(4−4)ニーナは作る
師匠はいっこうに姿を見せない。
ハーフォードは、それをいいことに翌日から、ニーナがずっとあこがれてきた芸術の都を、気ままに案内してくれた。行きたかった美術館から、博物館、図書館、のんびり過ごせるカフェ、見晴らしの良い公園。大道芸人たちがあちこち見られる大通り、できたばかりの百貨店、川沿いの青空古書市、雑貨屋めぐり。
小さなフィリアスをたった一人だけで家に置いていくのが忍びなくて、ニーナは一緒に連れて行きたいと強く言い張った。しぶしぶハーフォードが折れて、毎日3人で出かけた。
歩くとき、ニーナは必ず、フィリアスの手をつなぐ。ちょっと目を離したすきに、この小さく細く、よく見るととてもきれいな顔をした男の子が、あっという間に人攫いに連れていかれそうで心配だった。ニーナの住んでいた小さな町ですら、人攫いが出たことがある。こんな都会では、もっと悪い人間がいる気がする。
「フィーばっかりずるい」が、すっかりハーフォードの口癖になってしまって、空いている方の手に強く指を絡ませてくる。ニーナを挟んで手をつないで歩く銀色の兄弟は、3日も経つと、ご近所の商店街でちょっとした名物になっていた。惣菜屋さんのおかみさんから漏れたのか、ニーナの名前までみんな知っている。
ごはんを食べにいっても、物を買いにいっても、たいていあたたかい眼差しで、いろいろおまけしてくれる。気さくなおしゃべりも楽しい。そのわりには、さすがいろいろな国から人が集まってくるカンティフラスの王都らしく、人の抱えた事情の奥には深入りしない、聞いてこない、独特の距離感があった。隠しごとをするのが難しい田舎の町育ちのニーナにはそれも新鮮で、気楽で。あっという間に王都第4区の生活に馴染んでいった。
明日には、ガイザーブル商会に行く、という日の朝。
ひさびさに、ガラス細工を少し作ることにした。
「ここで作れんの?」
目を丸くするハーフォードに、マジックボックスにしまってあった道具を出してもらい、食卓に並べる。
「高温を使うんだけど、防炎や防御の魔術、お家にかけてもらったほうがいいかな?」
「大丈夫。そのへんの対策はバッチリしてある。火を吐くトカゲとか、炎の中でないとサヤから種を取り出せない植物とか、師匠がとんでもないもんをひょっこり平気で持って帰ってくるからな」
「よかった、じゃあ、さっそく作るね。半日くらいはやってるから、ディーは出掛けててもいいよ」
「いや、見たい」
「わかった」
ニーナはうきうきと道具の準備を始めた。
窓を開け、換気が十分な状態にしてから、防炎の魔法がかかった耐熱マットをテーブルの上に敷く。専用のランプに、純度の高いアークの実の油を注ぎこむ。
「そのランプ、魔導具?」
食卓の少し離れたところで椅子に座りながら様子を見ていたハーフォードが、軽く身を乗り出した。
「そう。母さんの愛用品。私は原理がよくわかってないんだけど、高温の勢いのある炎が出るの。すごく便利」
「後で見せてもらっていいか?」
「もちろん!」
マッチを擦って、ランプに近づけると、ぼうっと青い炎が勢いよく吹きあがった。アークの油はよく燃える。値段は高いが、その分、高い温度と威力のある火が得られるのだ。ガラス細工にはうってつけだった。
簡易的な道具でもできる、とんぼ玉を作るつもりだった。細長い鉄棒の先の方に特製の薬をつけて、炎であぶって乾かす。こうすると、鉄の棒に丸く巻きつけたガラス玉を後で抜き取りやすく、とんぼ玉の中心に糸を通すための空洞を作ることができる。
材料になるガラス棒を、ゆっくり炎に近づけて、回転させながら、じわじわと辛抱強く溶かしていく。ガラスを包み込むように、そこだけ炎がオレンジ色の輝きを帯びる。
十分にあぶった鉄の芯棒を水平に差し込んで炎の中でくるくると回転させながら、慎重に溶けたガラスを巻きつけていった。
火から取り出し、鉄板に転がして丸く形を整え、また火に入れて、転がして形を整え。
ベースとなる基本のガラス玉を一つ作り終えると、さらに炎の中に戻し、他の色のガラスをのせ、イメージした色や形になるよう、つぶしたり、引き伸ばしたり、絡めたり。鉄芯を回す手は一切止めずに、複雑な色を結び合わせ、一つの丸い世界に整えていく。自分の思っていた通りにできることもあれば、思っていた以上に豊かな色彩や模様にたどり着けることもある。この瞬間が、ニーナは大好きだった。
