(1−4)ニーナは知りたい①
「で、カーラから魔力を前借りしつつ、5カ月、一般兵としてマルタ軍に潜り込んだ。目当ての魔術師にたどりついて、逃して、カーラの住む山に連れてって。山を降りてみたら、見事に俺もお尋ね者。しかも、魔力はほとんど使い果たしてたから、とにかく物理で逃げ回るしかなくてさ。軍で銃と剣の使い方、みっちり習っといてよかったわ。以上、これが俺の半年」
さらさらと、なんでもないことのように、ハーフォードは平然と話し終える。
「鬼火の悪魔」
マーサはハーフォードの言葉を繰り返して、顔をしかめた。
「そんな物騒な言葉をさらりと口にするんじゃないよ、こんなとこで。いわゆる軍事機密ってやつじゃないか」
「いや、あんただって、今、堂々と口にしただろ。だいたい、この家には、防音の魔術が掛けてある。あと、守護と隠蔽の魔術。だから話したって大丈夫だろうと思っただけだ」
ハーフォードは仰向けのまま、指先を天井にむけ、ぐるりと円を描いてみせた。
「え、何のこと?」
ニーナはぽかんとしてしまう。生まれてからこのかた、ずっとこの家に住んでいる。だが、守りの魔法についてなんて、誰からも聞いたことがない。母にはささやかな魔術を使える力があった。でも、それは土魔法の、それも限られた術だけだったはずだ。
「なんだ。ニーナは知らないのか。マーサが掛けたのか?」
「いや、やったのはこの子の両親。私は維持できるように魔力を定期的に補充してるだけ」
ニーナは言葉を失った。両親は、自分たちの力を娘に隠していたのだろうか。——でも、何のために? 急に、馴染んだ室内が、見知らぬ場所に見えた。ぎゅっと両手を握りしめる。
ハーフォードは、くちびるを噛み締めるニーナに、一瞬だけ気遣うような眼差しを向ける。一転して、冷やかすような笑顔をマーサに向けた。
「簡単に言ってるけど、この規模の術の保持には、かなりの魔力量が必要だ。あんた、本当は薬師じゃないんだろ? 薬に治癒の魔術が使われている気配がする」
「単なる薬師だよ。魔術師になりたくなかったもんでね。治癒の術は、薬に申し訳程度に練り込むくらいにしか使っていない」
「へぇ、いいかもな、そういうのも。俺もあのまま兵士になっていればよかったかな。すげぇお人好しの良い奴もいたし」
そう言って、ハーフォードは歯を食いしばって、起きあがろうとする。「無理するんじゃないよ」と、苦笑いしながら、マーサはその体を支えてやる。お構いなしに彼はなんとか完全に身を起こすと、まっすぐにこちらを見た。
真剣な視線に射抜かれて、思わず、息をのむ。彼が、何か重大なことを話そうとしているのだと分かった。それが何なのか……怖い、でも、ニーナはそれを、どうしても知りたい。
長くて骨ばった指が、首もとの革紐をそっと引き出す。左の手のひらに、ペンダントトップを落とす。右の服の袖でそっとガラスの表面をぬぐってから、ニーナの首に静かにペンダントをかけた。
低い声音が告げる。
「これを。ニックから……あんたの父親から、預かった」
じんわりと耳から胸に言葉が転がり落ちて、その意味の持つ可能性に息をのむ。とっさに問いかける。
「父さんは、生きているの?」
ハーフォードはしばらく黙り、やがて静かに首を横に振った。
「ごめんな」
体から、急に力が抜けた。床に座り込む。もう14年も前のこと。父は出かけ、それきり戻ってこなかった。でも、死んでしまったのかもしれないことは、考えないようにしてきたのだ。
胸元で揺れるぎゅっとペンダントを握りしめる。小ぶりのガラスが、ずしりと重く手のひらにのしかかるようだ。男の顔を見上げ、ニーナは座り込んだまま声をしぼりだす。たぶん、にらみつけるような顔になっている。
「あなたは、父さんと、どこで?」
「マルタ帝国軍の内部で」
