第1章第9話 嘘だ!と言いたいが自重しよう be cool 俺
俺が秘書になって二週間。俺は高校生でありながら一国の王子の秘書として頑張ってきた。この経験は俺にとってとても有意義だった。俺は、学んだのだ。
「俺に秘書は向かない」
と。
今俺は秘書室に一人でいる。フリーダ皇国の外交関係者がジルと会談しに来たらしく、今リディーさんはこの部屋に居ない。ちなみにフリーダ皇国はカタパルト王国の同盟国だ。
そして、今俺の目の前にあるのは書類の束。とりあえず私用の手紙と仕事の書類に分けたのだが、ここからがきつい。
「どれが重要なのか分からないぜよ」
俺にはこの世界の知識が無い。その為、オールマイティーな知識が要求される秘書という仕事は合わないのだ。要するに、知識が無いからどれが重要なのか分からないっていう話。
ちなみに語尾に「ぜよ」をつけたのは気分転換である。この前リディーさんに叱られ、萎えた時は某野球ゲームの名脇役と同じ語尾「やんす」を付けた。語尾を変えるとテンションも変わるのだから不思議だ。
だが今回は失敗したようだ。テンションは全く上がらない。むしろ下がる一方である。
と萎えていた俺の部屋に、やっとリディーさんが帰ってきた。三時間ぶりだ。
「終わったんですか?」
とりあえず聞いてみる。すると、リディーさんは美しい黒髪を振り払い首を横に振った。
「いえ。これから外務大臣のバトン氏と共に会談を再開します。しかし、バトン氏は用意に時間がかかるとのことで会談の再開は二時間後になる予定です。そこで、皇太子様は私だけでなく貴方も同伴させると」
要するにお偉いさん方の会談を見て経験値上昇しろということらしい。俺結構期待されているのかなぁ。リディーさんはあまりそのことを……いや、俺の存在自体を良く思っていないみたいだが。
最初はその態度に不信感と反発を抱いたが、今はそうでもない。彼女が何故俺に対して冷たいのか分かったからだ。その理由は簡単。よくある、「新参者への不満」である。
俺は、つい二週間前に召喚されたばかりだ。つまり、召喚した少年がいきなり自分と同じ秘書という地位に就き、そのくせ能力は無いし、さらには絶対的な主君であるジルにタメ口なのだ。むかついて当然である。
その小さな器に俺は軽く落胆したが、人間なんてそんなものだ。俺も彼女の立場なら同じ対応をしていただろう。
「分かりました」
「では、来て下さい」
部屋を出て、俺はリディーさんの後を追う。外務大臣とかフリーダ皇国の外交関係者ってどんな人なのだろうと少し期待を抱きながら。
四階の応接室。ここは来訪者と会う部屋だ。二週間程前に商人のピクルスさんと会ったのもこの部屋だった。しかし、リディーさんはそこで立ち止まらず、そのまま突き進む。応接室とは二十メートル離れた部屋に入ると、そこにはジルとリッツがいた。控室らしい。
「やあ、リョウ」
「おう」
「大体の事情はリディーに説明してもらった?」
「ああ。確か、フリーダ皇国の外交関係者と会談するんだよな。外務大臣のなんだっけ……バトンって人と一緒に」
すると、満足そうにうなずいたジルは俺に二、三枚の書類を渡した。
「そこに、詳しい数値とかが書いてあるけど。一応僕の方からも説明するよ」
そしてジルの口から語られたのは、夢は無いがリアリティーはある話だった。
そもそも、フリーダ皇国とカタパルト王国は同盟国である。同盟が締結されたのは四十年ほど前。それ以来、同盟関係を維持しているのだ。この同盟には、お互いの思惑が絡み合っている。
まず、カタパルト王国は四十年前東の紛争地域に東征していたため北の大国フリーダ皇国を敵に回したくなかった。
今代の国王は戦費による財政の圧迫を嫌って平和外交を基本としているため当初の同盟締結の理由は意味を失くしたが、逆に今度はその「平和外交」というのが理由となってフリーダ皇国との同盟が続いている。
