(1−3)ハーフォードの卒業試験
マーサは腕組みをしながら、ハーフォードの全身をじろりと見回す。
「傷の治りが呆れるほど早いところを見ると、内側の魔力は問題なく循環してる。今は外に出せないだけだ。そんなふうに魔力を封じられるなんて、あんた、罪人か、よほどの理由持ちだろ」
「あー、これな。別に隠すような理由もねぇよ」
横になったまま、ハーフォードは、腕をあげてつぶやいた。さっき食事を取れたせいか、朝より顔つきがしっかりしてきている。その手首には、マーサが「魔力封じ」と呼んだ腕輪がはめられていた。銀色に鈍く光る輪には、複雑に絡まる蔦と木の実の模様が刻まれている。
「卒業試験なんだと」
「え? なに、その話、長くなるの?」
マーサは言いながら、手近な椅子をひとつ引き寄せて、ニーナを座らせた。自分もその隣の椅子に腰掛ける。
「わざわざ聞きたいのか? 大した話じゃねぇぜ?」
苦笑いしながら、ハーフォードは半年前のことを、思い返した。
ハーフォードの師匠は、とにかく風変わりな魔術師だった。
その年が明けた初日。しげしげとハーフォードを眺めて、こう言った。
「お前、デカくなったな。そろそろ出てけ」
「は? 出てけって? お前、フィーの世話どうすんだよ。まだ7歳だろ」
ハーフォードはあきれた。師匠の弟子は2人しかいない。ハーフォードは17歳。フィリアスが7歳になったばかりだ。といっても、親に捨てられたので、誕生日など知らない。年の初めに、そろって歳をとることにしていた。
「ま、どうにかなるだろ。お前だって、3歳から俺ひとりに育てられてきたんだぜ」
ハーフォードは部屋の隅で、膝を抱える痩せこけたフィリアスを見た。小柄で、とても7歳には見えない子だ。
こちらには目もくれず、手のひらに青白いトンボを載せている。自分の魔力を糸にして織り上げたトンボだ。その透き通った体が羽ばたき、ひとしきり飛び回ってから宙に溶けていくのを、じっと目で追っている。先日、師匠に教えてもらったばかりの遊びだった。
「それもそうか」
ハーフォードは、肩をすくめた。つかつかと大股でフィリアスのところまで歩いていくと、しゃがみ込んで、ぽんぽん、と頭を叩く。そこで、ようやく、フィリアスのアイスブルーの瞳がこちらを見た。
「フィー、俺、出てくわ。お前も元気でやれよ」
「……フォード兄、どこいくの」
「俺にもわからん」
「……そう」
フィリアスは、ふいっと目をそらして、手のひらを見た。ハーフォードはその手に、魔力で作った蝶を乗せてやる。
「これ、どうやるの!」
パッと、フィリアスの瞳がこちらを向いた。
「自分で考えてみろ。トンボと同じ要領だ。お前ならやれるだろ」
ぽんぽん、と再び頭を叩いてから、ハーフォードは立ち上がった。
「で? なんか餞別くらいはもらえんの? 身一つで出てけとはさすがに言わないだろ?」
「お前のその切り替えが早くて執着がないところは、俺に似たのかな」
そう笑いながら言う師匠の手には、銀色の腕輪があった。するり、と、ハーフォードの左腕にはめられる。
とたんに、体から、何かが抜けた。ハーフォードの芯をなす、一番大切な何かが。
「なんだこれ。魔力封じの魔導具か」
にらみつけるハーフォードに、しれっと師匠はうなずく。
「そうそう。卒業試験だ。お前はこれから、3人の大魔術師に会いに行け」
「は?」
「会ったら、その腕輪に、魔力を注いでもらえ。全員に会えたら外れる。奴らには、連絡しとくわ」
「は? 居場所知ってんの? なら教えろよ」
「やだね。それじゃ試験にならんだろ。ちなみにその腕輪には、普通の魔術師から分けてもらった魔力も貯められる。いくら注いでも、ありきたりの魔力じゃ外れんがな。だから俺の餞別は、これだ」
師匠の手から、青く力強い魔力の光があふれる。それはすべて、ハーフォードの腕輪に吸い込まれて消えた。
「満杯に入れといた。少しずつ引き出して、大事に使え。とりあえず、でっかい街に飛ばしてやる。あとは、自分で考えてみろ。お前ならやれるだろ」
先ほどハーフォードが言ったばかりのセリフをここぞとばかりに使いながら、師匠はニヤリと笑う。
みるみる間に、ハーフォードの体は、移動魔術の青い光に包まれる。他人だけ移動させて自分は移動しない、という超絶難易度の魔術をやすやすと発動させながら、師匠は歌うように楽しげに言った。
「まーたな」
そのふざけた言い草に何か返す暇もないうちに、ハーフォードは、どこかの都会の路地裏に立っていた。フードのついたコートと、最低限の金だけ入ったカバンを持って。
「……3人の大魔術師ってなんだよ。聞いたこともねーよ。ま、なんとかするか」
ガリガリと頭をかきむしって、ハーフォードはぼやく。銀髪をコートのフードで隠して、とにかく歩きだした。
できるところまで歩いていって、行き倒れたところで、まぁ、かまわない。
ハーフォードは、空気のように身軽だった。
