(6−2)ハーフォードと卒業試験の終わり②
夕方、師匠のところに移動魔術で飛んだ。案の定、師匠とフィリアスは、昨日と同じ南の島の家にいた。
師匠は、ハーフォードとニーナが家に入ってきた瞬間に、元気よく揺り椅子の上で目を覚ました。
ハーフォードひとりで訪ねた1日前と、対応が違いすぎる。あの時は、無理やり起こしても寝そうだったじゃねぇかよ……と、苦笑を漏らしながら、そばに寄ってきたフィリアスに、土産の焼き栗を渡す。買ってきたばかりでまだ温かいそれはフィリアスの好物で、この南の島では手に入らない。「ニーナからの土産」と言うと、「……ありがとう」と小さく言って、部屋の隅でさっそく殻をむいて食べ始めた。いつもはハーフォードが土産を持って帰っても、何にも言わないくせに。どうにもうちの奴らは、ニーナが大好きすぎる。
ニーナは師匠に助けられた礼を何度も言って、ガラスのブレスレットを手渡した。師匠の気に入っていた虎目石風のとんぼ玉をベースにしたデザインで、ずっと前から、師匠に渡そうと作って用意していたものだった。
「この間は、簡単なものしか渡せなかったから、しっかりしたものをプレゼントしたくて」
「ありがとよ」
そう言って、師匠はまぶしそうに目を細めて受け取って、しっかりと手首にはめた。
「あ」
ニーナが師匠とハーフォードを見比べる。
「ディーもよく同じような顔をするよね」
不意打ちを食らったハーフォードは、確かに、と思ってしまった。そう思った自分が気恥ずかしく、ガリガリと頭を掻く。無理やり頭の後ろでひとつにまとめていた髪の毛が、ばらりと崩れてしまった。
「なんだ、お前の髪。切ったのか」
「いろいろあってな。魔力を封じられてる間は、非常事態の魔力補助剤にできるかと思って伸ばし続けてたんだが。今となっては、短くても問題ないしな」
師匠と話している間に、ニーナに肩を捕まえられて、近くの椅子に座らせられる。落ちかけていた髪留めで、もう一度髪を結んでくれた。頭の上半分の髪の毛だけをまとめてくれたらしく「今の長さだと、ハーフアップの方がまとまって髪留めが落ちなくて済むから」という。
「お前ら、仲良しだな」
師匠がニヤニヤと笑う。
「当たり前だ。そのうち俺の嫁だからな」
ハーフォードも笑った。
「そうかよ……おい、フィー、こっちこい」
師匠はまた、まぶしそうな顔をして、ハーフォードとニーナを交互に見てから、突然、フィリアスを呼んだ。部屋の隅で早々に焼き栗を完食し、じっと膝を抱えていた小さな体が跳ね上がって、無表情のまま、パタパタ小走りで近寄ってくる。
師匠はその頭をぐりぐりと、力いっぱい撫でくりまわす。
「元気でいいな。お前は元気がいちばんだ。その元気があれば、いっぱい勉強して、いい魔術師になれる」
言いながら、フィリアスの手に、硬貨を数枚握らせた。
「フィー、この金でパン、買ってこい。店の場所、わかるだろ。お前の好きな豆のパン、20個買ってきな。ニーナちゃん、付き添いしてくれるか。ちょっと遠くて悪いんだが。さすがに20個はフィーも持ちきれないだろ」
師匠の言葉にニーナは笑顔でうなずいて、フィリアスの手を引いて部屋を出ていく。
「さて」
師匠は、ハーフォードの顔を見て、ニヤリとした。
「言いたいことがあるみてぇだな。全部聞いてやる」
ハーフォードは、盛大にため息を吐いた。全部見透かしているような師匠の顔が腹立たしい。
「……このクソ親父が。あんた、自分の寿命が分かってたんだな。1年前以上前から、もう、分かっていて、それで俺を修行に出した。魔力を封じて、魔術師にならなくてもいいっていう選択肢を用意して、俺に選べる時間を与えた。一方で、もし俺が魔術師になることを選んだ時には、後ろ盾が得られるように、自分のきょうだいたちに会いに行かせた。違うか?」