一方でフリーダ皇国はどうだろうか。確かに四十年前の同盟締結当時はラクル連邦との戦争で忙しく、カタパルト王国と敵対するのは避けたかったためこの同盟には必要性があった。しかし、今フリーダ皇国はラクル連邦とは停戦協定を結んでいる。
それだけならいいのだが、二か月前カタパルト王国とフリーダ皇国の国境にある山から金が採れることが判明した。この山、グラビット鉱山の三分の二はカタパルト王国にある。しかし逆にいえば残りの三分の一はフリーダ皇国にあるということで、フリーダ皇国は鉱山の採掘権は我々にもあると声高に叫び外交問題にまで発展しているのである。
何故外交問題になるほど主張するのか。理由は単純である。
グラビット鉱山から採れる金がもたらす財政効果はバカでかいらしいのだ。試算によると五年で一年分の国家予算に使われるお金が儲かるらしい。日本円に換算すると年商一兆六千億。たしかにバカでかい。
そしてこの問題はすでに二週間ほど前に商人のピクルスとの会談のときには表面化していた。
「なるほど」
つまり、フリーダ皇国の外交関係者はグラビット鉱山の採掘権を得るためにここまで来たということ。これから始まるのは対談というよりは交渉である。フリーダ皇国は鉱山の採掘権をどこまで得ることができるのか。カタパルト王国は鉱山の採掘権をどこまで保持できるか。
それぞれの国の外交関係者が今、祖国の利益の為に舌戦を繰り広げようとしていた。
「四割。これ以上引き下げることはできません」
「二割で手を打ちませんか?」
さっきからずっとこんな感じだ。正直面白くもなんともない。ちなみに前者がフリーダ皇国の外交関係者であるランゲ氏。後者がカタパルト王国の外務大臣であるバトン氏だ。
三割や四割などの言葉が最初から交わされているが、これはグラビット鉱山による収益のフリーダ皇国の取り分だ。最初は皇国側が五割、王国側が皇国の取り分はなしと主張していた。それに比べれば段々とこの話し合いも終わりに近付いているだろう。
それにしても暇だなー。俺よく分からないから、口挟めないし。ランゲ氏とバトン氏しか喋って無くね?俺は秘書だからともかく、ジルなんか皇太子なのに空気だよ。あーあ、可哀想に。
「駄目です。これ以上の引き下げは本国より許されていません」
「こちらも二割より上げることはできません」
らちがあかない。すると、事態を収拾しようと思ったのかギルさんが口を開いた。
「では、そろそろ時間ですので」
会談は一旦閉会となり、俺達は控室に戻った。ギルさんはランゲ氏の接待をしているらしい。なんだ、今は休憩時間なのか。ハア。またあの不毛な話し合いが始まるよ。
「なかなか相手も譲歩しませんな、皇太子様」
バトン氏が苦々しい顔をしながら口を開いた。ジルの顔にも僅かだが陰りが見える。やはり、それほど重要なことなのだろう。
「皇太子様、こちらが譲歩しますか?」
バトン氏は難しそうな顔をしながらジルに聞いた。気弱になっているようだ。このままじゃ拙くね?ジルの性格的には譲歩しそう。
しかし、ジルの対応は予想外だった。
「いや。なんとしてでも二割で止めろ。父上がマグナ族討伐を終えて帰ってくれば、流れはこちらに向く。すでに父上が手を打っているからの」
ジルの強気な態度。本当にマグナ族の反乱軍討伐が終われば流れがこちらに向くのか?それとも、バトン氏を強気にさせる為のハッタリか?
どちらにせよ、バトン氏はこの言葉を聞いて安堵を顔に浮かべた。あるいは、両方なのかもしれない。
その後少し雑談をし、それから応接室に移った。また会議が始まるようだ。
「ランゲ殿。二割に、譲歩してはくれないだろうか」
とりあえずバトン氏は口火を切った。
「条件次第ですな」
ほえ?条件って、二割とか四割とかが王国の採掘権を認める条件じゃないの?
