(5−4)ハーフォードは走る②
思ったとおり、そこにいた。
急に真昼の南国の日差しが、ハーフォードの顔を焼く。時差がある。ここはカンティフラスからはるか遠く、南の国。離島の隠れ家。冬の間、師匠はここにいることが多い。場違いな、爽やかな潮騒が聞こえた。いや、場違いなのはハーフォードか。
「こんのくそ親父、昼間っから眠りこけてんじゃねぇよ」
ズカズカと家に踏み込み、揺り椅子で目を閉じる師匠の肩を、がくがくと揺さぶった。
しばらくして、ようやく目があいて、ぼんやりとハーフォードを見る。
「なーんだ、お前、戻ってきちまったのか。そのまま逃げればよかったのに。ろくでもねぇ魔術師の世界から足を洗えるチャンスをやったのによ。なんで戻ってくるかねぇ」
「魔術師だろうが、なんだろうが、どうでもいい。俺はニーナと一緒に生きる。そのためなら魔力だろうがなんだろうが、全部使ってやる」
「あの子に何かあったのか」
「さらわれた。迎えにいく。この腕輪を外せ。試験とかどうでもいい」
「2人目にも会ったのか」
腕輪を一目見るなり、師匠はうっすら笑った。
「じゃぁ、もう、試験は終わりだな」
「は?」
「お前も本当は、気づいてるんだろ。3人目は、俺」
師匠は緩慢な動作で、腕輪をつかむ。一瞬、灼熱の感覚がぐるりと巡って、ぽろり、と腕輪が落ちた。ハーフォードの体を、いつもの感覚が、激流のように駆け巡り始める。
とたんに、めまいがした。巨大の魔力に、体が焼かれる。痛い。熱い。汗が滲む。息が苦しい。膨大な量の魔力が暴れ出て、1年も放置していた自分に牙を剥いていた。
これは罰だ。自分自身を見捨てようとした罰だ。
ハーフォードは、ぐっと歯を食いしばる。受け止める。これが、これがないと、ニーナを救えない。これを使って、魔術師に戻る。絶対に、戻ってみせる。
「ははっ、苦しんでんな、おい」
とろりと眠そうな目つきで、ハーフォードを眺めながら師匠が笑う。
「俺の、魔力が、すごい、って、実感してるわ、今」
荒い呼吸でハーフォードは胸を張る。そうやって自分を鼓舞しないと魔力が暴走しそうな恐怖があった。
「当たり前だろ。お前は俺の、自慢の弟子だよ」
ハーフォードは一瞬、呼吸を止めた。自分の驚愕と響き合うように、ぴたり、と体の中の魔力も驚いたように震えて動きを止めた。
——今、この師匠は、一体、何を言った?
頭の中で、反芻する。信じられずに、何度も。
そんなこと……これまで、一度も言われたことがない。
——自慢の、弟子?
とたんに、するりと、心が凪いだ。
魔力が、嘘のように、静かに巡り出す。とっさにニーナの気配を探る。とても穏やかに、眠っている気配が遠くでして、わずかに力が抜けた。無事だ。おそらく、そのまま眠っている限りは。彼女の特殊な能力は、起きている時にこそ発揮される。
「じゃあ、なんで、急に追い出したんだよ」
ゆるんだ心の隙間から、ポロリと、言葉が溢れでる。ハーフォードはまた、驚いた。
そうか、俺の本音は、そこか。
ガキみたいだ、と思ったら、ふいにおかしくなった。そうか、俺ってまだガキなのか。思いっきり、師匠に甘えてるじゃねぇか。
「俺のきょうだい弟子たちに会わせたかったからな。これで、お前の顔見せは終了。親戚への挨拶が済んだんだから、お前はもう、一人前の魔術師だ。どこにでもいっちまえ」
言うなり、師匠はまた、ゆっくりと目をつぶった。
「おい、いきなり寝てんじゃねぇよ。カンティフラスの家の防御が破られた。あんた、どっか具合でも悪いのか」
ハーフォードは戻りたての魔力で、師匠に軽々と回復魔法をかけようとして——跳ね返ってきた術に異変を感じとり、ゾッと背筋を凍らせる。
「おいまさか…………魔術師が至る病ってやつ、じゃねぇよな」
嫌な予感しかしない。勢いよく振り返り、部屋の片隅で膝を抱えるフィリアスに鋭く問いかける。
「おい、フィー。師匠、1日どのくらい寝てるんだ!」
