(6−5)ニーナの帰郷
赤、茶。薄いグリーンに紫、オレンジに黄色……
『ここにくれば、世界のすべての色がある』
待ちに待った夏休み。ほぼ1年ぶりの故郷の湖は、母の口ぐせどおり、何も変わらず、いろとりどりの石とともにニーナを迎えてくれた。
変わったのは、隣にこの人がずっといてくれるようになったこと。
さっきからハーフォードは、スボンの裾をたくし上げ、夢中で湖の中の石を拾い上げてはカゴの中にため、風魔法であっという間に乾かしては、マジックボックスの中にざらざらざらと流し込んでいる。
「むちゃくちゃ楽しいな、これ!」
「後でおうちにかえって、色ごとに仕分けするのも楽しいよ」
「そうか」
ニーナの大切な瑠璃色の瞳が楽しそうに細められて、短い銀色の髪が夏の太陽の下でやわらかく光っている。
1年前にはお尋ね者だったハーフォードは、せっかく来たからにはニーナの育った町を見たいと宣言。その銀髪碧眼を隠さず晒して、キリリとした表情を作り、つい先ほどまで町中を堂々と歩き回っていた。あえてカンティフラス王宮魔術師の黒いローブをまとって、ぎゅっとニーナの手を握って。「2年後の予約」と言って、一緒に作ったおそろいの銀の指輪を、左手の薬指にしっかりはめて。
制服の威力というのはすごいものだ。いかにも高級な仕立ての服をまとう精悍な青年が、まさか以前の指名手配犯だったなど、誰にもちっとも気づかれない。むしろ「急にいなくなったニーナちゃんが、すごく大人っぽく美人になって、しかもえらく顔のいい金持ちそうな旦那を連れて戻ってきた」とあっという間に町中に知れ渡ってしまった。
ニーナ自身はそう変わったつもりはなかったけれど、隣を歩くハーフォードは確かにすっかり大人びていて、今の彼に釣り合って見えているのだったら、それはそれでとても嬉しい。単に、今着ているカンティフラス風のシンプルで洗練されたワンピースの効果かもしれないけれど。
興奮しながら話しかけてくる馴染みのおじさんおばさんや同年代の友だちに、何とか笑顔で対応し、カンティフラスから持ってきたお土産のお菓子を渡す。あちらでガラス職人をしていることを説明し、懐かしいパン屋でバゲットサンドを買い込む。
次にニーナたちが向かったのは、町外れの牧場だった。
牧草の刈り取りに精を出していたロイは、ニーナを見るなり「無事で良かった、マーサに聞いてた通りで良かった」とその場で男泣きし、ニーナの後ろにいるハーフォードを見てまたオイオイと泣き、「カンティフラスでガラス職人として一生頑張っていくつもり」というニーナの言葉に泣きながらうんうんと何度もうなずき、最後はチーズを袋いっぱいに泣きながら詰め込んで、「ニーナをどうかよろしく頼む」とハーフォードに差し出して、深々と頭を下げた。
牧場を後にして、湖に向かう道すがら。パチリと指を鳴らして魔術師ローブを消し、身軽な格好に戻ったハーフォードは、
「お前の幼馴染、本当にいいやつだな。肋骨折って、悪かったよ。後遺症なくてよかった」
複雑そうな表情で眉を下げ、袋からチーズをひとかけ取り出して齧り、
「うっま!」
目を見開いた。
「これ、カンティフラスで買えるどのチーズより美味くないか?! 牛の乳の甘さと旨みがすごい」
「そうなの。王都はいろいろ美味しいものが多いけど、チーズはロイの家の方が美味しいなぁ、とずっと思ってて……あ、もしかして、これ、ロイが王都で商売できるチャンスだったりする……?」
「絶対できる。まずはラミアの食堂に売り込もうぜ。名物料理が増えれば、あいつだって嬉しいだろうし、マジックボックスを経由すれば楽に仕入れできるかもしれない」
——やがて、ラミアの食堂「クジラの胃袋」のレギュラーメニューとして出されるようになったロイのチーズを絶賛する人が相次ぎ、そのうち王都中のグルメマニアの間で大きな話題となるのは、また後日の話。
ひとしきり湖で石を拾って、すっかり満足したハーフォードの肩に、小さな羽ばたきとともに、漆黒の小鳥が止まった。
「マーサの伝令鳥だ。……ははっ、フィーが薬草畑から齧り付いて離れないから、昼飯はふたりでマーサの家で食べるってさ。ニーナと俺は湖でのんびりしておいで、夕飯は4人で一緒に食べよう、って」
一緒に連れてきたフィリアスは、着いて早々、マーサの家の裏にある大きな薬草畑を見るなり、そこから一歩も動かなくなってしまったのだ。