俺はよく分からなくなってバトン氏やジルやギルさんの顔を見たが、普通に分かっているようだった。
「条件、とは?」
バトン氏が警戒しながら聞く。言葉の意味は分かったが、真意を測りかねている様子だ。
「領土割譲」
分かった。つまり、「収益の取り分は二割で諦めるからその代わりアソコとアソコをくれ」ということ。なるほどね。
「具体的には?」
今度は露骨に警戒の色を浮かべながらバトン氏が聞く。
「ボストール海沿岸部を」
ここで解説。ボストール海というのは、カタパルト王国の西部の海のことだ。そこからは様々な魚介類が採れるらしい。鮪など知っているものもあれば、ペポロやラニャルジ等の聞き覚えのないものまで。
ボストール海から採れる魚介類はカタパルト王国の輸出品目の一つであり、この国の財政に少なからず貢献している。そこの沿岸部をフリーダ皇国に割譲したら、グラビット鉱山の収益の取り分を二割から四割に上げるよりカタパルト王国にはるかな損害を与える。
「無理です」
バトン氏が驚愕しジルに視線を向け指示を仰いだところ、ジルはきっぱりと断った。ランゲ氏は予想外の拒絶に目を丸くした。が、それも一瞬のことですぐに言葉を紡いだ。
「こちらもかなり譲歩しているのですよ。そもそもグラビット鉱山から採れる金の取り分は半々でいいでしょう。それを二割というから、三割分に相当する利益を我々は求めているのです」
ランゲ氏は強硬な態度をとる。しかし、ジルの強気に押されたのかバトン氏もそう簡単には引き下がらないようだ。
「バカなことを。そもそも、この鉱山の殆どの場所がカタパルト王国内にあります。貴方達が利益の配分を求めること自体が間違っているのです」
しかし、その言葉にランゲ氏も声を荒らげた。
「何を言っているのです。たとえ一平方メートルでも領地内にあればそれだけで我々にも採掘権はあります」
「いえ、三分の二以上カタパルト王国内にあるのですからフリーダ皇国には採掘権は認められません」
「暴論です。過去のガブルデア鉱山の採掘権問題を考えて下さい。王国内にあったのは四分の一だったのに利益は半々に折半されました」
「あの事例は特殊な場合です。発見したのはカタパルト王国ですから当然。しかし今回はカタパルト王国の役人が見つけました」
「今回その調査にフリーダ皇国の住民が随行していたことを確認しています!」
「しかし調査の企画を出したのはカタパルト王国の執行部。たまたま随行していただけでそちらが見つけたというのは無理があります」
「その企画者の中にフリーダ皇国の住民がいたのですが。たまたまというのは違うと思います」
「十一人の内の一人でしょう。そもそも彼はフリーダ皇国の住民としてではなく、技術者としてです。その彼がフリーダ皇国の住民として行動していたとは言えません」
「――――ッ。しかし!」
「なんでしょう。私に間違いがありましたか?」
どうやら、バトン氏が舌戦に勝利したようだ。言ってる内容は難しくてよく分からなかったが。
「では、二割でいいですね?これでも譲歩しているのですよ?」
バトン氏が畳みかけるように言う。
「くっ。……とりあえず、私には利益の配分を四割未満にする権限が与えられていない。一旦フリーダ皇国の首脳部に聞いてみるが。それには時間がかかる」
二人とも悩んでいる。まあ、その気持ちは分かるが。
何故悩むのか。それは、今の勢いを落としたくないからだ。フリーダ皇国の首脳部に聞くのは時間がかかる。すると、今ランゲ氏を論破した勢いが無くなる。だが、どうしようもなかった。ランゲ氏の言葉は正論なのだ。
「分かりました。フリーダ皇国の首脳部からの応答を聞き次第また会議を開きましょう」
ジルは、そう言わざるを得なかった。