「……1時間」
「は?」
「……起きてるのが、1時間。今は」
「くっそ!」
思い切り悪態をつくと、ハーフォードはフィリアスに駆け寄った。膝立ちになり、両肩をつかんで、そのアイスブルーの目を覗き込む。
「フィー、お前、大丈夫なのか。飯は食ってるのか」
「……マジックボックスに、いっぱい、入ってる。いつも。食べきれない」
「師匠が寝てる間、お前、何してるんだ」
「本、読んでる」
「くそっ」
ハーフォードはまた、悪態をつく。自分に腹が立って腹が立って、吐き気がした。
魔術師には、魔術師特有の、病がある。魔術師は、自然の中から力を借りる。それを魔力と呼んで、魔術を操っている。魔術の限界を極め尽くすと、魔力が、その根源である自然の力と調和する。意識が、自然の中に溶け込み始める。だんだん起きている時間が短くなっていき、やがて目を覚まさなくなり、魂は自然の中に溶けて姿をなくし、肉体は朽ち果てる。
師匠はおそらく、魔術師としての、終わりに近づいている。それだけの、力のある人だ。だが、フィリアスは、この子は、まだたったの7歳だ。普通だったら、遊びたい盛りのはずの。
ハーフォードが自分の魔力をさっさと取り戻していたら、もっと早く、異変に気づけていたはずだった。おそらく、夏に会った時には、もう異変の片鱗があったはずだ。自分の逃げが、自分の怠慢が、フィリアスも苦しめている。ひとりに追いやってしまった。
「すまん。たったひとりで。寂しい思いをさせた。本当にすまん」
「さびしくない」
フィリアスが、はっきりと言った。
小さな手のひらを広げる。体を丸めたガラスのキツネが、頭を持ち上げて、ハーフォードを見た。退屈そうにあくびをし、フィリアスの手のひらに顔を擦り付け、体に赤いガラスのとんぼ玉を抱き込むようにして、また、穏やかに眠り始める。
ハーフォードは、言葉を失った。喉元に嗚咽がこみあげる。小さな、痩せっぽっちの体を抱きしめた。ひたすら、抱きしめることしかできない。1年前のハーフォードだったら、きっとこんな気持ちにはならなかった。魔術師の人生なんてこんなものだと、知っていたからだ。ガラスのキツネがいてくれてよかったなと、笑って頭を撫でて、それで終わる。
だが、もう、だめだった。フィリアスをこんなところにひとりにして、平気で生きてきた自分を、今はもう、許せない。そんな自分勝手な自分にも、吐き気がする。
「さびしくない」
また、フィリアスが言った。
こいつを、ここに置いておけない。ハーフォードは強く思う。
こんな、世の中から隔絶された、静かな場所。傷つけてくる人は誰もおらず、身を守る必要がまるでない。こんな楽園のような場所。まるで……まるで、死に場所だ。フィリアスは、この子は、こんなところにいてはいけない。
だが、フィリアスは、師匠のそばを離れるのを嫌がった。いくら言っても、眠る師匠の足に無言で抱きついて、離れない。
「わかった」
ハーフォードは、低い声でつぶやいて立ち上がる。
「次は、ニーナと一緒にくる。お前、あいつの言うことなら聞くだろ」
苦く笑う。ニーナが自分をあっという間に昏いところから引き上げてくれたように、フィリアスだって、いつか自分だけの光に出会えるはずだ。ハーフォードが光になれなくても、いつか、絶対、こいつは自分自身でそれをつかめる。優秀な弟に、それができないはずがない。そのためには、こんなところにいたらいけないのだ。光をつかめる場所に、出なくては。
「ニーナと一緒に、師匠とフィリアスを迎えにくる。4人で一緒に暮らそう。それなら、フィーだって付いてくるだろ」
俯いていたフィリアスの頭が、やがて、こくん、とうなずいた。
ハーフォードは、フィリアスの頭をぽんぽん、と叩くと、歩き出す。
魔力を取り戻した今だったら、気配をたどってどこにでも行ける。
軽々と飛んだ。
ニーナのところへ。
長いので、2回に分けました!
続きはまた明日!