その街は、大陸の中央より少し東にある大国、マルタ帝国の第3の都だった。砂漠のへりで、大輪の花をさかせるように栄えていた。空気は乾いていて、寒暖の差が激しい。日中は暑く、日差しは痛い。夜は逆に冷え込みが厳しく、肌寒く感じることすらあった。街を行き交う人々は、日差しよけに、暖取りに、頭までマントをかぶっていることも多い。目立たず気楽に移動したいハーフォードには、まさに好都合だった。
物心ついたころから、師匠に振り回され、あちこちの国を渡り歩いていた。どこに行こうとたいていの言葉はわかるし、たいていの習慣もわかる。
適当に宿を取り、ときおり砂が舞い上がる街を、マントに隠れてそぞろ歩いた。
そうして3日目。迷路のように入り組んだ市場の片隅。入り口に、色とりどりのガラスランプを無数に吊り下げた店があった。ハーフォードはその中に、魔導具を目ざとく見つける。するりと店に入ると、奥のカウンターにそれを置いた。
はたしてそこは、魔術師の年老いた男が営んでいる古道具屋だった。
マルタ帝国に、魔術師は少ない。大陸の交易の要でもある帝国には、様々な人々が行き来する。魔術師であるからといって邪険に扱われることもないが、魔術師であるからといって優遇されるわけでもない。そういう土地だった。
老人は、普通のガラスランプに紛れるように、魔導具を買い取り、修理し、客に売る。手先が器用なハーフォードは、そこで働かせてもらうことにした。師匠から分け与えられた魔力を細々と切り崩して使いながら、魔導具を修理し、小金を稼ぎ、客から情報を聞き込む。
そのまま1カ月を過ごした。誰も、「大魔術師」という言葉を知っている者はいなかった。ただ、砂漠を渡った先のアンデラ国に、たいそう風変わりで力の強い魔術師がいるという噂を聞いた。依頼は安価で受けるが、引き受けるかどうかは「楽しそうかどうか」だけが基準だという。師匠の顔が脳裏によぎる。
その話を3回目に聞いたとき、ハーフォードはそこに行ってみることにした。
砂漠を渡る隊商に頼んで金を払い、一緒に5日かけてラクダで砂の海を渡る。いつもは一瞬で魔術移動してしまう距離だが、あんがい、生き物と自分の足頼みの移動は楽しかった。気さくでこだわりのないハーフォードの性格はキャラバンでも受け、このまま一緒に働かないかと誘いも受ける。このまま魔術師に戻れなかったら、それもいい。再会を約束して、笑顔で別れた。
たどりついた先で、さらに話を聞き込んだ。魔術師がいるという山に踏み込み、ひたすら登る。しばらくして、ハーフォードは悟った。この先には、師匠と同じくらいの変人がいる。
目の前に、目くらましの複雑な結界が張ってあった。師匠の隠れ家のいくつかに使われているのと同じ術だ。普通の人はそのまま何事もなく山を進み、何も気づかないまま。中に入っていいと認められた人のみ、別の空間に入ることができる。
残り少なくなった師匠の魔力を腕輪から取り出して、手にまとわせる。そっと触れると、結界は考え込むように震え、それからしぶしぶ、とでもいうように空間をわずかに開けた。
結界の気の変わらないうちに、すかさず足をねじこみ、無理やり入り込む。
「昔なじみの気配がすると思ってみたら、来たのはその息子か」
「師匠と血はつながってねぇけどな。ハーフォード・テナント。よろしく」
結界をすり抜けた先にたどり着いたのは、どこかの家の中だった。ハーフォードは、どっかりと、魔術師の前の椅子に座り込む。机の上に肘をついて、目の前の人をじっくりと見た。
年齢不詳の女性だった。せいぜい30代くらいに見えるが、昔からの師匠の友人なら、その倍の年齢の可能性もある。緑がかった灰色の髪を三つ編みひとつで背中に垂らし、ハーフォードには見向きもしない。せっせと動き続ける指先には、こんもりと摘んできたばかりの薬草の山があった。
「それ、仕分けてんの? 手伝おうか」
「なんだ。父親より断然気の利くやつだな」
女はようやく顔をあげ、ハーフォードを見て、軽く笑った。手際よくふたりで薬草を種類ごとにまとめていき、あっという間に作業は終わる。
「で、あいつの気まぐれに付き合ってやってるんだって? そういえば連絡をもらっていたな。あたしはカーラ・テナント」
「テナント」
同じファミリーネームを名乗られて、ハーフォードは首をかしげた。
「お前の父親とは、血はつながってないよ。師匠が同じだっただけだ」
「なるほど。よろしく、カーラさん。この腕輪を外したくてさ」
左腕をあげてみせる。
「ああ、それか。懐かしいな。じゃぁ、お前にひとつ、試練を与えてやる。それができたら、協力してやるよ」
「試練?」
「なに、簡単だ。マルタ帝国軍に、魔術師がひとり、捕まっている。それを救い出してこい」
「あんたの血縁かなんかか?」
「いや、全然。ただ、捕まった奴が『鬼火の悪魔』とか、幼稚な名前で呼ばれてるのが気の毒でな。軍のやつらから盗み出してやったら、楽しいだろ」
そういって、カーラは、師匠そっくりの人を喰ったような笑顔を浮かべた。