第4章第6話 猛進
あちこちで魔術が飛び交い、剣戟の音が混ざりあっている。皆が皆決死の表情で、気の抜けた者から血を噴き出して死んでいく。激戦である。
が。
やはり、合戦の序盤と比べると進撃速度は劣っていた。最初は奇襲を食らってあたふたしていた連合軍も、少しずつ冷静を取り戻してきたようだ。となれば、やはり兵力で劣るジュネの部隊には面白くないこととなる。
コーランド電撃戦は第二の局面を迎えていた。
「かかれぇ! かかれぇ!」
おおおおーーーー!!
歓声は鳴り響くものの、いまいち戦況は良くならない。ジュネは一人歯を悔しげに噛み締めていた。
(もうすぐ援軍が来るだろうが、やはりこの劣勢は覆しがたいな。いかんせん、数が違いすぎる……!)
現在、ジュネの軍勢は二つの勢力に攻撃されている。一つは、反乱貴族軍。先程打ち破ったべズ子爵の軍勢も体勢を立て直し、既にこちらへ攻撃を加えている。一つは、カール軍。「闘牛」という二つ名を持つ豪傑ジョージを先鋒とした、百戦錬磨のカール大将軍率いる約八千もの戦力である。
序盤は奇襲の恩恵もあってそれらを圧倒していたジュネ軍だったが、次第にその勢いは薄れてきた。
守勢に回ると弱いが攻勢に回れば最強、とまで言われたジョージ大隊長の迂回攻撃が直接のきっかけだった。自ら先頭に立って猛攻を仕掛けたジョージに気圧されたジュネ軍。その隙を見逃さず攻勢に転じたカール軍本隊によって序盤の勢いを失ってしまったのだ。
「ジュネ将軍閣下とお見受けしたぁ!! いざ、勝負!!」
壮年の男。十年を超えた傭兵歴を持つ、赤鹿傭兵団団長ガゼルである。十字の傷跡とは別に頬には新たな傷ができており、血飛沫を浴びたのか実際に斬られたのかは分からないが、右目が真っ赤に染まっている。
「掛かってくるがよい!」
ジュネは即座に腰から短刀を取り出した。今年で四十五歳。この世界でいえば老齢といっても差しつかない年齢であり、まだ若々しさを多く残しているガゼルと戦うのは、普通なら無謀と言えよう。
雰囲気や肩書きから推察できるように、ガゼルは相当の実力者だ。一対一ならカタパルト近衛隊隊士とも互角以上にやりあえる。伊達に傭兵団長をやっている訳ではないのだ。
だが、ジュネにとってガゼルと戦うのは無謀ではない。
伊達にカタパルトの将軍をやっている訳ではない。少なくとも、自信を持ってそう言える程度には誇れる武勇を持っている。
「はぁぁ!」
ガゼルの大剣が乗馬しているジュネの脇腹に向かった。それを軽くいなして、ジュネは下馬する。
ガゼルは一歩後方に下がり、今度はジュネの頭部を切り裂かん、と前方へ跳びながら大剣を上から振り下ろした。
(今から攻撃されても間に合わないだろう! これで、勝つ!)
ビュンッ!
ガゼルの期待とは裏腹に、耳に届いたのは渾身の一撃が空を切る音だった。見れば、一歩退がったジュネの額には紅い真っ直ぐな縦の線が描かれている。先程にはなかった傷跡。つまり。
(ぎりぎりの所でかわしたか!)
この一瞬。ガゼルに、自分の心が全て読まれているのではないか、という一抹の恐怖が湧いた。たった一秒弱でガゼル渾身の前振りをかわしたジュネ。最初からガゼルの攻撃を想定していなければ、あそこまで鮮やかに大剣を避けるのは不可能なのである。その上、ジュネの額にはガゼルによる切り傷があった。それが指し示す事実は、ことのほか重い。
(すんでの所で避けれたのではなく、ぎりぎり避けることで行動の無駄を省いたのか! ……、強い!)