納得できる模様と形ができたところで、鉄の棒を次第に炎から引き離す。回しながら、ガラスが少しずつ熱を失い、形が完全に定まったところで、灰を敷いた箱にそっと鉄棒ごと入れ、一息ついた。そこでさらに冷ましていって、午後には出来上がっているはずだ。
汗を拭き、次に取り掛かる。同じ作業を繰り返し、さまざまな色と模様のとんぼ玉を作っていく。
夢中になって、立て続けに、何個作っただろうか。ふっつりと集中力が切れた。ランプを消し、椅子に背を預ける。
「すごく熱中していたな」
見知らぬ低い声が背後から聞こえて、ニーナは文字どおり飛び上がった。
慌てて振り返ると、小柄な男が、うっそりと笑みを浮かべて立っている。灰褐色のぼさぼさ髪、青緑の目。その丸顔を見返しながら、ニーナは不思議に思った。誰だろう、この人。絶対にあったことはないのに、どこか懐かしいような、親しみやすい感じがする。
「やめろ師匠、ニーナがびっくりしてるだろ。いきなり声かけんな」
うんざりした声で、ハーフォードがニーナをかばうように前に立った。
「見るな。寄るな。ニーナが減る」
「ほお、ニーナちゃんか。お前の嫁か」
「ぐっ………そのうち」
「はっ、嬢ちゃん死にそうにびっくりしてるじゃねぇか。暴走するなよ。頑張りな」
「うるせぇよ」
ぽんぽんと慣れたように言い合うふたりの会話を突然被弾して、ニーナは真っ赤に硬直している。それを面白そうな目でちらりと眺めた師匠が、急に灰の箱を覗き込んだ。
「で、これはいつ取り出すんだ?」
いきなり話を振られたニーナは、驚きながら素直に答える。
「急いでいないので、あと半日くらい、じっくり冷まそうかと思ってます」
「半日、じっくり冷ます」
言った瞬間、師匠の目の前に魔法陣が浮かぶ。静かに箱の中に染み込んでいく。
「次はどうすんだ?」
「水の中につけて、ガラス玉を鉄芯から外します」
「水、鉄芯から外す」
再び、魔法陣が浮かび、箱に消える。とたんに、鉄芯だけがふわりと灰から浮かび上がり、机の上にまとめてカランカランと着地した。続いて、出来上がったとんぼ玉が浮かび上がる。洗い上がった光沢そのままに、コロコロと机に転がった。
ニーナは一瞬言葉を失い、目を疑い、ころりとした一つを持ち上げて、思わず歓声を上げた。
「……すっごーーい!できちゃってる!」
ハーフォードは盛大にため息をついた。
「師匠、あんたなぁ、許可なく勝手にぐいぐい魔術で介入するんじゃねぇよ。まずは意思疎通しろ。意思疎通」
「お前が魔力を使って手伝えないのが悔しいだけだろ」
「そういうことじゃなくて」
「だいたい、卒業試験、まだひとりしか会いに行けてないんだろ。だからこんな中途半端なことになる」
「……」
師匠は左腕を持ち上げ、手首より少し下の辺りを右の指でぽんぽん、と叩く。ハーフォードは自分の腕の同じ場所にある銀の腕輪を、背中に隠した。
「まぁいい。悩め悩め。続けるのか、やめるのか。悩んで最後には決めろ。俺はどっちでもかまわねぇ」
「……!」
何かを見透かすように笑いながら、師匠はハーフォードの背中を叩いた。ハーフォードは口を引き結んで、むっすりと沈黙してしまう。
師匠は、そのまま机の上、できたてのとんぼ玉に視線を移して、大きくうなった。
「こりゃぁ見事だ。あんたには魔力があるんだな」
「え、いえ、私はないんです。母が魔力を持ってて、土魔法でガラスの材料を作ってくれて。魔力を感じるとしたら、そのせいだと思います」
「そうかそうか。そういうことか」
なぜかハーフォードを見やりながら、師匠はうなずく。ハーフォードは目を逸らし、完全にふてくされたようにそっぽを向いた。
「本当に美しい。一つ、買わせてもらえるか」
「いえ、1週間もお家を使わせていただいてますし、好きなだけ持っていってください。こんなものがお礼で申し訳ないんですけど」
「卑下するな。お前さんの作品には、それだけの値打ちがあるよ」
言いながら、師匠は迷いなく一つのとんぼ玉を選んだ。
「これが気に入った。中の模様の虎目石みたいな色合いがいい」
「わかりました。ちょっと待っててくださいね」
