第3章第1話 ジル・カタパルトの凱旋
「キャーーッ」
十代の少女から五十代のおばさんまで、幅広い世代の黄色い声。もちろんその注目を浴びているのは俺ではない。ザ・美形でありかつ戦争にも勝利したジル国王陛下様にである。ヨン様のファンかよ。羨ましいな。ケッ。
そしてその声援にジルは一々手を振って笑顔で答えている。ここだけ見ると天皇みたいだ。
総括して、天皇+ヨン様=ジル国王陛下ってことかと思われ。
周りに騎士たちを従え、優雅に馬に乗るジル。隣に居るのはこれまたハーレムの持ち主リッツだ。俺は、後ろの方で目立たない様に歩いている。馬に乗れないという悲しさを踏みしめて。
「おおーーッ」
今度は、主に十代二十代の若者達の黄色い(?)声。憧れの眼差しは、ブルゴー騎士団長や後ろに並ぶ小隊長達に降り注がれる。一部シュマン第二小隊隊長(女性でふ)に対するモノは別として、彼らにしてみれば国を守った騎士様かっけぇ、といった感じなんだろう。ブルゴー騎士団長とか特に。二十代ながら渋い容貌をしていて、歴戦の猛者のオーラをビンビンに放っている。もしもこのオーラを向けられれば、普通の人なら足がすくんでしまう。それくらい凄い。
カタパルト王国の首都の大通りを凱旋している俺達だが、そろそろ王城が見えてきた。部活の合宿の帰り道にやっと家を見つけたような、妙な安息感が兵士たちを包んだ。俺もだ。
まあどうせすぐ戦いにいくから、せいぜい一週間位のつかの間の休息。でもやっぱり嬉しい。
王門をくぐり、凱旋が終了した。王城の中に一般人は原則立ち入り禁止なのである。しかし、まだ解散ではない。さっきは王城を家に例えるような表現をしたが、間違っていたようだ。広場に兵士をみな集めて、ジルが演説を始めた。遠足が終わった後学校に一旦集合し校長先生の言葉を聞く、そんな感じの雰囲気で、みんな早く終わってよという空気を醸し出している。
「皆の者、御苦労だった」
ジルがまず、労いの言葉をかける。だが炎天下の中、ジルの言葉なんか聞く奴が居る訳……みんなビシッと背筋を伸ばして聞いていた。
「今回の勝利は、カタパルト王国を愛する皆が頑張った結果だ。君達一人一人の実力と想いの強さが勝利を呼び起こした。逆賊シャルロワは我々の五倍もの兵力を持っていたのにもかかわらず、我々が勝利したのだ。快勝、と言っても良いだろう」
兵士たちは皆誇らしげな顔をした。国王に褒められたのだ、嬉しくて当然。そしてひたすら勝利したことを強調するジル。
「であるが」
と一言言って一旦区切った。
「まだ敵は多い。北からは同盟を結んでいるのにも拘らず突如攻めてきたフリーダ皇国。東からは有力豪族カール一族を引きこんだマクシム軍。西も、近頃海賊の動きが活発化しているという。そして南には大敗したとはいえ命からがら逃げ延びたシャルロワが残っている」
ここで一気にカタパルト王国の厳しい情勢を独白するジル。このままネガティヴなことばっかり言っていたら士気下がるぞ?
「マクシムも海賊もカール一族も、この勝利を受けて怯むだろう。大した敵ではない。諸君らの健闘と王国側貴族の力を以てすれば、楽勝だ。問題なのはフリーダ皇国。大軍を擁し、用意周到にして攻めてきた。撃退するのは、簡単なことではなかろう」
「しかしッ」
二度目の逆接を使い、悪鬼の如き形相をするジル。その目には憎しみを宿らせ、言い募った。
「彼奴らは同盟破棄すら発表せずにいきなり攻めてくる屑どもだ。なんとしてでも勝利しなければならない。カタパルト王国を守り、父上……エドガー二十四代国王の御世のような、平和な国とするのだ。
戦いは苦しいかもしれない。厳しいかもしれない。それでも、敗北は許されない。平和を守るのだ。これは聖戦ぞッ」
いつの間にか、みんなのジルを見る目に熱が入っていた。確かに、殆ど戦争をしなかったという平和を乱したのはフリーダ皇国だ。俺も、エドガー前国王の死やシャルロワの反乱、カール一族の侵攻もフリーダ皇国の謀略なのではと疑っている。聖戦というのは言いすぎかもしれないけどね。
ふと、ジルの顔が普通になった。正気を取り戻した、というか冷静になったようだ。さっきまでの演説はあまりにも感情的だったからな。だからこそ、兵士達の心に響いた。だが、ジルはさっきまでの自分の演説を恥ずかしがるかのように、手短に纏めた。