「違わねぇな。誤算だったのは、お前が早々に嫁を見つけてきたことだよ。それでお前は迷った。まぁ、いいことだよ。迷えるってのは。生きてるって証拠だ。迷いを捨てたら、人は死ぬ。今の俺みたいにな」
師匠は笑った。一瞬、言葉を失って、ハーフォードは宙を見た。そして、結局、素直に思ったことを伝えることにした。
「フィーは俺が育てるよ。ニーナにも懐いてる」
「すまんな。あいつ、この半年、どこの魔術師に預けても、自力で戻ってきちまうんだ」
「は?」
「魔力の限界ギリギリまで出し尽くして、まだ教えてもいない移動魔法で戻ってきやがる。そのたびに高熱を出してぶっ倒れるから、もう、俺も諦めちまって」
「……ずいぶんと迷惑な天才だな、おい……。まぁ、天才なんてみんなそんなもんか」
ハーフォードは、天を仰いで嘆息する。
「フィーも俺の弟子ってことだよ。一筋縄でいくわけがねぇ」
師匠は、フィリアスが出ていったドアを眺めて、目を細めた。
「俺が消えたら、カーラとガブリエルに自動で連絡いくように設定してあるからな。ふたりともフィーを引き取りたがってくれてる。いずれ本人の希望を聞いて、あいつが望んだ方に住めばいい、ってことで、話はついてたんだが」
「俺もフィーの希望を聞いた方がいいのかな」
「いや、いいんじゃねぇか。聞かなくても。あいつは自分の行きたいところにしか行かねぇよ」
「それもそうか。……俺、春から、カンティフラスの王宮魔術師団に入ることになった。リエルの仕事を手伝う。入団試験はこれからだがな」
ガブリエルから示された条件が、それだったのだ。王宮魔術師団に入ること。ガブリエルの部下になること。その立場がこれからニーナとフィリアスを守る盾になるのであれば、今のハーフォードに否はない。
師匠はすでにハーフォードの決断を知っている表情で、軽くうなずいた。
「ガブリエルから伝令鳥がきてたぜ。あっという間に口説き落とせたって自慢げに書いてあった」
「はは。頑張るわ。王宮魔術師のローブのデザインは結構好きだしな。俺のが出来上がったら……」
言い淀んだ。出来上がっても、その頃には、それを見せたい師匠はもういない。
「……なぁ、本当に、このままでいいのか」
「古い約束があるもんでな。そろそろ潮時だろ。お前もでかくなったしな。もう、俺はここには用がねぇよ」
ハーフォードが師匠と一緒にいたのは、せいぜい14年かそこらだ。それより前の年月に、自分が知らない師匠の長い人生がある。そこに誰かとの大事な約束があるのなら、そのために魔術を極めてここで人生を終えたいのなら、ハーフォードの甘えで引き止めることなど、できるはずがなかった。本当は、もっと生きていてほしくても。
その先の言葉を飲み込んで、代わりに、どうしても聞いておきたかったことを言った。
「ニーナの封印のこと、」
「自分で考えろ。それだけの知識と技術はもう渡した。教えることは何もねぇよ。お前はもう、一人前だ」
遮られるように、軽やかに告げられる。その目は、まっすぐハーフォードに向けられていて、この目がいつも、人でも物でも確かに見極めていたことを思い出す。師匠の言うことは、結局、いつも、正しかった。
胸の中で痛む何かを、ぐっと押さえる。いつもの強気の顔で、ハーフォードは笑ってみせた。
「わかった。俺ひとりで十分だ。それから、あんたの見送りは、俺とフィーとでするよ。なんやかんやで、家族だろ」
「お前、いつからそんないい男になったんだよ」
師匠は笑うと、手を伸ばして、ハーフォードの頭をぐりぐりと撫でた。小さかった頃によくやってくれたように。
「ニーナちゃんと、仲良くな。息子の嫁があんなにいい子でよかったよ。どこ探したって、他にいないぞ」
「わざわざ言われなくても、離さねぇよ。……あんたもずっと、嫁自慢しとけよ」
「そうか。孫ができたら、俺の墓に連れてこい」
師匠は笑って目を閉じた。そして、二度と目を覚まさなかった。
続きは明朝投稿します。