「どうして」
「ニックは、そこにいた。本当にいい奴だったよ。俺と同じ歳の娘がいると言っていた」
淡々と、言葉がニーナの頭上から降ってくる。喉が苦しい。何かにぴったりとふさがれていくみたいだ。
「ニックは、捕まっていた魔術師と、一番仲が良かったんだ。俺が近づいた時にはすでに、なんとかそいつを逃そうとしてた。最期に、この首飾りを、イリーナとニーナに渡してくれと」
母と自分の名前が飛び出して、びくんと肩が震えるのを止められない。
ハーフォードがゆっくりと、ふらつきながら立ち上がる。傷の痛みを受け流すように顔を歪めてから、ぎこちなく床に座り込んで、ニーナと目線を合わせた。
「あんたの目、本当に、ニックに似てるな」
ニーナをのぞき込む、そのまなざしは柔らかかった。胸が苦しくなる。父は、この人の中に、どんな思い出を残したんだろう。ニーナの記憶の中には、父の姿は、ほとんどからっぽなのに。
無性に、この人の心のなかをのぞき込んでみたくなる。そこにはきっと、ニーナの知らない、知りたい、大切な何かがある気がする。
男の瑠璃色の瞳に、にらみつけるニーナが映っている。やがて、その手がそっと伸びてきて、ふわりと頭をなでた。
「世話になってすまなかった。ここを出ていく」
胸のなかが、何かにわしづかみされる。絶対に行かせたらダメだ。今、出て行ったら、確実にこの人は捕まる。まだろくに歩くこともできないのに。
「ちょっと待って!」
とっさに勢いよく立ち上がる。部屋の奥の戸棚を開けて、片隅から、木の小箱を取り出した。
「これ、父さんが作ったの」
木箱にきっちりつめられた綿の中から、そっとそれを取り出した。
青、赤、黄金、白——まじりあう色の魔法を閉じ込めた、ガラスの球。ニーナの人生の記憶の最初にある、夢のような風景。
ニーナは、ふう、と息をついて、気持ちを落ち着かせる。
命がけで父の最後の思いを持ってきてくれたこの人に、きちんと伝えたい、と思った。
ハーフォードは立ち去るきっかけを逃し、床に座り込んであぐらをかいたままだ。とまどった表情を浮かべている彼に、しっかりと微笑みかけた。
「あなたの持ってきてくれたペンダントと、同じ時に作ったみたい。おそろいなの。久しぶりに一緒になれて、きっと喜んでると思う。見て。大きい方も、すごくきれいでしょ」
そっと、男の手に、ガラスの球を握らせる。自分の首にかけられた、父のペンダントを再び握りしめる。
「ありがとう。父さんの遺したものを、帰しにきてくれて。こんな大怪我をしてまで、本当にありがとう」
ニーナは頭をさげて、それから、そっとハーフォードの手に自分の両手を添えた。——この気持ちが、この人に、どうか伝わりますように。
「だから、今、出ていくなんて言わないで。あなたが捕まってしまったら、きっと父さんに怒られちゃうから。お願いだから、安全に逃げられるように助けるから、今はじっとしていて」
ハーフォードは、しばらくそのまま固まった。それから、かくりと首を折って、頭をさげた。
「あんたはそんなところまで、ニックにそっくりなんだな」
手の中のガラス球を、じっと見る。少しまぶしそうな眼差しで「本当に、夢みたいにきれいだな」とつぶやき、そっとニーナの手の中に戻した。それから、何かを振り切るように、ぶるっと一度だけ小さく頭を振ってから、からりと笑ってニーナを見た。
一見、とても人懐っこい陽気な表情で、しかし、どこか突き放した眼差しだった。ニーナは言葉を失った。目の前の男がはるか遠い場所にいるようで、そこに通じる言葉が見つからない。
何かを考える前に、とっさに自分の手が伸びて、ぎゅっと男の手をつかんだ。ハーフォードはニーナの手をぽんぽん、っとやさしく叩いてから、そっと外した。
今日はあと1話、夜に投稿させていただきます!