第3章第3話 鬱だ、死のうと言う前に
ここは、何処だ?上を見やると、白い壁があった。よく、分からない。何で空じゃないんだろう。野営なんだから上に何かあるはずもないのに。
それが自室の天井だと認識するのには数秒かかった。それと同時に、昨日城に戻ってきたことを思い出す。
「あー、よく寝た」
泣き腫らして真っ赤になった目をこすり、ラジオ体操のような大げさな動きで体を伸ばす。気分は晴れない。天気でいえば、曇天。思わずため息が漏れた。気分もどんどん暗くなる。
それでもベットから起き上がり、足を床に乗せた。ベットに座っている、そんな感じだ。部屋を見渡すと、既にリッツの姿はなかった。朝早くから護衛しているのだろうか。それともこんな遅くまでずっと護衛を続けているのだろうか。まあ、どっちでもいいか。
目にやっていた手を膝の上に乗せて、そして本日二度目のため息をつく。
「この手で……何人も人を殺したのか……」
思うだけで、口に出さなければよかったのに。俺の気分はさらに落ち込んだ。
一日経っただけあって少しは冷静で居られるようになったみたいだ。気分は沈んでいるが、昨日のように爆発的な感情になるよりはマシ。無気力感も脱力感も無いので、鬱病ではない。
でも、答えは、出ない。
人を殺したことを許容することはできない。戦争でたくさんの兵士を死に追いやったことの正当化もしたくない。直接的であろうが間接的であろうが、人殺しは罪だ。犯罪である前に、罪だ。
「これだから、異世界なんて嫌だったんだよ……」
もしも元の世界に戻らずこの世界でのんびりゆっくり暮らしたいなら、話は別だった。ジルに金を貰って、とっくに何処かで暮らす算段を立てていただろう。でも、この世界に俺の居場所は無い。友達なんてリッツとジルしか居ないのだ。
だが俺は、元の世界に戻りたい。そのためには、セリウス王国の巫女にコンタクトを取らなければならない。ならば、コンタクトを取れるようにならなければならない。簡単な三段活用だ。
旅をして巫女に接触する手段も考えたが、戦闘能力が無い上この世界のことを知らない俺に旅は厳しい。それに、たとえセリウス王国に着いたって、王を召喚する立場にある巫女と会うなんて難しく、彼女に元の世界に戻らせてもらうなんて以ての外だ。
ならば、カタパルト王国内で地位を上げるしかない。
「でも、そんなの……簡単にはいくはずがねえよ」
そう、それはとても難しいのだ。人を殺すことにふんぎりがつかないことには始まらない程度には難しい。
俺は頭を抱えた。最近切っていなくて延び始めた髪を掻き毟る。結局、殺人なんて許容できないのだ。
「畜生ォ……。何で、何で俺がこんなに苦しまなくちゃいけねえんだよ。ただの高校生だったのに、一般人だったのに……理不尽すぎるだろうが」
理由は見つからない。ジルに誤召喚されたのが直接的な原因だが、ジルに憎しみをぶつけることはできない。秘書と言う大役に就かせてもらっており、その報酬は平民が一生で稼ぐ値を超越しているのだ。誠心誠意謝ってもらったし、ジルは負い目を持っているのだろう。
憎しみの対象が居れば、この感情は簡単に制御できる。恨めばいいのだ。感情と言うのはぶつける相手がいればすぐ解消できる。たとえば、何かあって悲しくなった時に誰かの胸で泣くのと、自分だけでその想いに決着を着けるのと、どちらが早く悲しみを癒せるか考えてみよう。明らかに前者だ。中には一人ですぐに立ち直れる心の強い人も居るかもしれないが、俺は違う。
俺の頭は、激情を抑える為に必死に憎しみの対象を見つけようとしていた。いつの間にか殺人がどうこうという話ではなくなってきている。殺人を許容しないと幸せを取り戻すことができない、そんな理不尽に対する怒りが殺人への恐怖を上回ったのだ。
「……、もうちょっと横になろう」
罪悪感と憎悪で一杯な俺の心はもう限界だった。これ以上何も考えたくない。俺は、しばらくぼーっと寝っ転がることにした。しかし、俺に休息は訪れないようで。コンコン、という音が俺の部屋に響いた。
扉を叩く音に続いて、入ってもいいですか、という声が聞こえる。誰だろうか。いいですよと答えると使用人の男性が部屋に入ってきて、俺にジルの口上を伝えてきた。
「今日からまた秘書の仕事だ、と仰っていました」
面倒くさい。気持ちに整理がつかないのに仕事をやるのはしんどいのだ。ついつい物思いにふけったりして集中できないだろう。友人と喧嘩した後勉強しようと思っても身が入らないようなもんだ。こういう時はな、放っておいてほしいんだよ。
