうし、かといって留まっていても豪雨のような魔術や矢に体力を削られるのだ。一旦退いて体勢を立て直すしかなかった。
縦方向への突破を狙うジュネ軍に対して、ジョージは密集陣形を組んで対抗した。ジョージの傍だけは薄いが、そこは彼自身の武勇で穴埋めできる。密集すると魔術や矢からより効率的に打撃を与えられるのだが、背に腹は代えられなかった。
「掛かってこいやぁぁぁあああ!」
ジョージの挑発に数人の兵士が挑む。
左右方向から同時に剣を振られ、ジョージは一瞬のうちに数歩後ろに下がった。剣同士がぶつかり合い、派手な音を鳴り散らす。右側の兵士の腕を蹴り上げて武具を手放させたジョージは、すかさず武器を失った兵士の左肩を叩き斬った。
「ぎぁぇあッ」
速すぎるジョージの動きに左側に居た兵士はついていくことを許されない。とはいえ、流石に精鋭。立ち直って左に迫ってきているジョージに気付くと、すかさず体当たりをしかけた。
ジョージも負けじと腰に力を入れて対抗する。互いが後ろに吹っ飛ぶこととなり、その結果ジョージは後方からも剣を振られた。
「……ッ」
咄嗟に体勢を崩して前かがみになり、後ろの兵士の足を思い切り蹴る。兵士の剣は空振りし、体を反転させたジョージは右手で兵士の首を捻り上げた。
音も発さず、兵士は息絶える。ジョージは憤懣やるせないといった表情で、先程体当たりをした兵士と向かいあった。が、それも一秒にも満たない一瞬の出来事。刀を担いでジョージは兵士に近付いて行った。
威圧感。
それは、時として人の動きを阻むことがある。蛇に睨まれた蛙は思わず心臓を止めるのだ。気に圧倒された人間は、無力である。
そしてこの時、カタパルト王国直属歩兵軍団の精鋭たる兵士は、同じ状況に陥っていた。
言葉を発してもいないのに、確かに放たれる威圧。気色。無言の気勢。ジョージには精兵をも圧倒させる力があった。
グシャリ。
こうして、兵士は命を落とす。ジョージの気勢によって作られた一秒にも満たない空白は、逃げることを手遅れにするには十分の物だった。