第2章第14話 急襲
ジル・カタパルトは、高揚していた。
戦争経験は二回。いずれも小規模な反乱で、家臣たちに殆ど任せるだけだった。しかし、今回は違う。作戦こそ家臣任せているが、最後に勝利を決めるのはジル率いる近衛隊だ。いわば、救国の王。このシチュエーションに燃えない方がおかしい。だが、ジルが高揚していたのはそれだけが原因ではなかった。
(最初は人間が召喚されて驚いたけど、これはとんだ儲けものだったね)
誤召喚をして呼び出してしまった少年亮。秘書業をやらせてみてなかなか素質があるとは思っていたが、まさかこれ程の切れ者だとは思ってもみなかった。ジル軍が施した仕掛けを敵が無視したら終わりという、多少賭けに近い部分のある作戦だったが、亮の読みは当たり今ジルたちはシャルロワ軍本陣の真後ろに来ている。
静寂の魔法を使い、シャルロワ軍本陣の僅か一キロメートル後方まで進んだジル率いる近衛隊は、今まさに敵の喉元を斬り裂こうとしていた。
(やっぱり、敵の気配探査の魔導士よりも王国の気配隠蔽の魔導士の方が優秀かぁ。まあ質の良い魔導士は殆どが王国の直臣、つまり精鋭八千に入ることができるから当たり前かな)
狂ったような笑みをその顔に浮かべ、ジルは今まさに本陣急襲の指示を出そうとしていた。その目は勝利を確信している。油断ではない、裏付けされた自信があるのだ。
「突撃」
呟いた程度でしかないその声は、五百程居る近衛兵全員に伝わった。後方からの奇襲ということで、誰も声はおろか微かな物音さえ発しなかったのだから当然である。
しかし、この呟きで静寂は破られた。近衛兵全員が手綱を強く引き締めて、馬を高速で走らせたのである。馬に乗った兵士たちは、まるで競馬の騎手のように競うようにしてシャルロワの本陣へと向かう。誰かが気付き、敵襲ッと叫んだがもう遅い。既に喉元に食い込んでいる刃は簡単なことでは取れないのだ。
パラパラと出てくるシャルロワ軍の兵士達が近衛兵の攻撃を妨げようと立ちはだかるが、その末路は近衛兵の上手な馬捌きで避けられるか近衛兵の剣捌きで命を刈り取られるかの二択。
そして、一番速かった近衛兵が遂にシャルロワの陣幕に到着した。それに続いてまた一人、二人とシャルロワの陣幕に入っていく。ジルは後方で邪魔をする兵士を炎の魔法で焼き殺しながら、シャルロワ討ち死にの報告を今か今かと待っていた。
そして、近衛兵の一人が伝達しに来る。これは、来たか?
「国王陛下に申し上げます。賊将シャルロワの陣に突入するも、殺害には失敗。シャルロワは馬に乗って逃げているとのことで、数名がそれを追っています」
シャルロワの殺害には失敗したらしい。仕方ない、正攻法で崩すか。
「分かった。……全軍に告ぐ!これより作戦は賊将シャルロワの殺害からシャルロワ軍の撃破に移る。シャルロワを追っている者は直ちに諦め、シャルロワ軍を撃破せよ!」
シャルロワを今殺せなくても、シャルロワが逃げればジル軍の勝利だ。シャルロワを追っている最中に敵軍に囲まれると厄介なので、普通に敵を撃破することにした。
一直線にシャルロワ軍本陣の奥深くまで進んで来たジルだが、何故か囲まれたという感じはしなかった。駆け抜けることで、却って敵が混乱したのではないか? と考え己の優位を疑わない。
シャルロワ軍本陣の真ん中ほどで陣形を組む。偃月の陣だ。この陣形は、鶴翼とは反対に真ん中の軍勢が前にでて両翼を下げる。Λの形だ。大将やその周りの精兵が先頭となって斬りこむので、蜂矢と並んで攻撃力は高い。蜂矢とは違い機動力のある陣形なので、シャルロワ軍の中を動き回りかき乱すには持って来いの陣形だ。
指示は近衛隊隊長に任せ、ジルはシャルロワ軍の様子を観察する。既にリッツが横に付いているので、乱戦にならない限り安全だ。
(シャルロワ軍の殆どが士気を無くしているな……奇襲は成功か?)