一方のジュネは、後方への跳躍を利用して、着地した時には完全に体勢を整えていた。
腰を落とし、左手に短刀をもって右手をフリーにする構え。普通より手足を柔軟に曲げているのは、筋肉を一気に伸ばすことで発生するエネルギーをより大きくする為だ。
そして、四半世紀は戦場に立っている猛将ジュネである。ガゼルの心の隙を読めない訳もなく、即座に行動を起こした。
「とぉぉ!!」
収縮した左手を一気に伸長。目標は喉。力強い踏み込みと共に、ジュネの突きは電撃の様な速度でガゼルの首へ向かった。
一転して命の危機に見舞われたガゼルだったが、彼も凡人ではなかった。前振りには失敗したものの、体勢は崩れていない。手首を反時計回りに回しつつ、大剣を下から上に振り上げた。
「――――ッ」
ガゼルの肩に痛みが走る。ジュネの突きは喉から外れて肩に向かったのだ。それも、ただ突き刺した訳ではなかった。ガゼルが大剣でジュネの短刀を上に擦り上げた為、下から上に切り裂かれてしまったのである。
ジュネの突きをいなしながら半歩左方に動いたガゼルは、擦り上げた大剣の刃をジュネの頭に向けた。
突きを外したジュネは短刀を持った掌を上方に向けた。
ガゼルは痛みで一瞬動きを止めた。ジュネは体勢の崩れで二瞬程、体勢の再構築に時間を費やした。
そして、結果的に先手を取ったのはガゼルだった。今度こそ、とジュネの頭部に向かってガゼルの前振りが放たれる。
通常ならば突きを防がれた時点でジュネの敗北は決定的である。この状況から攻撃を防ぐのは難しい。
「閣下ァ!!」
近従の一人が声を上げる。悲しみの色の混じった叫び声だ。しかし、予想に反して、ジュネの命はそこでは尽きなかった。
ガキィィィンッッ!!
剣と短刀のぶつかる音が戦場に打ち響く。ジュネの額の前にあるのは、その左手。短刀の鍔でガゼルの大剣を防いだのだ。
(何故だ! 何故短刀の鍔ごときで俺の剣が防がれた! ……まさか、この男。大剣の攻撃力を全ていなす程巧みな体重移動をしたのか!)
実際には体重移動だけで全てのエネルギーをいなしきれた訳ではなかった。
ジュネは右籠手の強度の高い部分を大剣の先端にぶつけて威力をいなしていたし、その両籠手の内側は垂れ流れている血で充満している。
決して、そのような神業をやってのけた訳ではない。
が、この傭兵団長ガゼル。実は、最初から「ジュネ」という名前に潜在的な恐怖を抱いている。そう、彼は決して心が強い訳ではないのだ。そして、その驚愕によって一瞬動きを止めてしまったガゼル。余程訓練された兵士にしか分からない程のものだったが、確かに彼は隙をさらけ出してしまった。
瞬間。
ジュネは時計回りに手首を百八十度回転させた。同時に腕も動かす。狙うは左胴。
(マズった――――ぎゃ、逆胴……!)
避けようと体を動かすが、もう遅かった。ジュネの大剣はガゼルの脇腹を正確に捉え、痛恨の一撃を加えたのだった。
「とぉぉ!!」
ジュネは剣を通して引き裂かれる肉の感触を覚えた。グジュリ、と内臓が割かれる音が耳に響く。逆胴を食らったガゼルは、倒れた。
「なかなか強かった。ここで殺すのも惜しいが……まあ、諦めろ」
吐血し、そして激痛に耐えきれず金切り声をあげたガゼルだったが、その目はジュネを離すことは無かった。最期まで敵意を失わずいる姿に感心こそ覚えるが、戦場で死ぬのは傭兵の宿命。助命という単語は頭の中に現れすらしなかった。
しかし、とどめを刺そうとしたジュネの前に立ちはだかる男が一人。
「団長を死なす訳にはいかねえ……!」
目に怯えを残してはいるものの、闘う気満々である。斬り殺そうかとでも思ったが、その後ろからもぞろぞろと仲間と思わしき男が現れた。
「ほう、傭兵団長か。道理で強い訳だ。それに、人望もあるようだな」
ジュネは短刀で複数の相手をするのは分が悪いとみて、ガゼルの落とした大剣をさっと拾った。大胆に、敵に背中を見せた行動である。だが、仲間達は動けない。戦闘中にだらだらと話された挙句背中まで見せられては思考停止するのもやむを得ないだろう。
「閣下! 虹蛇の御旗を掲げる軍勢が敵軍を後方から襲撃した模様です!」
「なにぃ!?」
虹蛇の御旗。カタパルト王家が自ら戦場へ向かう時に掲げる旗である。
報告を受けたジュネはすぐ様反転、軍の指揮に戻った。
「潜ませていた予備兵の内二百人に、カール軍への横入りを命じる。伝令、急いで伝えに行け」
「わかりました」
(それにしても、よもや、陛下御自らが出陣されるとは……)
ともかく、ジュネには遊んでいる暇は無い。
今少し敵を切り捨てて部下の士気を上げたい所だが、国王であるジルが出てきたということは、今こそが戦の最重要時点である。ここでジルの奇襲に乗っかって敵を崩すか、この機会を逸して長々と戦闘を続けるかでは天地の差なのだ。前者に成功すればこの戦には勝利で幕を閉じれるが、後者だといずれ兵力差が理由で押し切られる。
今この瞬間に起こす行動こそが、戦の趨勢を決めるのだ。
「全軍…………突撃ィィィィィ!!」