「何時間後だと?」
それでも上司に従わなければならないのが悲しい。まあ、鬱屈した気分を晴らすのも一つの手か。久しぶりに仕事をしてみよっかな。良い気分転換になるかもしれない。
「一時間は待つと。そう仰っていました」
一時間越えたら何かあるのかよ。遅刻したら罰がありますってか? 五分前行動の重要性ですな。
「分かった。飯食ったらすぐ行くよ」
さて、食堂に行こう。他人と少しながらも会話して少しは気分も晴れたし、兵士に誰か友達でも作ろうかな。
使用人が退室する。着替え着替えと呟き秘書用の制服を着ながら、俺は使用人の彼に対して思いを馳せていた。思い、というのは彼と俺の身分についてだ。別に彼に見惚れて「身分違いの恋ヒャッホー」と思った訳ではない。男だしね。
俺は秘書、彼は国王直属とはいえただの使用人だ。その上、俺は先の戦でも秘策を献策した。身分は圧倒的に俺の方が上だろう。
その身分通り俺は彼に対して、自分の方が年下なのにも拘わらず格上の様な態度を取った。会話を聞けば分かることである。彼は俺に対して丁寧語を使っていた。
この世界では、あまり年功序列は考慮されない。官位や役職で全てが決まるのだ。昔俺はその対応に若干ながらも違和感を覚えたものだった。しかし、今や秘書という役職が板に付き、使用人にペコペコされるのに慣れてしまった。これは拙い。
何が拙いかと言うと、この世界に慣れていることが拙いのだ。いずれは元の世界に戻る身。この世界に愛着を湧くのはあまりいいことではない。
まあ、そんなことを一々考えてもきりがないか。俺は秘書の制服に着替えると、食堂に向かった。もちろん身分証明書は持参。何を食おっかなぁ、食堂で食べるの久しぶりだしなぁと考えにふけっていても、俺の体は自然に食堂に向かっていく。順応性が高いのだ。食堂や執務室等のよく向かう場所への道筋は頭で考えなくても分かる。
「そんなんじゃないって」
「嘘付け、良い雰囲気出てたじゃねえか。手なんか繋いじゃってさぁ。もうキスしたの?」
「だだだから、違うって言ってんじゃん」
「え、もうしたんだぁー。もしかして、夜の営みとかもしちゃっている訳?」
「してる訳ないだろ! マリーと俺はただの友達だよ」
通り過ぎていく二人の男。からかわれて赤面していた男は女顔だった。とどのつまり、童顔。ギャルゲやラブコメの主人公なんかは大抵女顔。会話の内容も加えて俺が察するに、女顔野郎はもてもてだな? もしかしたらハーレムとかも作っているかも。……流石に妄想か。自重します。
と、俺の馬鹿な思考の流れはともかく。俺は、やはり先の戦で勝利したことは色々と影響を及ぼしているんだなぁと改めて実感した。
「城の人間の表情が前よりも明るくなった」
無意識的だろう。でも、確実にこの城の空気はよくなっている。良いように捉えれば戦勝で士気が上がっていると言えるが、悪く言えば城が戦勝気分で浮かれている。
まあ末端の兵士達はそれでもいいのだが、上層の指揮官達が調子に乗っていては困る。トップは常に動じてはならない。風林火山、まさにその通り。指揮官は、林のように静かで山のように不動の姿勢を見せるべきだ。そして、いざという時は風のように速く動き火のように果敢に戦う。これこそトップのあるべき姿。武田信玄、というより孫子カリスマじゃん(笑)。
と、ここまで考えた所で俺は頭を横に振った。顔をしかめる。カタパルト王国の指揮官がたるんでいないかどうか心配しているのではない。
「俺ってさ、寄り道ばっかの思考回路だよな」
ついつい思考が脱線することを反省しているのだ。自分でも考察癖があるのは知っている。何かあるとすぐ考えに耽ってしまう。そういう状況の時は、ぼーっとしてしまう。昔この癖が発動して不良とぶつかり大変な事態になった時、心から反省した。これからは気を付けよう、と。でも、長年の癖と言うのはなかなか直らないもの。
まあ異世界に来てからはこの癖に随分と助けてもらっているので、そんな悪いもんじゃないか。一般人である俺がこけてないのは、よく考え考察し冷静に判断するという性格に助けられてのものだ。もしも俺が短慮だったら、今頃戦争で死んでるか秘書の役職を解雇されているかのどっちかだろう。
食堂に到着し、俺はラーメンを頼んだ。朝っぱらからなんだが、そういう気分なんだ。数分待ち、出来たてほかほかのラーメンを受け取ると俺は一人寂しく食堂のテーブルの方に向かう。相変わらず軍部に友人のいない寂しい俺だった。