近衛隊は縦横無尽にシャルロワ軍の中を駆け回り、混乱している敵兵に次々と襲いかかる。カタパルト王国きっての精兵である近衛隊と農民が武器を持っただけの上に混乱している民兵では勝負にならない。敵は逃げ惑い、命乞いをする者までいた。
しかしそんな中でもちゃんとしている部隊もあるようで、なかなかシャルロワ軍は撃破できなかった。守りの堅い方円の陣で近衛隊の攻撃を凌ぐ部隊、近衛隊と同じ偃月の陣でぶつかってくる部隊、消耗戦に強い魚燐の陣で近衛隊の勢いを削ごうとする部隊。いずれも手強い敵であるのは確かだった。
しかし、カタパルト王国最強の名は伊達ではない。いくら敵が執念を見せようとも、いくら敵の人数が多くとも、近衛隊は苦戦しつつ撃破した。
ふと、遠くにブルゴー軍の旗が見えた。挟撃は成功したようで、敵は勢いを失っている。恐らくシャルロワも逃げ回っているだろう。ブルゴー軍も近衛隊ももう敵軍の掃討という段階に入っていた。
しかし、後方から一万の新手がやってくる。恐らく偽本陣を襲撃していた部隊だろう。偽本陣を破るのにかなり苦労したようだが、それでも一万は大軍だ。それにジル軍と比べれば疲労は少ない。
このままぶつかれば、負ける。ジルは確信した。いくら勝ちに乗って士気が上がっているとはいえ、新手一万と戦う程の体力は残っていないのだ。その上シャルロワ軍の中でもしぶとい部隊はまだ抗戦を続けている。
ただ、シャルロワ軍本陣の崩壊に彼らは腰が引けている。目を付けるとしたら、そこだろう。ジルは大きく深呼吸をし、そして新手の軍勢にも聞こえるように大声を出した。
「儂は賊将シャルロワを撃破した!貴様ら賊軍の敗北だ。ただちに武器を置いて投降しろォ!」
そして黒い笑みを浮かべながら付け加えた。これでも尚逆らう者は一族郎党皆殺しだ、と。新手の軍勢はジルの言葉に恐怖し、上官の許可が出たらすぐにでも投稿したいという心理状況になっているだろう。
行進が止まった。敵の混乱は頂点に達したようだ。ではどうするか。……とりあえず、ブルゴー騎士団長と合流することにした。
「陛下、ご無事で」
汗でびしょびしょの顔でジルを心配してくれた。気持ちはくみ取るが、今はそんなことより大事なことがある。
「新手が一万。偽本陣は破られたようだ。どうするべきだと思う?」
ブルゴーの顔がすっと厳しくなる。考えているのだろう。時間の猶予はあまりないので、良い案が無いのならと、ジルは去ろうとした。しかしブルゴーが引き留める。何か良い案が浮かんだのだろうか。
「降伏の勧告を一回……いや三回致しましょう。それで従わなかったら、戦います」
ブルゴーが一回を三回と訂正した訳をジルも理解した。時間稼ぎだ。早速、一人目を新手との交渉で送り出した。
その間にも、シャルロワ軍は次々と撃破されていく。そして、シャルロワ逃走の報せが入った。もしも新手の方に移動されたら面倒だったが、もうその心配は要らないようだ。
ジルは、新手の方を向いた。今も一人目が交渉している。
(そろそろシャルロワ軍が全員撃破できそうだし、二人目以降は送らなくてもいいかな。……いや、新手に対する戦闘態勢を整えるにも時間が掛かりそうだし、一応送る準備はしておこっか)
しかし、一人目の使者は五体満足で帰ってきた。降伏勧告を却下する場合は、使者を殺すか鼻や耳を削ぎ落すことが多い。敵将がそんなに人格者だとは思えないジルは、降伏勧告の成功を予感した。しかし、使者の言葉は意外なものだった。
「ニャクルツッペリ伯爵は、直ちに武装解除する。そう伝えてくれ。と、そう仰いました。しかしその顔は嘘くさく、恐らく逃げる為の時間稼ぎかと思われ」
ブルゴーが頭を叩き、陛下に聞かれても居ないのに私見を言うなと説教する。しかし彼にそんなに構っても居られないので、すぐ追い出した。だがジルはそんな遣り取りを目にもくれない。少し考える素振りをした後、ブルゴーに告げた。
