(4−5)ニーナは踏み込む①
とうとうたどり着いたガイザーブル商会本部は、王都第1区にある。まるで、いかめしい宮殿のようだった。
ガイザーブル。その名は、富の象徴だ。この大陸の金持ちであれば、誰もが知っている。金持ちのみならず、一般向けの商品も幅広く取り扱っていて、生活品から娯楽の品、不動産や芸術、はては魔術や軍事まで、揃わないものはないと言われている。
そんな商会を象徴するような建物だ。とてつもなく横に広く、縦に高い。直線を多用した剛健なデザインで、唯一無二の存在感を誇っていた。
正面の車寄せには、黒光りする馬車や、流行の蒸気自動車がひっきりなしにやってくる。高級そうなぱりっとした衣服を着込んだ人々が、出入りしていく。
エントランス手前のファサードには、巨人の手が切り出したとしか思えないような、とてつもなく高くて太い円柱が立ち並び、
「見上げると、首が痛い……」
「あんま見てると、頭もげるぞ。ほれ、中に突撃するんじゃねぇの」
「する!」
思い切りのけぞったまま口を開けて放心するニーナの背中を、ハーフォードがポンと支えて笑う。ニーナは姿勢をしゃんと立て直し、今は扉が開かれている重厚な正面玄関を見る。この日のために、新しい上品なワンピースを新調した。後ろ髪には昨日作ったばかりの大ぶりのとんぼ玉が光っている。戦う準備はできている。あとは、自分が勇気を持つだけ。
背中に置かれたハーフォードの手があたたかい。この人がいてくれたら、どこまでも無敵になれそうな気がする。そうして歩き出そうとしたところに、声がかかった。
「ご無事で何よりです。お待ちしておりました」
ダリルが、落ち着いたいつもの品の良い笑顔で歩み寄ってくる。ハーフォードは鼻で笑った。
「どうせ、今までどこにいたのか分かってたんだろ。そういうの、あんたたちの得意技じゃねぇか」
無言で微笑んだまま、ダリルは高い吹き抜けのエントランスホールを抜け、いくつかの廊下を曲がり、花と緑の鮮やかな中庭をぬけ、階段をあがって、またいくつかの角を曲がる。ニーナの頭の中の方向感覚が完全にこんがらがったあたりで、ぴたりと止まった。
「こちらで、今後の契約をさせていただきます。申し訳ありません。芸術部門総帥のオリー・ガイザーブルは、急な用件で今朝、王都を離れたばかりで」
「へぇ、女王様はご不在か。それは残念」
肩をすくめたハーフォードの口調には、安堵が漂っていた。ニーナの好奇心が、どうしようもなくうずく。どういう人なのか、とても気になる。
「あの、いつか総帥にお会いできますか?」
「それはもちろん! 帰ってきたらあなたの工房にすぐに顔を出すと申しておりました」
「ありがとうございます! とても楽しみです」
嬉しそうに目を細めるダリルと、弾む口調のニーナの隣で、ハーフォードが遠い目をしている。本当に、早く会ってみたい。
扉を開けた先は、どっしりとした机が中央に据えられた打ち合わせ室だった。工芸部門長の女性と、契約書作成を担当する事務員の青年、現場のガラス工房長の男性が待ちかまえていた。
あっという間に、契約内容が決まっていく。ガイザーブル工房の最新機器を使っていいかわりに、作品はガイザーブルが買い取ること。それ以外に、毎月の給料を支払ってくれること。
「あの、売らずに個人的に手元に残しておきたかったり、誰かにあげたかったりする場合は……?」
「自由に作って大丈夫ですよ。あなたの作品の売り出し方と宣伝展開にはご提案がありますので、具体的なことは、明日以降、工房で詰めさせてください」
工芸部門長に微笑まれて、ニーナは目を泳がせながらうなずいた。作品の売り出し方、なんて、今まで一度も考えたことがない。作って、目の前のお客さんに買ってもらうだけだった。知らないことばかりだ! もっともっと知りたいし、もっともっと作りたい。