「確かにあの畑はびっくりするよな。世にも貴重な薬草のオンパレード。1本売るだけでカンティフラスで1年は生活できるようなやつがゴロゴロしてるとか、さすがマーサ、懐が深すぎて俺にはよくわからん」
ハーフォードはあきれたように思い出し笑いしながら、ニーナの後をついて湖から上がる。やがて、湖面にせりだす平たい岩の上にふたりはたどり着いた。座り込んで、バゲットサンドを頬張りながら、ニーナは胸を張る。
「ね、本当に『ここにくれば、世界のすべての色がある』みたいでしょ!」
ここからだと、澄んだ水の底に広がる色彩ゆたかな石たちがよく見える。
「母さんと私のお気に入りスポット。ディーも連れてきたかったんだ」
笑いながらもう一口、バゲットにかぶりついたとたん、ニーナの目の端に、青白い光がよぎった。魔法陣の光?!と思うまもなく光は消えて、ニーナは隣に座るハーフォードの手元を見た。
白いカードのようなものをひらひらさせて、ハーフォードが嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑っている。手元の紙を愛おしそうに見つめてから、そっとニーナに差し出した。
「できた!」
そう言われて受け取った白い紙には、
白黒のニーナが写っていた。
バゲットサンドに大きくかぶりついて。
この世の中でいちばんの幸せ者みたいな顔をして。
「これ……もしかして…、写真、ってやつ?!」
最近、王都で流行りはじめたばかりの技術だ。大きな箱を使って、その場の景色をそのまま写し取って、紙の中に閉じ込めるのだという。でも、装置が大きすぎて、あまり簡単に持ち歩けるものではないとも聞いていた。確かにハーフォードは時々ボソボソ「この光景を残すにはどうしたらいいか」とか何とかつぶやいていたけれど、とうとうこんなに軽々と魔法でやってのけるなんて!
「そう、魔法陣で写真にしてみた。そこに色を載っけたい」
ハーフォードは手のひらにもう一つ魔法陣を出して、紙に染み込ませる。
じわじわと白黒の世界に色が浮かび上がり始め、そして紙の中のニーナの髪が赤く、瞳が緑になっていく。
「本当は、一気に色までつけた写真にするのが理想。ずっと試行錯誤してたんだけど、あとちょっとだな。でも、我ながらよくできた。見ろよ、俺の大事なたからもの。きれいな赤毛でかわいいだろ」
ニーナの手元の紙を覗き込んで、ハーフォードは得意満面で笑う。
「お前が俺たちの青や思い出をガラスにしてくれるみたいに、俺はお前をいっぱい写真にしたい。かわいいところをいっぱい撮って、家族が増えたらもっと撮って、それを毎日寝る前にニヤニヤ眺めて、幸せだなぁって思いながら、いつかお前と一緒に普通に土に還りたい。それが俺の初めての夢。どうだ、壮大だろ。あ、泣くなよ。泣いたらぐっときちゃって理性保つの大変だから。これでも毎日我慢してるんだ。あぁー、早く結婚したいー2年は長いー」
せっかくの良い話を、最後には近頃の口ぐせで締められる。すっかり涙が引っ込んだニーナは、手を伸ばしてハーフォードの頭をよしよしと撫でた。
「私だってディーの写真がいっぱいほしいからね!」
そう主張すると、すかさず頭の上の手を取られて、ちゅっと薬指の指輪にキスをされる。そのまま、ぽんと銀色の頭に戻すので、さらに思い切りよしよしした。
手の中の写真をちらりと見る。本当にゆるみきった自分の顔につられて、微笑んでしまう。
顔を上げると、目の前には、湖が広がっている。昔、今のニーナとハーフォードと同じような年頃の父と母が見て、自分たちの未来を決めた美しい景色。それを今は自分が、大好きな人と眺めている。自分たちの未来を楽しみにしながら。
なんだかとても不思議で、でも、とても自然な気もする。
ニーナはハーフォードを見上げる。よしよしされながら、銀色と瑠璃色が、幸せそうに揺れている。ニーナだけの、銀色と瑠璃色。
それは、夢のような眺めだった。
〈おしまい〉
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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その後のニーナとハーフォードについては、『筆耕マギーは沼のなか』で書いていこうと思っています。
引き続き、お楽しみいただけますように。どうぞよろしくお願いします!




