間章三話
カタパルト王国領の北部山岳地帯。本来ならばカタパルト王国の軍勢が通るべきその街道は、現在フリーダ皇国軍によって占拠されている。数は、三万五千。五千人程が占領地の統治を開始しており軍勢の八分の一は途中で離脱したが、それでも、三万五千。
現在カタパルト王国内で最大規模のフリーダ皇国軍は、その威容を周辺の村村に見せつけるかのように緩々と進軍を重ねる。
「陛下。注進です。カタパルト王国内で、若干ながら食糧の値段が高騰しています。恐らくは……」
「腹を据えたか。ジル・カタパルト。奴め、儂らとの決戦を望むようだな」
使者の言葉を遮る。はい、と肯定の返事をした使者。従順である。何故ならば。この男こそ、
「皇王陛下」
そう。フリーダ皇国当代の皇王、ガストン・フリーダなのだから。
「なんだ」
そして、皇王に話しかけた男の方は、これまたフリーダ皇国の要人である。フリーダ皇国軍部最高指揮官であり三十年以上戦場で生きてきた、フリーダ皇国軍きっての将帥。戦法も戦術も戦略も何でもこなし、その手腕は一万の軍勢にも匹敵すると言われている、名将。
ベーグル・ライル将軍。
「努々。努々、油断なされぬよう」
若いころは軍部きっての強硬派として知られていたが、歳をとりフリーダ皇国の重鎮としての自覚が芽生え始めてからは慎重派として通るようになった。その腰の重さに、一部の若い軍人たちは不満を持っている、とも言われているが。
少なくとも、その老練さは他国からは一定の評価を受けている。
「分かっておる」
ガストンは面倒くさげに手をパタパタと振ると、ふう、とため息をついた。
「大方、あの謎の軍師に警戒しておけということだろう?なんせ、あのシャルロワをほんの僅かな軍勢で打ち破ったらしいからな」
シャルロワから秘密裏に受け流された、謎の軍師についての情報。曰く、その男の情報はジル・カタパルトに臣従するようになるまでのものが一切存在しないだとか。ガストンはそれを聞いて耳を疑った。当然である。過去の存在しない人間などいないのだから。そして、相当裏に通じてなければ過去を消すことはできない。
謎の出自の割に能力は大して高くない、とシャルロワは言った。実際目にしたらしいシャルロワがあまり警戒していなかったようなので不審に思いつつ捨て置いたのだが、存外、いややはりと言うべきだろう。なかなかの切れ者のようである。
人を見る目はあると推察されるに相応しい外交手腕を見せているシャルロワを、何らかの方法で欺いたのか。はたまた、旧来の寸法では測れないような人物なのか。ガストンとしても気になる所だ。
「いえ、そうではなく」
だが、ライルはそれを否定して見せた。
「では、何だというのだ」
「北部で。反皇国連合の蜂起が確認されています。何らかの手を打たなければ、緊急事態になるかと」
反皇連。フリーダ皇国周辺の小国が群がって出来た、反皇国の旗を掲げる軍事同盟である。ガストンは宰相とも相談して切り崩しを図っていたのだが、武装蜂起は防げなかったようだ。
「知っておる。既にアレに使いをやった。そもそも、そういうことへの備えの為に本土に半分以上兵を残してきたのではないか。心配症ではないか、ライルよ」
アレ、とはガストンの第四子、ビクセル・フリーダである。子供のころは裏で「バカ王子」と言われた、文字通りのバカだった。
武勇に長けている訳ではないが、兵の指揮はなかなかうまい。山賊の棟梁の様な性格のビクセルに兵は良く懐くし、戦勘が働くのだ。駒による戦術の模擬演習では何かと比べられることの多い兄に敗北していたが、実戦ではビクセルが一番結果を出している。
粗暴、なれど深謀。そう評されるように、単なる馬鹿ではないようだ、と認識する者もフリーダ皇国にて増えてきている。ビクセルの兄を現在ラクル連邦へ親善大使として遣っている以上、ビクセルを総大将にしても何の問題もないだろう、とのことでガストンは先日ビクセルへ使者をやった。
無論、まだ若いビクセルに全権を任せはしない。流石にそれは心配だ。その手腕はライル将軍に次ぐと言われており、ライル将軍にも絶対の信頼を寄せられているという、フリーダ皇国の将軍トム・フリーダを副将に任じた。
その姓が表すように、トム将軍はフリーダ皇国皇家の正当な血を引いている。ガストンとは再従兄弟であり、ビクセルにきついことを言える数少ない重臣の一人。安定した皇家の生活を捨てて軍部に入っただけあり軍事に精通する一方政治方面にはあまり詳しくないが、そこは宰相が居る。トムは明朗快活な性格なので、ガストンの居ない間全権を任せている宰相と対立することも無い。
彼のことを一言で表すなら、歳をとったビクセル、であろうか。ビクセルもこの豪放な男を慕っており、相性は良い。
「それは知っています。が……、反皇連はなかなか統率を取れている様子。あの中にも何人かは切れ者が居るようです」