ニーナは道具箱の中から、漆黒の組み紐を1本、取り出す。手際よくとんぼ玉に通すと、端を結わえて輪っかにした。
「はい、ブレスレットとかカバンにつけるとか、お好きなように使ってください。少し伸びる紐なので、髪留めとかにも使えます」
「それはいいねぇ」
師匠は笑うと、手首にさっそく通した。得意げにハーフォードに向かって見せつける。
「ハーフォード、いつまで拗ねてんだよ。俺、腹へった。なんか飯あるか?」
「……あるよ。マジックボックスに大量のシチューを鮮度保持で入れてある。ちょっと待ってろ」
ぼそぼそと口の中で返事をしながら、ハーフォードは奥のキッチンに消えていった。
「あいつ、俺の前ではいつまでも子どもで困るわ。まぁでも、ちょっと、大人になりやがったかな」
師匠は笑いながら、椅子に座る。
「ニーナちゃんよ」
呼ばれて、道具を片付けていたニーナは手を止める。師匠がこちらに腕を伸ばしていた。受け取ると、小さな銀色のコインがキラキラと光っていた。
どこかハーフォードに似ているやさしい眼差しで、師匠は言った。
「俺は、あんたの味方になろう。もし、ハーフォードのことで、何か困ったことがあった時。魔術のことで、誰かに相談したくなった時。これを空中に放り投げて俺を呼べ。相談に乗ってやる」
翌朝、ニーナはハーフォードとともに、ガイザーブル商会の本部に向かった。
今日のハーフォードは、いつものかんざしではなく、新しい髪留めで髪を束ねている。昨日、ニーナが作ったとんぼ玉に組み紐を通したものだった。透明な丸いガラスの中に、緑と白と銀が螺旋を描いて閉じ込められている。
あれから師匠とフィリアスは、残っていたシチューをふたりがかりでペロリと完食し、すぐに旅立っていった。別の場所で仕事が入ったらしい。
フィリアスにも別れ際に、とんぼ玉をあげた。柄を選んだのは、彼というよりガラスのキツネで、ぴょんぴょん机の上で跳ねた後、やがてひとつのとんぼ玉を抱え込んだ。ニーナの髪のように赤い、瑪瑙色のものだった。キツネはあごをとんぼ玉にすりつけたり、軽く蹴って遊んだり。片時も離れずに、はしゃいだ尻尾が揺れている。
「……これがいい。ありがとう」
フィリアスは小さくつぶやく。キツネととんぼ玉を、宝物のような手つきでポケットにしまった。
「で、ニーナちゃんはどこかに引っ越すのか? 家、決まってんの?」
言いながら、師匠が黒いローブを羽織る。とたんに、威厳のある魔術師のように見えてくるから不思議だ。
「明日から探そうかな、と思って。4区が好きになったので、この辺りで住みたくて」
「なんだ。じゃあ、ずっとうちにいればいいだろ。部屋空いてるんだから」
「えっ、でも、そこまでお世話になるわけには……!」
「誰かが住んでてくれた方が、家だって喜ぶってもんだろ。家賃はいらねぇぜ。その代わり、時々、うちの弟子たちに、あんたのガラスを作ってやってくれ。こいつら、すごく好きみたいだから。…………おい、ハーフォード。お前、くれぐれも暴走するなよ。節度と順番。あと責任。わかってんだろな!」
最後の方は、何かこそこそとハーフォードにささやかれ、よく聞き取れなかった。けれど、そんなありがたい申し出、本当に受けてしまっていいんだろうか。困惑したニーナは思わずハーフォードを見上げ、もっと困惑することになった。
彼の顔が、真っ赤に染まっていた。
「くっそオヤジ! 早くいっちまえ!」
「言われなくてもいくわ。じゃあな、元気でな」
笑いながら、師匠とフィリアスの体が青白い光で包まれて——一瞬にしてかき消えた。
「素敵なお師匠さんだね」
「あれの? どこが? ああもう、むかつくわ。ニーナ、アイス食うか。マジックボックスから持ってくるからちょっと待ってろ」
ほてった顔を逸らすようにして、ハーフォードが目を合わせずにキッチンに引っ込んでいく。
ニーナは、ふたりが消えた空間をもう一度見て、微笑んだ。
師匠と一緒にいられた時間は半日にも満たなくて、少し残念に思う。
楽しくてやさしいお師匠さんだった。もっと4人でいろいろ過ごしてみたい。
でもきっと、これからそんな機会はいくらでもある。次に会った時は、どんなガラスを作ろうか。次も、喜んでくれたらいいな。
続きはまた夜に投稿します!




