表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ガラス屋ニーナは瑠璃のなか  作者: コイシ直
第5章 ニーナの真実

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/32

(5−3)ハーフォードは走る①

 

 ニーナが、床に、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。


「ニーナ! おい、ニーナ!」


 ハーフォードが抱きしめて、いくら呼んでも動かない。

 血の気のひいた顔。額に浮かんだ大粒の汗。荒い呼吸。彼女の体に異変が起きているのは明白だった。


「おい、目を開けてくれ!頼むから」


 すがりつくように、腕輪から魔力を引き出し、彼女に治癒魔法をかける。

 何も起こらない。何も。

 ——彼女の、体に、悪いところは、ない。

 だったら、だったら何だ。なんで、こんなことになっている。

 ハーフォードはとっさに、テーブルの上の花瓶を見た。

 床に落ちるはずだったはずの、花瓶を。


「まさか」


 腕輪の魔力で、彼女の内側を探る。いつもだったら、たやすく感じ取れるはずなのに、水の層に包まれたような、鈍い感触が伝わってきた。自分の魔力でないからか。苛立(いらだ)って、舌打ちが漏れる。焦る気持ちを押し殺して、じわじわと潜っていって、


「見つけた」


 ハーフォードは、目を見開いた。

 彼女の体の奥底から、魔力が、漏れている。


 以前、ニーナが森で小石をヘビに投げつけた時。たしかに彼女は魔力を無意識に使っていた。体から一瞬小さくこぼれ出すような、ほんの少しの魔力を。石を遠く、速く飛ばせるように。


 それから、王都に来たばかりの頃。ニーナが師匠の目の前でとんぼ玉を作っていたとき。あの時は、本当にわずかな魔力が、彼女の体の中から漏れ出して、それから、ぴたり、と魔力の入り口が閉ざされたようだった。ニーナの内側の力を、大切に覆い隠すように。


 その、奥深く施された守りの封印が、いつの間にか、大きくほころびている。

 ほころびて、コントロールを知らない彼女の無意識の願いに従って、必要以上に強烈に吹き出して。そして魔力が欠乏した彼女の体を苦しめる。


 師匠に連れてこられたばかりのフィリアスがそうだった。コントロールできず、無意識に魔力を過剰に使いすぎ、何日も寝込む。


 今のニーナの様子とそっくりだった。これを繰り返すと、体が衰弱し、魔力を支えきれなくなり、最悪の場合は、力の暴走を招いて、——死ぬ。


「いつからだ。いつから、こうなった」


 わからない。こんなに彼女の近くにいたのに。毎日、手をつないで、寄り添って、その幸せの壁の向こうに、自分は何を見落としていた。


 後悔が、喉を焼く。息を止めるようにして、ハーフォードはそれを受け止める。


 自分が、逃げていたからだ。

 普通の人間に擬態して。中途半端に借り物の魔力を使って、いい気になって。


 この4カ月、だんだん、魔力を使う時間が少なくなった。魔力を使う独特の感覚から、遠ざかっていくのが、心地よかった。五感を研ぎ澄まさなくても生きていける生活に、有頂天になった。


 このまま、あいまいな場所で、一生ぬくぬくと暮らせるんじゃないかなんて。そんな甘えたことを考えたからだ。


 本来の魔力を取り戻していたら、ニーナの異変に、すぐに気づけていただろう。自分の感覚の鋭さは、良くも悪くも魔術師の中でも抜きん出ている。


 元々、ニーナの状況は、普通ではなかったのに。魔力を封印されているなど、異常だ。魔力を完全に封印しておくことなど、普通はあり得ない。ハーフォードだって、今は自分の力を外側に取り出せないだけで、腕輪の作用で休眠させられている魔力が、ゆるやかに体内を循環している。動いている心臓や血液を止められないのと同じことだ。