「ほう。道理で。儂は、何処ぞの大国が暗躍しているのかと思ったが。そうであったか」
「はい。裏でセリウス王国の援助もされているようですが、それにしてもどうも動きが良すぎます」
小国群での切れ者といえば、嘗てはテルイア王家に黒衣の宰相なる者が居たが、それももう死んだ。将来有望と名の高い若手では、ミクセム王国のジュゲム外務大臣、天華国の錬鵬千人長、ハイマ民主国のゲブ財務官。
だが彼らは、重役の信任があるからこそ自由に立ち回り能力を発揮できる訳で、一人でこんな大それたことを成功に導けるかと考えると、首をかしげざるを得ない。いや、あるいはこの三人が中心で反皇連の組織に貢献したのかもしれない。
どちらにせよ、小粒がいくつ集まっても小粒に過ぎない。そう気にする程の事ではないとガストンは考えていた。
「陛下。あまり小国を甘く見えはいけませんぞ。確かに一国一国だけで見れば規模は小さいですが、それでも集まれば何万にもなります」
「どうかな。足の引っ張り合いをするだけの様な気もするが」
「ならない可能性もあります」
国が寄り集まって組織を作る、というのはそう楽なことではない。以前ラクル連邦に対してフリーダ皇国主導で包囲網を敷いた時も、それを維持するのには大変な労力を使った。四、五ヶ国でもそうだったのだから、十ヶ国以上の連合などすぐに崩れてしまうだろう。無論、崩れなければ正面から崩すのみで、その用意も自信もあるが。
ともかく、ガストンはこの話題を終わらせることとした。続けていても、益はない。
「まあ、分かった。警戒しておく」
「頼みますぞ」
そういえば、とガストンは先程のライルの発言に少し疑問を持った。カタパルト王国の謎の軍師のくだりである。大半の者はカタパルト王国の先の勝利を得体の知れないこと、として怖がっているが、フリーダ皇国きっての軍人である彼はどう思っているのだろうか。
「そういえば。ライルよ。あの軍師についてはどう考えておるのだ? 側近の中にはあの軍師を気味悪がっておる者も多い。先程の発言からして、あまり警戒していない様だが、それには何か理由はあるのか?」
リョウ。
かつてのカタパルト王国の王太子であり、分裂した後は旧制カタパルト王国と呼称されている国の国王、ジル・カタパルトから絶大な信任を得ているらしい謎の男だ。見た目は若く、十四、五歳ほどにしか見えないというが。シャルロワ軍の撃退戦では大いに活躍し、旧制カタパルト王国で名軍師の名を確固たるものとした、その少年の名前である。
その名を重く受け止める者こそあれ、軽んずる者はいない。今現在アリア大陸は群雄割拠の戦国の世。そんな甘い判断をするような人間が大国の上層部にまで伸し上がれる筈もなかった。
「そのリョウという男がどのような人物かは知りません。ただ、その戦いの記録を見ても、あの勝利が計算ずくのものには見えないのですよ……」
「ほう。あの勝利が、たまたまだった、ということか」
確かに、勝ったという事実に踊らされすぎているのかもしれない。ガストンはライルの言葉に頷いてみせた。
一万もの大軍を一千人で引きつけ、残る四千人で本陣五千人を急襲したあの戦い。背後からの近衛兵による奇襲で本陣を破った手腕は確かに優れたものだった。
だが、あの戦略には欠点もあった。シャルロワによると、伏兵の存在は攻撃を開始した時点で認知していたらしい。もしもシャルロワが伏兵を総力を挙げて殲滅しようとすれば。四千人の主攻が潰れることとなるのだ。
「無論、油断はしません。警戒も怠りません。これは陛下に常々申し上げていることですからな。ただ……必要以上にその軍師とやらを意識し過ぎるのもどうかと思いましてな」
実像と虚像の違い。それを逆手に取って勝利へと繋げた軍人は数多く存在する。己を必要以上に弱く見せたり、逆に事実以上に強く見せたり。敵を弱く見て油断することも、敵を強く見て怯えることも、合戦においては害悪である。ただ、敵の情勢を正しく知ること。正しく分析すること。それが重要である。
「ほう。確かにその通りだ。我々は自然体でいけば何の問題もないしな。まあ、少しは警戒しておくことにするぞ。油断大敵、だ」
「はい。仰せの通りにございます」
そういえば。最初に敵を警戒するよう、油断をしないよう言ったのはライルの方ではなかっただろうか、とガストンは気付いた。ふとライルの方を見ると、ニヤリと笑ってみせてきた。
(まんまとはめられたか、ライルの奴は相も変わらず悪戯好きよのう。さて、と。敵は未だ動きを見せぬが、こちらに立ち向かう可能性は高い。はてはて、どのような策を講じてくるのやら)
ガストンもまた、笑みを浮かべていた。いと面白し。そう呟いて、彼は軍務に戻る。
フリーダ皇国九代目皇王、ガストン・フリーダ。彼は良くも悪くも戦好きだった。