目を輝かせるニーナを、ハーフォードはやわらかい眼差しで、黙って見守っている。現場についての打ち合わせが終わると、工芸部門長と工房長は笑顔で退席していった。そして話は衣食住の保証内容の相談に入る。とたんにハーフォードが、しれっと口を挟んだ。
「ニーナは、俺のうちから通うから。第4区だ。2区の工房に通うのにも遠くないだろ」
「おや、ガイザーブルの独身寮をご案内しようかと思っていたんですが。警備は行き届いていますし、男女別の建物ですよ。中庭を挟んで隣り合っていますが」
「そんなん、余計ダメだろ。ちょっかい出されてたまるかよ」
含み笑いをするダリルと、不機嫌に一刀両断するハーフォードと、うっすら顔を赤らめて動揺しているニーナを順ぐりに見比べて、同席していた事務員の若い男の顔には、(ああ、そんな感じ?)と理解する表情が浮かぶ。彼はただいま絶賛話題にのぼっている独身寮住まいだった。新しく寮に入ってくる女の子は、一度は必ず男性寮内で話題にのぼる。ちらりとニーナの顔を盗み見て、(この子、純朴そうですごく好みだったのに)と内心ため息をついた。
ちょうどそこで彼の立ち会うべき内容はおしまいになった。契約書をオフィスで清書するために、机の上の書類をまとめて立ち上がる。少し未練が出て、最後に再びちらりとニーナに目を走らせる。とたんに、隣の銀髪男の視線に射殺されそうになって、青年は内心震え上がった。覗いてはいけない魔の淵を覗いてしまった気持ちで悟る。あの女の子に手を出したら、物理的に命がない気がする。独身寮仲間に急いで伝えておかないと。今後、死人が出ないことを心底祈りながら、事務員の青年は小走りでオフィスに逃げ戻っていった。
「かわいそうに。そんなに牽制しなくても」
「こんなの牽制のうちにも入らねぇよ」
ダリルの笑い含みのまなざしを、ハーフォードはしれっと受け流す。
「で、ニーナの契約が無事にまとまったところで、俺からも相談なんだが。報告がないってことは、あの魔術師の一味、まだ捕まえきれてないんだろ。引き続き、明日からもニーナの護衛は俺がやる。日中、これまで同様、私兵の訓練場の使用許可をくれ。できれば、時々ラミアと手合わせがしたい。あいつの剣術は勉強になる」
「あなたは魔術師を辞めて、剣士にでもなるおつもりですか?」
「それでもいいと思ってる」
真剣な口調で、ハーフォードは言った。
「とはいえ、魔術にも頼りたい状況だがな。この腕輪に魔力を貯める手段が欲しい。あんたの商会の動力源装置を借りることは可能か」
ダリルはゆっくりと首を傾げる。その口が穏やかに、しかし冷静に問いただす。
「あなたにそれだけの便宜を図って、何かうちの商会の大きな利益になることがあると? ちなみに、例の国とは平和に話し合いで解決できそうな見込みで、順調に交渉が進んでいます。あと1週間ほどで話がまとまり、あなたたちが安全に暮らせる可能性が非常に高くなるでしょう」
「ファラン・テナントの一番弟子に、利用価値がないとでも?」
ハーフォードは腕を組み、ゆったりとした笑みを浮かべてみせる。
「ガイザーブル商会で使ってる魔術の動力源装置、片っ端から持ってこい。今の5倍以上、効率よく動くように改良してやる。小型化もできるな。今は羊くらいのデカさだが、ウサギくらいまで小さくできる。それをいくつか結合して動力にした車はどうだ? 今の蒸気自動車なんて目じゃないだろうな」
その提案に目を見開いた後、吹き出すようにダリルは笑う。そしてあっさりと同意した。
「なるほど。それはまたとんでもなく刺激的なご提案だ。あなたは本当に愉快な方ですね。実現できたら、あっという間に世界が変わる。魔力原動の車、作って後世にお名前を残しましょう。進行と報酬のご相談については、また後日」
続きはまた明朝に!よろしくお願いします。