 なのに、どうして、彼女の封印だけが完璧で、永遠に続くように思った。単に、自分がそう思い込みたかっただけだろう。

 すべてから目を逸らして、真綿にくるまれたような、ぼんやりとあたたかい生活を望んだ自分のせいで、ニーナが今、苦しんでいる。


 彼女の体を抱き寄せた手が、いつの間にか小刻みに震えている。何をしている。震えている暇なんかない。考えろ。考えないと、失ってしまう。思ったとたん、呼吸ができなくなる。違う。そうじゃない。考えろ。考えろ。考えろ。お前が冷静にならなければ——本当に、すべてを失う。そうなった世界に、生きている意味など、まるでない。


 きっとニーナの両親は、彼女が生まれてまもなく、まだ魔力が芽吹かない種の状態で、その力を封印した。そして、毎年、封印の魔術を上書きしていたのだろう。それでも封印の内側で、種はそっと芽吹き、なかば眠りながら、ゆっくりと力を蓄えた。今、ニーナの母親が亡くなって時間が経ち、ほころびた封印の隙間を突き破るように、魔力が溢れ出し始めている。


 一度動き出した魔力の源を、閉じ込めるのは容易なことではない。脈動してしまった魔力の心臓を、眠らせるための技術と力が必要だった。そんな大技、一度も試したこともない。


 中途半端で、無力すぎる。

 だが、借り物の魔力では弱すぎて、どのみち今のニーナを治せない。


 やるべきことは、分かっている。  

 ——今すぐ、魔力を取り戻す。


 ニーナを助ける。絶対に、手放さない。自分の生きる、たった一つの理由を。それ以外のことは、どうでもいい。

 ハーフォードはまっすぐに前を向いた。




「冬至祭りの夜に、死に物狂いの伝令鳥が飛んでくるから、何事かと思ったよ」

「すみません」


 ハーフォードは深々と頭を下げる。


「いいよいいよ。ファランからも、お前がそのうち来ると聞いていた。これから妻とケーキを食べるところなんだ。お前も食べるかい」


 そう言って、気さくに家の中に招き入れようとする男の顔を見て、ハーフォードは驚いた。なるほど、きっと彼が卒業試験で会うべき第2の魔術師だ。師匠のところに移動魔術で飛ぶためには大量の魔力が要る。それを融通(ゆうずう)してもらおうと押しかけたつもりで、まさかこの人に会うとは。


 ハーフォードが、その男のことを知ったのは、実は4カ月も前のことだった。

 王都での生活を始めてから、すぐ後のこと。ガイザーブル商会のダリルが、言ったのだ。


「あなたの探している人物かは分かりませんが、この国で一番の魔術師といえば、王宮魔術師団の第1魔術師団長、ガブリエル・ラミ閣下ですね。数少ない特級魔術師の中でも、ずば抜けた能力をお持ちです。大魔術師の呼び名に相応しい方だと思いますよ。人脈も広い方ですから、あなたの知りたいことをご存知かもしれません」


「へぇ、ずいぶん偉い人なんだな」

 と、その時のハーフォードは笑った。そしてそのまま、何もしなかった。


 卒業試験だと師匠にいきなり言われ、追い出されてから、ほとんど1年が経っている。ようやくやってきたハーフォードを怒りもせず、悠然とガブリエルは応接間に座る。


「ハーフォード、ずいぶん大人の顔つきになったな」

 まるで、親戚のおじさんのように、顔をゆるめてこちらを見た。


「ご無沙汰しています。ハーフォード・テナントです」


 ハーフォードはまた、深々と頭を下げた。目の前にいるのは、たまに師匠のところにふらりと遊びにくる男だった。自分が子どもの頃から、知っている。呼び名はリエル。まさか、ガブリエル・ラミ閣下だったなんて、誰が思うものか。


「お前から(かしこま)って敬語を使われるなんて、自分がとんでもない(じい)さんになった気分だよ。言っておくけれど、僕はまだ50歳だからな。ジジイ扱いはやめてくれ」