「シャルロワ軍の追撃は千人に留めておけ。それに、深追いも禁止してすぐ戻ってこさせろ。もしも降伏するならあんな大人数を連れるのに人数が要るし、逃げるのならとりあえずあいつらにも一打撃与えたい」
ブルゴーは了解の意を示し、配下に通達した。
ジル軍が掃討を終え、三千弱の軍勢をニャクルツッペリ伯爵勢の方に臨戦態勢を取らせていると、千人程が近付いてきた。一見武器を持っていないように見えるが、それはまやかしだろう。その目は、降伏すると言うには敵意が強すぎる。
あと百メートルでジル軍となった時に、千人の決死隊は武器を隠していた場所から取り出し雄叫びを挙げて攻めてきた。ニャクルツッペリ伯爵勢本隊も動く。こちらは決死隊を盾にして逃げるようだ。
「追え‼」
一言。ジルの一言で三千もの軍勢が動いた。一斉にニャクルツッペリ伯爵勢を追い討ちしようと戦闘で疲れ切った体を動かす。一千人の決死隊が立ちはだかるが、ブルゴー騎士団長の指示で第二小隊が決死隊を強襲。士気の低い決死隊を押し込み、ニャクルツッペリ伯爵勢への道を開けた。
その間を抜けて二千千五百程の軍勢が疾走する。ニャクルツッペリ伯爵勢に打撃を与える為に、駆けに駆けた。
ニャクルツッペリ伯爵勢を追う途上、少しずつ兵力が増えていった。ニャクルツッペリ伯爵勢に撃破された偽本陣に居た兵士たちだ。十人、二十人と戻ってくる。
遂にニャクルツッペリ伯爵勢に追いついた。確かに大軍だが、士気が低い。追い討ちをかけるジル軍に背を向けて逃げ惑う兵士が殆どだった。ニャクルツッペリ伯爵がそのいい例だ。
(それにしても、ニャクルツッペリ伯爵が腰ぬけで助かったなぁ。あそこで逃げずに戦いを挑まれていたら厳しかった。虚勢を張って相手を怯ませるのが有効だったかな)
「よう、ジ……国王陛下」
ジルの目の前には亮が居た。体中血塗れで、どうやら怪我もしている様子だ。戦争中は足手まといになるのでブルゴー騎士団長に預けていたのだが、結局乱戦になって戦闘してしまったらしい。
「大丈夫?怪我しているようだけど」
亮は舌打ちし、答えた。
「まあ、ちょっとね」
重傷ではないようなので、ジルはこれ以上の言及を避けた。すると、ブルゴー騎士団長が現れた。返り血を浴びており、この追い討ちにさっきまで参加していたことが容易に窺える。彼が口を開く前に、ジルの側から話しかけた。
「追撃をいつ止めるか、でしょ。そろそろ止めるように言っておいて」
兵力の損耗が激しい。隣で亮も頷いているし、これは賛成の様だ。ブルゴー騎士団長もはっと一言了解し、伝令にそのことを伝えた。もうこの戦いは終わりだ。長かった。時間にすればあっという間だったが、ジルにとっては長く感じた。胸の中には高揚と共に不安もあったからだろう。呪縛から解き放たれたような気分だ。
(勝った。完膚なきまでに叩きのめした。僕の、勝ちだ)
まだまだ不安要素は多い。兵士の損耗もそうだし、北では同盟国フリーダ皇国がマクシム新国王に味方するという名目でカタパルト王国領を侵している。また、東からは豪族カール一族がカタパルト王国に攻め入り、それを防ごうとしたジュネ将軍も苦戦しているという噂だ。また、財政難という問題もある。このまま戦争を続けると、カタパルト王国内部の敵勢を全て鎮圧する前に金が無くなるという試算である。
でも、それでも、ジルは笑みを浮かべていた。何があったにせよ、ジル達は勝ったのだ。
「テンション上がってきたー」
亮が呟く。テンション、という言葉の意味は知らないが、恐らくジルと同じ気持ちになっているのだろう。茫然としている。
「僕達、勝ったんだね」
「テンション上がってきたー」
亮は同じ言葉を繰り返すのみ。頭が壊れていなければいいけれど、とジルは一瞬心配したがすぐにその考えを頭から振り払った。亮にとって初めての戦争なのだ。終わった後妙な虚脱感に襲われるのも無理はない。
何にせよ、ジル達は勝利した。