「誇り高き、カタパルト王国の兵士達よ。今回の凱旋は小休止に過ぎない。これからも戦争は続く。くれぐれも体には注意してくれ。以上だ」
ジルの演説はここで終了。ブルゴー騎士団長が入れ替わるようにして壇上に立ち、各兵士達の行動を指示した。俺は、その範疇から外れているだろうからジルの元に駆け寄った。
「お~い、俺はどうすればいいんだ?」
ジルは、未だに怖い形相をしている。なにか思う所でもあったのだろうか。詮索してはいけない気がした。
「う、うん……自室に戻っていていいよ。初めての戦争で疲れたでしょ? まあ僕はまだまだ仕事あるんだけどね」
疲れた様な表情を見せる。
「分かった」
「あーあ、疲れたなぁ」
ベッドに横になり、手を頭の後ろに組んで、俺は呟いた。リッツとの相部屋だがしばらくは一人だろう。ジルはまだ色々やることがあると言っていた。それはつまり、護衛のリッツにも休息はしばらくないということでもある。
目をつむり、走馬灯のように戦場の記憶を呼び起こす。
色々なことがあった。
自信満々でまだ敵は攻めてこないだろうと言ったのに、いきなり攻めてきたシャルロワには驚いた。それを察知できたカタパルト王国直臣の精鋭は凄いと思う。
戦場にいきなり放り込まれて、敵が斬りかかって来た時は焦った。運と剣道の経験で生き延びたけど、危なかったよ。
初めて人を殺した感触は、気持ち悪かった。そう、俺は何人も人を殺した。
そして、戦争をリアルと認識した。今までは戦略ゲームをやっているような、そんな気分だったけど、違うんだ。ここでいう死傷者ってのは、画面に表示された数値ではない。人間が死んだ数だ。
……そうか。俺は。
「俺は、人を殺した…… 数値上の1とか2とかじゃなくて、普通に生活している、リアルの人間を殺した……」
戦争している時は戦いに勝って生き延びることに夢中で、そんなことには気付かなかった。終わった後も脱力感が押し上げてきて、人生初の殺人のことなんかに気が回らなかった。でも、今は違う。たった二ヶ月程しか使っていない自室だけど、それでもこの世界ではマイホームと言える場所。そこに帰ってきて、落ち着いて、そして理解した。
いや、とっくに分かってたんじゃないか? 分かってて、その事実から逃れたくて考えなかったんじゃないか?
そうだ、そうだよ。この世界では、戦争で人を殺すのが罪とならないのかもしれない。いや元の世界だって、戦時の殺人は罪とならない、だろう。
でも、日本では。戦争中だったとか正当防衛だったとか、そんな理由抜きにして、殺人ってのは最大のタブーじゃないのか?
「俺は、……人殺し……?」
俺は、人を殺した。シャルロワ軍は民兵、つまり民衆から志願または徴兵された人々の集まりじゃないか。一般人だ。
戦争だった。仕方がなかった。自衛だったんだ。しょうがない。……でも人殺しであることには変わりない。
「……、――――ッ」
頭を掻き毟る。耳元から、悪魔の囁きのような声が聞こえた。人殺しだ、ヒトゴロシだと。その粘りっこい声は確実に俺の精神を絞り上げた。
グジュリ、と剣を腹に刺した音が耳にこだまする。気味の悪い、まるで背筋を蛇が走ったかのような感触が体を震わせた。ここは戦場ではないのに。あの時の音、あの時の感触が蘇る。
喉の奥から何かがこみあげてきた。胃酸が気管の表面を傷つけながら口に溢れ出てくる。それと一緒にさっき食べた物を俺は嘔吐した。ベッドに黄土色のドロドロしたものが飛び散る。
『お前は、人殺しだよ。血の通っている、普通に暮らしていた人間を殺した』
違う、違うんだ……俺は殺そうとした訳じゃない。生きる為にはしょうがなかったんだ。襲われてやり返したんだから、正当防衛だろ?
『でも、その後お前は自分から出向いて貴族の男を殺した』
それは……しょうがなかったんだ。俺は……。
『人殺しめ。それに、お前はジルに対して作戦を献策しただろ。お前の作戦で、何人の人間が死んだと思っているんだ』
『もう元の世界には戻れないな。あいつらが、今のお前を見てなんて思うか分かるか? 分かるだろう。忌避されるに決まっている。お前は殺人鬼だぞ』
「ぁ……うあァァァーッ」
狂ったように涙を流す。悲しい訳ではない。自分の罪が怖いのだ。半開きになった口から涎がこぼれおちた。下を向いたが、目を涙が遮り、視界がぼやける。
城が戦勝に湧きあがっているその時、俺は人知らず慟哭していた。