 師匠と似たような灰褐色の髪を、師匠と比べられないくらいきちんと短く整えた男が笑う。


「で、ファランの気まぐれに付き合ってやってるんだって? お前も大変だな。うちの師匠の弟子は、ファランとカーラと僕だけだからさ。若い頃は一緒にいろいろ無茶をやったけどね。結局、ファラン兄さんがいちばん気ままな風のように生きている。ある意味うらやましいね」 


 最初に会ったカーラ・テナントと同じようなことを、ガブリエルも口にした。なるほど、きょうだいで言うことも似てくるものなのだろうか。だからこそ、ハーフォードは疑問に思ったことを口に出した。


「リエル、ファミリーネームはテナントじゃないんだな」

「テナントだったさ。結婚するときに、妻のファミリーネームに変えた。だって、彼女に一生縛りつけられるなんて、ゾクゾクするだろう」


 せっかく見た目は紳士なのに、少し残念なことを口走って平然とするあたり、確かに彼は師匠ともきょうだいだ。


「これを、外したい」

 腕輪を見せて、簡潔に告げる。


「いいよ。ファランから聞いている。僕の分のノルマの魔力をそこに入れてあげよう。ただし、条件がある」


 ハーフォードはその条件を聞いて、迷うことなくうなずいた。


「なんだ。ずいぶんあっさり受け入れるね。これで君の人生、縛りつけられたようなものなのに」

 言いながら、ガブリエルの手から青い魔力の帯が浮かび、きれいに腕輪に注がれていく。


「俺の魔力を解放して、すぐに助けたい人がいる。彼女のためだったら、俺は何をしてもかまわない」

「へぇ、そうか。本当に大人になったんだな」


 ハーフォードは立ち上がって、嬉しそうなガブリエルに向かって、また深々と頭を下げた。

 第1区にあるガブリエルの家を後にし、全力で走って家に戻る。


「ニーナ、戻ったぞ」


 1階の階段の下から大声をあげる。3階の彼女の寝室に届くように力をこめて。家を出てから、1時間も経っていない。容体が悪くなっていないといい、目を覚ましているといい。もしかして、ガブリエルの良質な魔力を全て使ったら、なんとかなるかもしれない。そんなことを願いながら、階段を駆け上がる。

 彼女の寝室をノックして、開ける。


「ニーナ?」


 そこに寝かせていたはずの彼女の姿が、なかった。


 ベッドはもぬけの殻で、ニーナが棚の上に大事に飾っていた、小さなガラス細工の動物たちが、床にぶちまけられている。

 ベッドに触れると、あたたかい。ついさっきまで、ニーナがそこにいたように。


「くそっ!」


 身を翻して、2階に降りる。閉めていたはずの窓が開け放たれていて、カーテンが冬の風に身を震わせている。ハーフォードの初めての『家』は無惨(むざん)に踏み荒らされて、そこにあるのは氷のように冷たい静けさだけだった。


 床に落ち、踏みつけられ潰れた雪の結晶のオーナメントを拾い上げる。鈍った感覚でもすぐわかる。誰かの魔力の痕跡がある。それも1人ではない。最低でも、3人。


 ——そんなはず、あるわけがない。


 師匠の家は、鉄壁だ。

 師匠の守護と防御の魔術がかけられている。この術は、魔術師本人の感覚と直につながっていて、何かあったらすぐに師匠が対応するはずだ。たかだか3人程度の魔術師に、こんなに簡単に打ち破られるはずがない。魔術が破られるとしたら、それは、


「まさか」


 ——師匠に、何か、あったのか?


 ハーフォードは、腕輪を握りしめた。

 ガブリエルに満量注いでもらったばかりの魔力が満ちている。これさえあれば、どこにでも行ける。

 迷いなく、移動魔術を発動する。飛んだら、魔力を3分の1は消費してしまうだろう。そんな不十分な状態で、ニーナを取り戻しにいけない。間違えるな。今、自分がすべきことは、まず、自分自身の魔力を取り戻すことだ。


 あっという間に、ハーフォードは飛んだ。




もう1話、続けて投稿します。よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